4:僥倖
辺境の別荘での暮らしは、初めはつらかった。どこまでも続く草原、空の広さは開放感があって素敵だと思ったけれど、それ以外はただただ不便なことしかなかった。
ジュリアンが使用人を連れて行くことを許してくれなかったから、日々の家事の一切を自分でこなす必要があったし、ルシウスの面倒も乳母の手助けなしに自分ひとりでしなくてはいけなかった。近くの村には医者がいなかったから、熱を出したルシウスを抱えて大きな街まで歩いたことだってある。
食品や生活必需品は公爵家が定期的に届けてくれていたから困ることはなかったとはいえ、初めの数か月は何もかもがうまくいかなくて、自分の非力さを嘆いたりもした。
でも、人というのは打たれれば強くなる。そして強くなれば見える世界も変わっていく。
少し歩いたところにある湖で水浴びをしたり、野生のグロゼイユをたくさん摘んでジャムにしたり、リンゴをかじりながら森をぶらぶら散策したり。家事と育児をこなすだけで一日が終わっていたのが嘘のように、そうやってのんびり過ごす時間をつくれるようになった。
着替えを忘れてびしょ濡れのまま家に帰ったことも、グロゼイユがすっぱすぎて顔をしかめながらジャムを飲み込んだことも、森の中で聞こえた不気味な鳴き声に驚いて逃げ帰ったこともあったけれど、もうすべてが愛しくて楽しい思い出として語ることができる。
夜、あれだけ騒がしいと思っていた虫の鳴き声をオーケストラ替わりに楽しめるようになったし、満点の星が煌めく様子は王都の夜景よりも美しいと感じられるようにもなった。
3年の間、私とルシウスはそんな環境の中で穏やかに暮らしていた。村のみんなが私たちの爵位を気にせず受け入れてくれたこともあって、寂しさなんてこれっぽっちも感じることはなかった。
平和な日々が瓦解したのは、ルシウスが次の月に誕生日を迎える頃だった。
「火事だ! こっちに燃え広がる前に、はやく逃げて!」
村のはずれのあばら家に火の手があがったという一報を受けたのは、夜中のことだった。知らせに来てくれたその人は、着の身着のままで私のところまで走ってくれたらしい。大事なもののひとつも持ち出せず、家族の無事も確認できていないのだと言い、いまにも泣き崩れてしまいそうなところを必死でこらえながら、こう続けた。
「ルシウス坊ちゃんも、見つからないんだ」
友達の家に泊めてもらうことになっていたルシウス。今夜は村の近くにある大きな木に集まって、みんなでカブトムシの観察をするのだと張り切っていた。明日の朝目が覚めたらその様子を絵に描いて、週末に行われる予定の小さなお祭りで飾ってもらうんだとも言っていたのに。
「とにかく、湖の方へ。持てるだけのものを持ち出しなさい。煙のにおいがなくなるまで、ここに戻ってきちゃだめだよ」
その人はそう私に念押すと、再び村の方へと駆けていった。結局、この火事で生き残ることができたのは、私ひとりだった。
「本当に残念だよ」
久しぶりに聞いたジュリアンの声。それが降ってきたと同時にベッドが揺れる。私はそちらを見ることなく、ただぼんやりと空間に視線を漂わせた。
「村は全焼、遺体も損傷がひどくて判別不能だったらしい。……ルシウスがその中に含まれているかどうかさえ、確認できないみたいで」
包帯を巻いた私の手を取り、そっと撫でながらジュリアンが呟いた。
私が街の警備隊に保護されたのは、燃え尽きた村の真ん中だった。まだ高熱を帯びた状態の灰に膝をつき、ところどころ赤く明滅する瓦礫を素手でかき分けながら、ルシウスを呼び続けていたのだそうだ。
その時のことは、一切思い出せない。やけどによる痛みや、残熱による息苦しさなんかもあったはずなのに、何一つ記憶には残っていない。ただ大きな喪失感を必死に埋めようとしていた思いだけが、強烈に胸に残っているだけだった。
「こんなことを軽々に言ってしまうべきではないと分かっているけれど……君だけでも無事に生きて帰ってくれて、本当に良かった。僥倖だったんだよ、これは」
ゆっくりとジュリアンの方に顔を向ける。やわらかなランプの灯りを受けて輝くその髪は、ルシウスと同じ色をしていると思った。月を思わせるような明るい金の髪。繊細な光が煌めくその様子がまぶしくて、つい目を細めたその時、不意にジュリアンの指先が私の唇に触れた。




