1:トラウマよりもこわいもの(2)
ローゼは、私よりもこの家に長くいる頼れるメイド長だ。家政のすべてを取り仕切っており、家令のバリーと肩を並べるくらいの権力をもつ上級使用人でもある。
公爵夫人となってから1年後にバリーが亡くなり、ヴェルレー家が衰退の一途をたどっていった中でも、ローゼは見捨てることなく仕え続けてくれていたらしい。
”らしい”としか言えないことに、申し訳なさがこみ上げる。
自分の実家のことであるにもかかわらず、風のうわさ、なんていう口さがない他人を介した言によってそういった状況を知ることになったのは、ジュリアンが帰郷させてくれない上に、外部からの情報をできる限り私の耳に入れないよう尽力していたからだ。
私がジュリアンの狂気的な正体に気付いていれば、ヴェルレー家のために何かできたかもしれない。母のように婦人会を結成するとまではいかなくとも、自らの力で情報を集めるような活動ができてさえいれば、援助に繋がる新たな道を拓けたかもしれないのに……。
「お嬢様、大丈夫でございますか?」
「あ……」
あの頃の記憶を辿りかけたところで、ローゼの声に引き戻される。ぼんやりしていたことをごまかすために微笑んですぐ、ズキリと痛んだこめかみを抑えながら、私は小さく息をついた。
「旦那様から大事なお話があるそうです。お出かけ前に一緒に食卓についてほしい、とのことですので、急ぎ準備をしとうございますが……」
ミラだったらここで有無を言わせることなく、いいからさっさと準備をさせろ、と厳しい態度で私をベッドから引きずり出しにかかるのだろう。でも、さすがメイド歴20年を越えるベテラン、主家の者を動かすためのあの手この手をよく心得ているようで。
「体調がよろしくないようですね」
「そうなの。昨夜のお酒がまだ抜けきっていないのか、食欲が全く湧かなくて」
「それなら、朝食は無理でもレモネードはお召し上がりなさいませ。お腹に何も入れないよりも、水分と糖分、ビタミンをしっかり摂る方が、宿酔からの回復はうんと早くなりますから」
体調絶不調な私を気遣ってくれて……いるわけではないことは、笑顔であるにもかかわらず目の奥が笑っていないという、とても複雑な表情で察することができる。ローゼの心の内を私なりに言語化するならば、ヴェルレー家の主からの呼び出しを自分の不摂生を理由に無視する、などという無礼を働くなかれ、ということだろう。そのやわらかな笑みの奥に隠された厳しさは、恐らくミラのそれを軽く超えるくらいのものに違いない。
私は今日3度目のため息を強く吐き出し、両頬を手で挟むようにして軽く叩いた。
「ミントの入ったお水を一杯お願い。それを飲めば、体が動くと思うから」
「かしこまりました」
ローゼの表情がようやく緩んだ。ここでも選択を誤らなかったことに安堵しつつ、部屋を出るローゼの背中を見送る。
「お嬢様」
「……! はっ、はいっ!」
「わたくしを待つ間、深呼吸をお続けください。体内の空気を入れ替えるのも、宿酔を治すのに効果的ですよ」
無言で小さく何度もうなずく私に、ローゼはやさしく見えるのにやさしく感じない笑みを残し、今度こそ部屋を後にした。
「うちの使用人って、どうして揃いも揃ってこわい人ばかりなんだろう……」




