7:ダンスパートナーの条件(2)
この光景をどこかで見た覚えがある、そう思ったと同時に、ジュリアンとの懇談会から数日後、私に正式に婚約を申し込みに来た時のことが脳内で鮮明に蘇った。
タウンハウスの玄関ホールで、大輪の白バラに囲まれながら、日よけのグローブをしたままの手の甲に落とされた誓いのキス。
あの時と違って、私はグローブを着けていない。それはジュリアンも同じで、正装もしていないし、バスケットいっぱいの白バラもないし、そもそもここは玄関ホールでもない。
そして一番肝心なところ、私はあの時のようにこの人を愛してはいなくて。
「公爵閣下、私は」
「君の心が追い付いていないことなんて、大した問題じゃない」
まるで私の思いを見透かしたかのように、ジュリアンがそう言って微笑んだ。
「僕はそれを覆い隠すくらいの愛をもって君を受け入れるし、君もいつか同等の感情を僕に抱いてくれると信じるよ。清も濁も、君のすべてを呑みこんであげるからね」
一方的な誓いの言葉の直後、手の甲に触れたジュリアンの唇の感触。殺される直前、ベッドの上で無理やり口付けられた時のことがフラッシュバックして、私はよろめくように後ろへ一歩下がった。
「逃がさない」
小さく呟いたその声は、私だけに届くような声量であったためか、父には聞こえていないようだった。急に立ち上がったジュリアンに強引に引き寄せられ、私は意図せずジュリアンの胸に頬を押し付けるかたちで倒れこんだ。
「シィ!」
父が驚いた声をあげ、こちらへ駆け寄る足音が響く。でも私をジュリアンの力ずくの抱擁から助け出してくれる気配はない。
「お控えください。閣下を邪魔することは許されません」
「閣下、先ほどの話はまだ正式に成立したわけではございません! 嫁入り前の乙女にそのように触れるのはーー!」
「ヴェルレー伯爵、どうぞお控えを!」
どうやらジュリアンの従者が父の動きを止めているらしく、人がもみ合い争うような衣擦れの音が響いている。
「ねえ、クレム」
ジュリアンの低く甘い囁き声が、私の耳たぶに触れる。私は早まる鼓動と浅くなる呼吸を抑えられないせいで返事すらもできず、ただ体を強張らせた。
「王太子との見合いの約束など反故にしてしまいなさい。僕が伯母である王妃殿下にとりなせば、きっと悪いことにはならないはず」
「……そ、そんな、そんなことは」
「僕が君なら、このまま素直に”公爵夫人”となる道を選ぶだろうね。だって、どうせうまくいかないんだから」
「……」
「さあ、クレム。僕の背中に腕を回して、この抱擁に応えておくれ。言葉は必要ない、ただ僕を抱きしめ返してくれればそれでいいんだ」
このままでは、ジュリアンの思うつぼになってしまう。
そんなことはちゃんと分かっていて、だからこの状況をどうにかしようと身を捩るけれど、震えてうまく体を動かせない。
燃えた瓦礫をかき分けた時にできた火傷の痛み、私の中に精を吐き出された時の嫌悪感、喉元を抑え込まれた時の恐怖。すべてがあの時の状況へと巻き戻っている気がして、私の全身から抗う力が抜けていくのを感じた。
まるでタイミングを見計らったかのように、ジュリアンの指先があごに添えられる。そのままゆっくり顔を持ち上げられ、ジュリアンの端正な顔が至近距離まで近づいて。
青い瞳と、金色の髪。そう、この髪色は月と同じだから、私は夜の空が好きだと――
「かあさま!」
瞬間、私を呼ぶ幼い声が耳に響いた。




