1:私に触れない夫、愚かな決断をした私
「君のことは何より大切で、心から愛している。でも」
言葉を切り、私の腕に抱かれて眠る小さなルシウスに目をやるジュリアン。その視線は私に向ける甘やかなものとは違い、ひどく醒めきっている。
「その子の存在が、僕を苦しめるんだ。愛する君が、その……よその男と一夜を共にしたという、事実を突きつけてくるようで」
ジュリアンの声は震えていた。まるで、初夜の寝台で私に触れることすらできなかった、あの夜みたいに。
「ごめん、クレム。情けないことだとは分かっているけれど、今その子を抱いてあげることはできない。いつかその小さな手を取って導く、立派な父親になると誓うから。だからどうか、今だけは……」
そう言って泣き崩れたジュリアンに、私は声をかけることができなかった。
この時からすでに、運命は決まっていたのだろう。それでも私は、そうやって自分の不甲斐なさを詫びながら嘆くジュリアンの姿を信じた。信じたかっただけ、なのかもしれない。
でも当時は、本気で思っていたのだ。この人ならきっと乗り越えてくれる。ジュリアンなら、いつかこの子とまっすぐ向き合って愛を注ぐことができる。何の変哲もない平和で温かい家族となれる日が、きっといつか訪れる――と。
「でも、お医者様には診てもらったし、薬も飲ませた。安静にしていれば大丈夫だって仰っていたんだろ? 執事もメイドも乳母もいる、独りで留守番させるわけじゃないんだし、平気だよ」
ジュリアンと2人で演劇鑑賞に行くことにしていたある日の朝、高熱を出したルシウス。生後半年、これまで病気らしい病気なんてしたことがなかったし、きっと苦しくて不安だろうから私がそばに付いてあげたい、そう切り出した時に返ってきた言葉がそれだった。
確かにお医者様は、乳幼児によくある発熱だから問題ない、とは言っていた。でもそのすぐ後、容態が急変することもあるから気を付けるように、とも付け加えていたことは、ジュリアンの耳には届いていなかったのだろうか。
結局、私は引きずられるようにして劇場に向かったけれど、公演中はルシウスのことが気になって仕方なく、話の内容なんて耳に入ってこなかった。途中、感動のシーンでジュリアンが私の手を握ってくれたことすら気付かない始末で。
「僕がどれだけ勇気を出して君の素肌に触れたのか、分かっていない。分かろうともしてくれないんだな」
何の演劇を見たかはまったく思い出せないのに、帰りの馬車の中で恨めし気にそう言われたことだけは鮮明に覚えている。
運命の歯車はもう止められないのだと気付いたのは、ルシウスが1歳の誕生日を迎える直前だった。
生まれてすぐは無理でもいつかきちんと向き合う、ジュリアンが涙ながらに誓ったあの日からもう1年。約束が果たされないことで募った苛立ちをすべてぶつけるかのように、私はジュリアンを強く責めたことがあった。
「確かにその通りだよ。あの時愚かな提案をしたのはこの僕で、君はただそれに従っただけ。……盲目的にね」
盲目的に。その言葉に、心臓が一つ大きく嫌な音を立てる。悪いのは自分であると表面上は示しているけれど、その奥に渦巻いている「なぜ止めてくれなかったのか」という、私を非難する心が透けて見えるようだと思った。
でも、私にだって事情があった。サントクロワ家の跡取りを早く生むように、そう周囲や実家から急かされ続けた挙句、どちらかに身体的、もしくは精神的な阻害要因があるのでは、などといった私たちの尊厳を傷つけるような噂まで流れ始めてしまい、もう心がもたなかった。
早く子供をつくらなくては。でもジュリアンは口付けはおろか、私の肌に触れることさえかなわない。
重圧に押しつぶされて、日に日に弱っていく私を何とかしたいと思ったのか。それとも私の知らないところでジュリアンも苦言を呈されていたのか。ジュリアンは、苦渋に満ちた表情をしながらも、重い口を開いた。
「僕と特徴がよく似た男を探すといい。ひと晩だけ、そのためだけの情事なら……目をつぶってあげられる」




