1:序曲はすでに奏でられていた
まだ昼間であるというのに薄暗い室内で、私は固い座面の粗末な椅子に座らされていた。薄いレースのカーテンが微かにゆれ、そこにできたすき間を狙うようにして、窓から日の光が差し込む。
雲一つない快晴、穏やかな風。今日がその日でなければ、ぜひともあの丘まで足を伸ばしてピクニックをしたかったのだけれど。
「王太子とは次代の王。民にとっては未来へつながる希望でありますが、あなたがた貴族にとっては繁栄のための利権の要でもありましょう。もしあなたがそのお隣に立つ王太子妃という座に就いた時、殿下を”男”として愛することを優先しますか、それとも”次代の王”として守ることを優先するのでしょうか」
分かっている。ここで”愛”を優先するのは愚かだってことくらい。いま問われているのは、王太子妃としての役割をいかに理解しているかであって、決して王太子という人そのものへの思いの強さではないのだ。
「……わたくしが人に何より求め、与えるのは”愛”でございます」
「ほう……?」
「ヴェルレー家は愛と慈しみを持って民を守り、領土を繁らせて参りました。公の立場としての答えなら間違いなく次代の王として守ることを優先いたします。しかし対人としてお答えするなら、わたくしは祖先より受け継いだこの愛を王太子殿下に誓いとうございます」
「はい不合格」
膝の上に置いた手を強く握りしめる。苛立ちを込めて見つめた先、金糸銀糸の縫い取りのあるベルベットの布地を張った、やたら豪奢な椅子に腰かけて足を組み、アームレストに肘をつくという尊大な態度を取っているのは――
「……どこがダメなの」
「話になりません。そんな独りよがりの空っぽな言葉で、堅牢な”グリフォン”の守りを突破できるとお思いですか」
「別に私、グリフォンと面談をするわけではないもの」
「グリフォンは王家を守る象徴ですよ。王太子殿下の前に壁として立ちはだかり、有象無象を撥ね退ける。そんな人間を”グリフォン”と称しても、何ら問題はないと思いますが」
くちびるを噛み、眼光を強めてなおも睨みつける私の反抗的な態度に、バリー――ヴェルレー家の超有能家令、バスチアン・バリーは、呆れたように大仰なため息をついて首を振った。
明日はいよいよ王城でお見合い、もとい、お見合い前の面接が行われる本番の日だ。面接の際に質問されるであろう内容をいくつも考え、それに対する答えをパターン分けしつつ、寝る間も惜しんで推敲してきた。
今日はその最終確認として、実際の面接を想定しての練習をしていたところだった。
「愛だの慈しみだの、この期に及んでヴェルレー家の良いところを売り込もうとするのはおやめなさいませ、お嬢様。何をどうしたところで、公爵家からの婚約申し入れを蹴ったという愚かな事実は変わりません」
「いやっ、でもっ!」
「言い訳は結構。名誉挽回は諦めて、私の準備した答えをそのまま吐き出すという行為に専念して下さい」
「ねえ、バリー。少しは私の意志を汲むことを考えてちょうだいよ」
「そのような余裕も猶予もありません。ほら、初めからやり直しますよ」
二度目の深いため息のあと、バリーが組んでいた足をほどいた時だった。
「……バリー?」
「すみません。なにか少し……違和感が」
突然動きを止め、いらだたし気に眉間にしわを寄せながら指先をこすり合わせている。違和感とは何か、それを尋ねようとした時、初夏の風がカーテンを大きく揺らし、今度はさっきよりも強く広く日光を室内に招き入れた。
「……!」
照らし出されたバリーの顔がいつもより青白いように見えて、私は思わず息を呑んだ。
今日まで寝る間を惜しんできたのは、何も私だけではない。公爵家との婚約不成立、という不名誉な話を少しでも良い方向に持っていくべく社交界を奔走する父に代わり、王太子とのお見合い準備に取り組んでくれたバリーも同様なのだ。もしかしたらここ数日の寝不足が祟り、体調不良を起こしてしまっているのだろうか。
「休憩しましょう。私、そろそろこの固い椅子から離れたい」
自分を気遣う体でバリーを休ませようと、そんな提案をしてみる。バリーは少し間を空けたあと、そうですね、と小さな声で答えてくれた。
「話し疲れたでしょうから、ハーブティーをお持ちしましょう」
「あなたはゆっくりしておいて、”面接官”さん。いま倒れられたら、完璧な受け答えをするための調整ができなくなるもの」
私はそう言って、立ち上がりかけたバリーの肩をそっと押さえて座らせると、ドアの方へ向かった。




