8. 消えた彼
翌日、タロちゃんは仕事に来なかった。
その次の日も。その次の次の日も。
今まで、無断欠勤どころか遅刻もしたことがなかったのに。突然、ぷっつりと連絡が取れなくなってしまった。
急に来なくなるボーイなんて、他に何人もいた。けれど、あの・・タロちゃんが、何の前触れもなく『飛ぶ』だなんて──私にはどうしても信じられなかった。
だけど、それきり。タロちゃんが店に顔を出すことは、二度となかった。
その数日後のことだった。大きなニュースが世間を騒がせた。
猟奇的な殺人事件の犯人を、警察が逮捕したという。
テレビは連日、その男のことで持ちきりだった。
画面に映し出されたその男の顔をみて。私は胃液が逆流しそうなほど、驚いた。
「こ……こ……この男! 私、知ってる…! アパートの前で見た……!」
タロちゃんを指名していた男は、谷川と名乗っていた。
男の本名は、津谷繁壱というらしい。
後に、津谷事件と呼ばれるようになる、連続バラバラ殺人事件の犯人として逮捕された男だった。
ニュースで知った瞬間、私は血の気が引くのを感じながら、事務所へ駆け込んだ。
「マネージャー、大変です…!タロちゃんの客だったあいつ、あ…あ、あの男…っ! 逮捕されたって…! 殺人犯だっ…て……‼︎」
「……まあ落ち着いて。まず座りなよ、美佳ちゃん」
そう言われてもとても落ち着くことなんてできず、マネージャーの前を動物園の熊のようにぐるぐると歩き回りながら、私はまくしたてた。
「こ…こいつのせいだったんですよ…! あんな真面目な子が、急に飛ぶわけないですもん…!」
話しているうち、涙が滲んできた。
どうしてもっと早く……話を聞いてすぐ、対処してあげなかったんだろう。そうすれば、こんなことになってなかったかもしれないのに…!
激しい後悔が込み上げてきて、胸が締め付けられた。
「殺されたのは四人だってね。でも、被害者の中に彼の名前はなかったと思うけど」
冷静なマネージャーの言葉も、私にとっては少しも慰めにならなかった。
私だって、そうであって欲しかった。タロちゃんの失踪とあの事件とは、無関係であってくれと願っていた。
けれど、ニュースではまだ身元不明の遺体がある、と。被害者の身元の確認を急いでいる…と、伝えていた。さらに、『複数の余罪があるとみて捜査を進めている…』とも。
「マネージャー、警察に……今すぐ、知らせた方がいいと思います!」
「知らせて、どうするの?」
「だから、嫌がらせの手紙のことも言って……! もしかしたら、タロちゃん、まだ……!」
マネージャーはゆったりと胸ポケットからタバコを取り出し、火を点けた。
「証拠はあるの?」
「……え…?」
「彼が嫌がらせを受けてたって話は、俺も聞いてる。でも、あの男がやったかは、わからないよね」
「…で、でもっ私、アパートの前にあの男がいるのを見ました! こっちを見てて、すごく不気味な感じで…っ」
「アパートの前で『見た気がする』だけでしょ? 写真でも、録画でもない。嫌がらせの手紙だって、実物を見たわけじゃないよね。本当にそんなもの来てたのかどうか。彼の狂言じゃないってことすら、証明できないんだ。……違うかい?」
「そんな…っ…でも……!」
「彼は、無断欠勤をして、勝手に辞めたんだ。……今はもう、うちの店とは関係ない人間、だよね?」
言葉が、出なかった。
「警察に通報? ……お前、本気で言ってる?」
吐き出された煙の向こうで、マネージャーの目だけが笑っていなかった。
「もっと頭のいい子かと思ってたんだけど。……残念だよ」
氷のように冷たい視線。その目を見て、自らのやらかしを悟った。
「知人を心配する気持ちはわかる。……だからって、余計なことに首を突っ込むのは、感心しないな」
叩けば埃が出るのはうちも一緒なんだからさ──叔父がそう言って口元を歪めた。
「子供っぽい正義感は身を滅ぼすぞ? いくら俺が可愛い姪を守ってやりたいと思っていても……」
その瞬間、明確に“脅された”とわかった。これは「口を閉じろ」という命令だった。ぬうっと立ち上がった叔父を見て、私は体が震え出すのを感じた。縮こまった私の肩を、叔父がぽんぽんと叩いた。そして、
「美佳ちゃん、あんまり変なこと考えない方がいいよ。……兄さんや、義姉さんに、心配かけたくないだろ?」
耳元で囁かれた言葉に、私は首筋を冷たい刃で撫でられたような気がした。
──私のせいで、父や母まで危険に晒してしまう……
何か言おうとした。でも喉の奥に引っかかって、声にならなかった。
「……はい。騒いで、すみませんでした……」
やっとの思いで、絞り出した言葉だった。