5:ソリストはいかに奏でるか(2)
「……ご心配には及ばない程度です。熱病というものは、季節が進み気候が変わる折に流行ることもありますからね。新種を導入した呪いなどとバカげた話を鵜呑みになさる必要はどこにも」
「季節性の流感と同様のものだと言い切れる? 新種が何の影響も及ぼしていないということは、領主であるヴェルレー伯爵の前でも断言できるの?」
「……」
「答えられないということは、ただの流行り風邪ではない可能性がある、ということよね」
「それは……」
そのまま黙りこくってしまったバリー。私は心を落ち着かせるために一旦目を閉じ、深呼吸をひとつしてから、張りつめた空気感に居ずまいの悪さを覚えている様子のニノンに目を向けた。
「ニノン、このライ麦を油紙に包んでちょうだい。包んだものはローゼかミラに渡して、私の部屋に届けるよう伝えて」
「あっ、はーい」
ニノンは弾むように答えると、私から一掴みのライ麦を慎重に受け取った。慣れた手つきでそれらを油紙に包んですぐ、私とバリーにそれぞれ頭を下げてから、スキップせんばかりの勢いで厨房を出て行った。
「……あれをどうなさるおつもりですか」
ニノンの足音が遠ざかり、静寂が訪れたところで、バリーが小さな声で尋ねた。
「んー……いまは秘密、かな」
「召し上がるおつもりならおやめください。新種の風味があまりよくないことは、私自身が身をもって感じております。良い食べ方が見つかるまでは、旦那様方の食卓には上らないようにもしておりますので」
「冷たい手をしているわね」
私はバリーの言葉を遮り、強引にその手を取った。
「以前はもっと温かみのある優しい色をしていたのに、いまはこんなにも青ざめて震えているわ」
「お嬢様、とつぜん何を」
「きっと、頭痛や吐き気もあるのでしょう。目眩にもしょっちゅう悩まされているのではないかしら」
「……どうしてそのことをご存知なのですか」
「ねえ、その体調不良はまだ軽いもので済んでいる? おかしな幻を見るようになった、なんてことはない?」
「お嬢様……?」
「指はまだ綺麗なままだけれど、足の方はどうかしら。痺れがあったとしても歩きづらさを感じていなければ、まだ――」
バリーの手を握る自分の指に、雫がひとつ、ふたつとこぼれ落ちた。
四肢を失い、火に焼かれるような地獄の苦しみを味わいながら、バリーは生涯を閉じたと聞いた。
その頃の私は、いったいどんな風に過ごしていただろうか。贅沢な食事に舌鼓を打ち、次の夜会でどんなドレスを着ようかと悩み、お茶会のお知らせに胸を躍らせ、”出席”の意志を伝えるために手紙をしたためて……。サントクロワ公爵家の家名に守られながら、平穏な日々を過ごすことを日常とし、バリーの訃報を聞いた時も、ただそのことを悲しむだけに留まっていた。
伯爵令嬢から公爵夫人へと肩書が変わったただけの、ただの世間知らずな人間にできることなんて、何一つない。蝶や花のように美しくあれば良い、主人の傍らで黙って微笑むスキルさえあれば、他は不要。女性とはそうあるべしと社会から育てられてきたのだし、それはきっと仕方のないことだったのだろう。
でも、何と言えばよいのだろう。そんな中でももっと何か、私にはやれることがあったように思うのだ。
「……バスチアン」
私は幼く、バリーがまだ10代の少年だった頃の呼び名を、抱きしめられた腕の中で呟く。バリーはそれを合図にしたかのように、そっと私の頭を撫でてくれた。
「そう言えば私、泣きたいときはいつもあなたの元に向かっていた気がする」
「お嬢様は幼い頃、とてもおてんばでいらしたから。しょっちゅう旦那さまや奥様に叱られては、私のところへ避難して……慰めるのが大変でした」
「え、そうだったかしら」
「そうでしたとも。成長なさるにつれて淑やかになられ、ついぞサントクロワ公爵閣下の御心を射止めたかに思いましたが」
「ふふっ、思いっきり突き返してしまったわ」
「おてんば精神は、いまも変わらずのようですね」
泣く私を抱きしめて落ち着かせ、笑わせて気持ちを引き上げてくれる。あの頃といまも変わらずなのは、バリーも同じだと思った。




