3:思い出したるは白バラの貴公子
「まるで天界から舞い降りた女神のようなお嬢様が、美しいバラの咲き誇るお庭で佇むお姿……きっと絵画にしたくなるほど素晴らしかったのでしょうね」
「やめてちょうだい、ミラ。”女神”だなんて……過度な賛辞はかえって不愉快さを与えるのよ」
「不愉快にさせてしまうことを覚悟で重ねて申し上げますが、お嬢様の美しさは控えめに表現したとしてもやはり”女神”に落ち着きます。諦めて受け入れてください」
できれば受け入れたくない。その誉め言葉は、さっきの”嫁”発言と並ぶくらいの悪寒が走るから。
そう思って私が憮然としていると、ミラの指先が私の頬に触れた。
「ほら、鏡をよくご覧なさいまし。こーんなぶすくれた表情をしているのに美しいんですよ? 世の理を完全に無視したこの現象、神がかり的と称してなんら問題はないはずです」
父譲りの髪、母譲りの瞳はいわずもがな。濃いラインを引かなくても、目元にはっきりした印象を与えるくらいに長いまつ毛、小さくまとまりつつもしっかり筋の通った華奢な鼻、あどけなさと色っぽさを兼ね備えた厚い肉感のある唇。それらに加え、まるで陶器のようだと褒めそやされる白い肌も持ち合わせて生まれたのが、このクレマンス・ヴェルレーである。
大仰な仕草をしつつそう弁舌を振るい、胸を張って得意げな顔をしてみせるミラ。やめてほしいと訴えた上でそこまで堂々と熱弁するのなら、これ以上何を言っても無駄な気がする。そう思った私は、
「……ありがとう」
感謝の気持ちというより諦念の情をこめて、その一言を返した。
「そうそう、それでようございます。賛辞は素直に受け取るのがいちばん!」
満足そうに言いながら、ミラは私の身繕いを続けた。
「それにしても」
「まだ何か言い足りないの?」
「言い足りませんけど?」
あれだけの演説をしたのに。
そんな非難めいた私の目つきなど意に介すはずもなく、ミラは改めて咳払いすると、再び私を褒める言葉を並べ始めた。
彼女が事ある毎にこうして私を大げさに持ち上げるのは、私のせいでもある。ちょっとしたことで大きく自信をなくしたり、つまらないことで落ち込んでしばらく浮上してこなかったりするから、いつか心を病んでしまって永遠に闇から出てこなくなるんじゃないかと心配で仕方ないらしいのだ。
私としては、ミラを不安にさせるほど病んでいるつもりはなかった。ただ、悲しいときはできる限りどっぷり悲しみに沈んでおく方が、後に引きずることなくスッキリ忘れることができるから、そういう気持ちの切り替え方法をとっていたというだけなんだけれど。
ミラにはいまいち分かってもらえてなくて、私のマイナス思考を相殺するために自らが超絶プラス思考になることで、バランスを取ろうとしてくれているようだ。
ありがたいと思っているし、実際それで救われたことは何度もあるから、きっとミラのやり方も間違ってはいないのだと思う。でも基本的に”褒められて伸びる”ではなく”逆境を越えて成長する”タイプであるせいか、こうやって手放しに褒め称えられるのはいつまでたっても――
「バラを圧倒するほどの美しさを湛えたお嬢様に、見目麗しい貴公子がたまらずお声をかける光景なんて、まさに恋愛戯曲の一場面のよう……。あまりに尊すぎて、想像するだけでひれ伏したくなります私」
「……」
バラの庭園、その片隅で景観を楽しむ私、そこに現れた貴公子。
ミラの並べ立てる言葉が、不意に底に沈んでいた記憶の澱を巻き上げた気がした。
「頭の中のイメージをお見せすることができないのが、非常に残念でなりません。あの日、白バラの超巨大なブーケを抱えて屋敷に戻られたお嬢様のお姿は、本当に本当に女神のようでしたよ」
「白バラの、ブーケ……」
「あんなに尊い贈り物を頂いたことすら忘れた、などとすっとぼけたことは仰らないで下さいましね。お戯れがあまりに過ぎると、それなりの措置を取らざるを得なくなっちゃいます」
おどけているように見えて実は本気だったりするミラの脅しは、無視していいものではない。そのことを理解しながらも、私は何も答えずゆっくりと視線を動かした。
サイドボードの上、陶器やガラスのオブジェに混じって並ぶ錫製のフラワーベース。そこに挿してあるのは、あの日見た”純白”からはずいぶんかけ離れ、古びた色合いになったバラのドライフラワーで。
「あっ……!」
「おっ、お嬢様!?」
今度は私の方が声にならない声を上げて椅子から転げ落ちてしまった。
思い出したのだ。今日私がどんな約束をしていたのかを。そしてその相手が、ミラの言っていたお茶会で私を見初めた時のことも――。
「バラは、お気に召されましたか」
「ええ、とても! 花びら一枚一枚が大きく完璧な形をしていますし、何よりこの白色には少しの濁りもなくて……ああっ? こ、公爵閣下!?」
「我が家の庭園をこれだけ熱心に眺めてくれるご令嬢は他にいなくて、つい声を掛けてしまったよ。後でブーケにするよう言っておくから、持ち帰るといい」
「い、いえ、そんな! 本来なら私どもの方からお席にごあいさつに伺うべきところでしたのに、閣下の方からお声掛けくださった上、そのようなお心遣いまで頂くわけには……」
「実はあいさつ待ちの長蛇の列に嫌気がさして、ここに逃げ込んできたんだ。だから、ブーケをプレゼントする代わりと言っては何だけれど、少しの間僕を匿ってくれないかな」
あの出会いからすぐ後、父宛てに届いた1通の手紙。そこに書かれていた”今日の約束”の一言一句が頭に浮かび、私はミラに抱き起されながらうめき声をあげた。
『ご息女との衝撃的な出会いが忘れられません。個人的にお話をしたいので、ささやかなお茶の席をご用意いたします。是非、招待をお受けくださいますよう。――ジュリアン・ド・ラ・サントクロワ』




