5:論理ではなく、本能
なんてこと、そう叫び出しそうになるのをこらえ、大きく深呼吸をする。
「ニノンのお菓子はどれくらいの頻度で食べているの?」
「さっきから何なんですか、どうして私のお菓子事情をそんなに」
「いいから答えて」
眉根を寄せ、不満気に唇をとがらせながらも記憶を辿る様子を見せるミラ。私は背中に走る冷たいものに肩を震わせながら、答えを待った。
「ええと……今日もらったので2回目ですかね」
「前も今日と同じクッキーだった?」
「いえ。前のは下手くそというか、なんか埃っぽさみたいなものがあったんですけど、今日はオレンジピールの風味がよく効いていておいしかったです!」
お味の感想は聞いていないのだけれども。
私は可笑しさと安堵からか、泣きそうになりながらも小さく笑い声をあげた。
「ニノンが言っていたお菓子の味見役というのは、あなたのことだったのね」
「えっ、あの子、そんなことをお嬢様に話したんですか」
「話の流れでチラと聞いたの」
いやな音を立てていた心臓が落ち着きを取り戻していく。穏やかになった鼓動を確かめるように胸に手を当て、大きく息をつくと、私は頬を引き締めてミラを見つめた。
食べた量はそこまで多くないようだし、きっと深刻な問題は起きないだろう。でもこれ以上摂取しないよう、きっちり対策は取っておかなくては。
「とりあえず、そのエプロンにしまっているニノンのクッキーは私に寄越して」
「……!?」
「もしかして部屋にもまだ隠し持っていたりする? だったらそれも没収させてもらいます」
「いや、あの、それはちょっとご勘弁いただけると……!」
「包み隠さずちゃんと自分で提出してくれたら、ローゼを派遣する手間が省けるのだけれど」
正攻法では崩せないことはよく分かっているので、強制的に動かすための最終兵器、ローゼの名前を出してやる。私の思惑通り、ミラはそれ以上抵抗することはなく、うなだれるようにうなずいた。
「それじゃ、ここで座って待っていて。私、フットマンを呼んでくるから」
「いえ、大丈夫です……自分で部屋に戻れますので……」
力なくそう呟くと、ミラは私たちに向かって力なく頭を下げ、足を引きずるようにして力なく部屋を出て行った。
「本当に大丈夫でしょうか、あの子」
後ろ姿を見送り、ドアが閉まったところでそう呟く。独り言のつもりはなかったのだけれど、母からは答えは返ってこない。
「……お母様?」
振り返った私の瞳に映ったのは、母の真剣な表情だった。何かを警戒するように私から距離を取り、探るような目で私をじっと見つめている。
「あの……どうかなさいましたか?」
「……ねえ、シィ。あなた本当に――」
そこまで言ってから、唇をかんで言葉を強制的に切ってしまった。
「あの、お母様、」
「いえ。……いえ、いいの。ごめんなさい、本当に何でもないわ」
そう言って一息ついたその後に、いつもの笑顔を見せてくれる母。私がそれでも不安げな表情をしたままだったせいか、母はそっと腕を広げて私の背中に回し、優しく抱きしめてくれた。
「あなたが遠いところにいるような気がして怖くなったの。こんなに近くにいるのに、変な話よね」
「……私、ここにいます」
「ええ、分かっているわ。私が勝手に不安になっただけ……」
声はかすれて弱々し気なのに、私を抱きしめる腕はこんなにも力強い。そこから母の中にある葛藤のようなものを感じた私は、母を抱きしめ返しながら、ここにいます、そう繰り返した。
「大丈夫。何があろうと、あなたは私の大事な大事な娘よ」
「はい」
「だから……話したくなったら、話せる状況になったら、聞かせてちょうだい」
「……」
「もちろん、墓の中まで持って行ったって構わないわ。ただ今は何も気にせず、自分のやりたいことにまっすぐ向き合いなさい。いいわね?」
答えることはできなかった。でも、私がどこかで抱えていた不安や後ろめたさをすべて包み込んでくれるその言葉が、なんとなく寄る辺なさを感じていた心を救ってくれたようで。
「お母様、私、お約束します」
「ええ」
「ちゃんと……今度こそちゃんと生きます。ちゃんと生きて、それが実感できたらその時は全部お話しますから」
不自然で脈絡のない宣言を、母がどこまで理解してくれたかは分からない。でも、こうして私の涙を指で拭いながら微笑む様子を見て、きっと受け入れてもらえたのだと思えた。
「分かったわ。できれば私が元気なうちに実感してもらえるとありがたいけれど」
「そ、そうですよね、がんばります!」
握りしめた両手に力を込めてみせ、心意気の高さをアピールする。母が笑い、私もそれにつられて小さく笑い声をあげた時。
「バリー、急ぎマリーとシィを私の書斎に。お前は引き続きライ麦回収の準備を続けてくれ」
「かしこまりました」
玄関のドアが開く音に続き、そんな会話が聞こえてきた。
父が、帰ってきたようだ。




