2:相反する幸福論(2)
「たとえ今日話をうまくまとめてきたとしても、結婚を認めないことまで考えたわ。それによってあなたから恨みを買うこと覚悟でね。……まあ、きっとそんなことはできなかったんでしょうけれど」
自嘲気味に呟く母。その掠れた声によって、ぼんやりと辿っていた昔の記憶から現実に引き戻された私は、母の瞳に映るキャンドルの煌めきが、ゆらゆらと輪郭のはっきりしないものになっていることに気付いた。
「お母様……泣いていらっしゃるの?」
「あら、これは嬉し涙よ。私が手心を加えなくても、あなたは自らの才覚であの男の本性を見抜くことができた。あなたの成長をこうして感じることができて、私本当に嬉しいの」
瞬きによってこぼれた雫を、私が指でそっと取り除ける。その仕草に驚いたように瞠目し、続けて母はくすくすと笑いをこぼした。
「どうしちゃったのかしらね。なんだかあなたが幼子のいる母親のように見えてきちゃったわ」
「え……やだ、そんな風に振る舞っていました?」
「ええ。いまの手つき、おばあさまにそっくりだったわよ」
そう言って微笑む母の瞳は、もうさっきのように揺らめいてはいない。ただ、夜の帳を吸い込んでいつもより深い青となったその瞳が、ルシウスのことを思い出させるようで。
「なあに? 母親みたいな仕草をしたと思ったら、今度はまた昔の泣き虫さんに逆戻り?」
「だって……」
「まあ、今日はいろいろあったものね。心が疲れているのよ、きっと」
泣きそうになった私の肩をそっと抱きよせると、母は膝枕をするかたちで私を寝かせてくれた。
「ねえ、お母様」
「んー?」
「お父様のこと、まだ怒っていらっしゃる?」
母は、そうねえ、なんて呟きながら、私の髪を撫で続けている。
父が今日のお見合いを決行したのは、名誉欲を満たすためだけに私を人身御供としたわけではなく、私が先日のお茶会でジュリアンに一目ぼれしたことに気付いていたからだ。
娘である私を幸せにしたい、その思いが第一にあったのは実は両親ともに同じで、ただ父は私の恋愛成就を願い、母は将来起こり得る不幸を忌避させようと動いた。二人は同様の望みを抱きながら、全くの逆方向を向いてしまっていたのだ。
「お父様が何よりもお求めだったのは、称賛や栄誉ではないの。まあ、少しはそんな気持ちもあったのかもしれないけれど……ただ、私の思いを叶えようとしてくださっただけなんです」
「大丈夫、分かっているわ。……分かっていたけれど、あなたがあんなに泣く姿を見たらつい、カッとなっちゃって」
「じゃあ、仲直りしましょう!」
勢いよく体を起こしてそう提案すると、母は口ごもって俯いてしまった。
喧嘩をすればいつまでも変な意地を張って謝るタイミングを失ってしまう人だし、今回については父の真意を分かっていながら一方的に怒鳴りつけてしまった後ろめたさもあって、きっと母から歩み寄ることは難しいと思う。
それならば、娘である私が一肌脱ぐしかない。
「お土産に持ち帰ったショコラ・グラッセ、ぜひお父様を誘って一緒に召し上がって下さい。おいしいものを共に味わえば、きっとお互いの心もほぐれていくはずです」
「……あれはメイドに捨てさせたわ」
「大丈夫、私が取り置くように口添えしましたから」
お互いに齟齬が生じたのは、私を思いやる気持ちが原因となったのだ。本来はプラスの方向へ働くはずの心遣いが、ちょっとした食い違いで大きくマイナスへ振れてしまうなんて悲しすぎる。だから、可能な限り早く仲直りできるよう、手助けをしたい。
そんな思いで、私はさらに母に食い下がった。
「食べ物に罪はないでしょう。それにあれだけお叱りを受けて、お父様はきっと相当に落ち込んでいらっしゃるわ。お母様がお声を掛ければ、きっと瞬時に立ち直って下さいますから」
「……そうかしら」
「そうに決まっています。お父様はお見合いの席でも、お母様のことを話題にしていらしたもの。それくらいにいつもお母様のことを考えておいでなんですから」
「ふうん……?」
これはマリーが好みそうだ、こっちはそうでもないかも、などと、何かにつけて母のことを思い浮かべていた様子を仔細に話すと、母は呆れたようにため息をついた。
「まあ、そこまで言うなら……あなたに免じて許すことにするわ。ワインに合うショコラ、というのも興味があるし」
澄ました様子でそう言っているけれど、その頬が赤く染まっているのはキャンドルの灯りに照らされたせいだけではないはず。
素直じゃない。でも、そういうところが可愛いのだと言っていた父の言葉に心中で激しく同意しながら、私は苦笑交じりにうなずいた。




