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本作は九JACK様主催の夕涼み重陽会2024提出作品になります。
きょ、去年!?
旧暦9月9日、重陽の日。
菊酒をめぐるちょっとした小話。
※ハートフルなハッピーエンドです
※本当です
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「そういえばね、隣のお婆さん、この前、亡くなったのよ」
春休み、私は久しぶりに実家へ戻っていた。ほんの数週間の滞在にすぎないけれど、大学の喧騒から離れ、まだ寒さの残る田舎の空気に包まれると、時の流れがまるで違うものに感じられた。
ロハスな気分ですっかりリラックスしきっていた私に、母はそんな言葉を口にしたのである。
私は一瞬、言葉を失った。
隣家に住んでいた、老婦人。前歯が何本も抜け、笑うとサルのような顔になるので、私は「サリーのオバア」と呼んでいた。小学生の頃まではよく一緒に遊んでいたが、次第に疎遠になり、やがて認知症で施設に入ったと聞いてからは顔を合わせていなかった。
数日後、線香をあげに隣家を訪れると、仏間には春らしい淡い光が差し込み、花と線香の匂いが溶け合っていた。焼香を終えると、恐らくサリーのオバアの娘さんと思われる親族のひとりがガラス瓶を差し出してきた。
「これ、祖母がとても大事にしてたのよ。本当に、どうもありがとうね」
机の上に置かれた一升瓶。その中には淡い黄金色の液体が揺れ、底に白い花びらが沈んでいる。
――菊酒。
それを仕込んで、オバアに手渡したのは、他ならぬ私だった。
ほんの数ヶ月ほど前。夏休みも終わる頃に、思い立って作ったものだ。
「せっかくなので、皆で飲みましょうか」
私の言葉を待たずとも元々そうするつもりだったらしく、オバアの親族は人数分のコップを準備しながら、故人の思いを語り合い始める。私はその輪に混じりながら、瓶に近づき……ふと、違和感を覚えた。
……封が、切られてない……?
――大切にしていた、という割には。
菊酒を……飲まなかった?
……なんで?
蓋を開け、コップに酒を注いでいく。
自分の酒に口をつけると、柔らかな苦味と、記憶の底をくすぐるような甘い香りが広がった。
皆の笑いと涙の交わる中、私はただ一人、あの日のことを……昨年の夏休みのことを、思い出していた。




