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クレマンスの告白~公爵夫人に”成り下がった”人生をやり直して、最愛の子を取り戻します  作者: 四ツ橋ツミキ
【第5章】法王ー見えざる指先

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38/50

3:混じる不協和音




 感謝祭の時ぐらいしか見ない回転式のロティサリーグリルや、長柄のワッフル・アイロン、もはや何に使うのか分からないひょうたん型をした銅製の器具。籐あみのかごや空っぽのタルが積み上げられたりしている、おそらく”普段使いしないものエリア”の最奥に、バリーのライ麦袋は押しやられていた。


 パントリー内に詰め込まれた食材や調理器具をよけ、なんとか赤い袋の前にたどり着いた……のはいいけれど、物が多すぎる上に袋は意外と重く、私とハウスメイド――ニノンとが力を合わせても、持ち上げることはできそうにない。


「ここから出すのは無理みたいね……」


 ため息交じりの私の言葉に、ニノンもうなずいた。


「去年の年末、ここの片づけをしたんです。ムッシュ・バリーはパントリー内が空になったタイミングで、荷車を使ってライ麦を運び込んでいらっしゃいましたから。たぶん、わたしたちのへなちょこな腕力じゃ、半分に減った今の状態でも持ち上げられないかと」

「……」


 べつに腕っぷしに自信があったわけではないし、守ってあげたくなるようなか弱い乙女、と称される方がレディとしては光栄だとは思う。でも、”へなちょこ”という評価を受けたのが何か気に入らなくて、私はニノンに非難めいた視線を送った。


「あれ、わたし、何かやらかしました?」

「……そういうわけではないわ。私が勝手に腹を立てただけだから、気にしないで」

「主家の御方がお怒りになっているのに、気にしないなんて無理ですので、とりあえず謝っときますね! 申し訳ございません、お嬢様」


 狭い空間で下げられたニノンの頭が、私の肩に押し付けられている。どうやら私はいま、理不尽な怒りを向けた腹いせを彼女から受けているらしい。


 肝の据わった使用人はミラやローゼ、バリーだけかと思っていたけれど、今後はニノンもその内の1人として換算した方が良さそうだ。


 私はニノンの頭を乱暴に押しやると、改めて周囲を見回した。


 小麦やライ麦はしょっちゅう使うものだし、実際バリーはこれを使って毎日パンを焼くよう、ニノンに命じている。それならこんな使いづらそうなところにしまい込まず、もっとパントリーの入り口近くに置いてもよさそうなものなのに。


「……ねえ、ニノン。こんな奥まで必要分を取りに入るのって、大変だったわよね」

「いやもうホント、毎日面倒で仕方なかったですよ! 他の誰かに間違って使われたくないからってムッシュ・バリーは仰っていましたけど、それにしたってこんなとこに置くなんてセンスがなさ過ぎます」

「じゃあ、もっと手前に置くようにお願いすれば良かったのでは?」

「あー……それは、まあ……仕方がない、と言うか」


 私の問い掛けにそれ以上答えず、ニノンは気まずそうな表情で視線を斜め下にずらし、指先をもじもじと動かした。


「お願いできない理由があったのね」

「ええ、と……はい」

「言いづらいこと?」

「そういうわけではないですよ。お嬢様がサブル・グリゼ産のライ麦について、現状をご存知でいらっしゃるなら、ですけど」

「現状……?」


 ニノンのその言葉は、私の心に重く響いた。


 ヴェルレー伯領で主に生産され、収入源の多くを占めているのがライ麦であることは知っているし、それがサブル・グリゼ(薄灰色の砂)地方の広大な畑で栽培されていることもちゃんと知識としてはある。


 でも、それだけだ。


 自分が住み、家名まで冠したこの地のことについて、私は前世と同じように何も知らない。


「ねえ、現状って」

「あ、やっぱりご存じないんですね、国内で”買い控え”が起きていること」


 心臓がひときわ大きな音を立てた。さらにニノンが続ける事情説明を耳にしながら、鼓動はどんどん速くなっていく。


 どうやら私は、ヴェルレー伯爵家が凋落した経緯をまったく別のかたちで認識していたらしい。


 バリーが視察先の汚染水を飲んで亡くなったから。養子に入ったアルベールが領地経営の方針を誤ったから。そのせいでヴェルレー家は衰退した、そう思っていたのに。


 時期もちがう、理由もちがう。前世から今に至るまで、私は何もかもを間違って解釈をしていた。


「ありがとう。よく知っているのね」

「町によくお買い物に行きますからね、商人のお話はよく耳に入ってくるんです」

「そう……」

「あの、大丈夫ですか?」


 私の声が震えていることに気付いたのか、ニノンが心配そうに尋ねてくれたけれど、それによい答えを返せそうにはなかった。


「こんな慣れない空間に長くいらしたから、お気分が悪くなったんでしょう。それを運び出すのは無理だし、とっととここを出ましょうよぅ」

「その前に、中身を確認したいわ」

「えー!」

「ニノン、明かりを」

「……はぁい」


 ニノンがかざしたランプが、赤い袋を妖しく照らし出す。私は震える指先をそっと袋にあてがい、その口を開いた。


「もう少し、中が見えるようになるところまでランプを下げてちょうだい」

「はい……いやっ、ちょっとこの体勢はキツすぎますって!」

「いいから!」

「んもうー! わたしの腰がダメになったら、治療費請求しますからねっ!」


 冗談なのか本気なのか分からないニノンの叫びを無視し、袋の中を覗き込む。ナッツのような香ばしさに加え、酸味のある香りが鼻腔をくすぐる。本来なら、良い香りだと感じるのだろう。でもこの中から漂う匂いは、正体不明の不快感で。


――”魔女の爪”を食べてはいけない。


 新聞記事で見た一文。その下に描かれた挿絵が脳裏に浮かび、息を呑む。


「ニノン、これは……いつ収穫されたの?」

「昨年採れたものです。何とかっていう新種らしいんですけど、見た目が不気味なのもあって、市場に出回り始めたときから不評なんだって、ムッシュ・バリーは仰っていました」


 ひとすくいしたライ麦が、私の手の震えに合わせてさらさらと零れ落ちる。揃った粒にところどころ混じる黒い不協和音は、あの新聞で見た”魔女の爪”の挿絵とぴったり重なった。








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