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昼下がり 03

途中で投稿してあったんですが、

ちょっとどう考えても5000字以上になるしかなかったので分けました。

(2025-09-27 02:42)




「はっ!」


 気合い一閃。大の大人がふるうような大ぶりの氷鋤を、ハリエットは足元の厚い氷に振り下ろす。

 小気味良い音がして、粉挽き水車を堰き止めていた川の氷に、ビキビキッ……と最大なヒビが入った。

 「次期様が一番力持ちじゃないか!」と、領民から歓声が巻き起こる。




 モヤモヤしたら身体を動かすに限る。

 リュドミラにコテンパンにされた翌日、ハリエットは自分に任されている政務に没頭していた。妙なことを考えないためには、心を無にするような趣味ではだめなのだ。別のことに頭を使わなければ。

 エルトゥヒト州に限らず、内陸な低地は干拓や灌漑を修道院主導で進めたところが多い。ヘーゼ領も例に漏れず、井戸や水車は修道院の管轄だ。

 村落の台所を支える粉引きの主水車と、聖堂に備えつけの水車オルガンが2基並列で稼働している。司教領はどこも似たようなものだが、この時期の凍結は頭の痛い問題である。どこもかしこもリュベージュのように、凍結防止の魔法や魔道具が潤沢に使えるわけではない。

 朝起きたら、「粉が挽けない」「オルガンが鳴らない」と軽く騒ぎになっていた。渡りに船とばかり動きやすい服に身を包み、気だるそうに鋤や鎌を振るう大人たちの中へ飛び込んで、今にいたる。


「次期様ありがとう」

「やっぱりお嬢様が頼りになるよ。うちの村の力自慢どもはモタモタして、だらしがないったら」

「あら、私はたまーに来て手伝うだけだから新鮮で楽しくやれるのよ。毎日だったら飽き飽きしてるかもしれないわ。日常を守ってくれる人への感謝を忘れないで」


 褒めてくれるのは嬉しいが、誰かを落とす必要はない。ハリエットがやんわりと諭すのを見て、力仕事担当の筋肉たちが「お嬢様……」と感極まっているのが見えた。

 せっかく主水車まで足を伸ばしたのだ。ついでに気になっていた堤防の傷みを点検し、「ここは修道院の予算で」と計算院に“蝶”を飛ばす。領主館に戻る頃には帳簿を抱えた会計士が鬼の形相で待ち受けていたため、執務室に通して丁々発止の交渉までこなした。

 忙しく立ち働くのはいい。指の先まで意志が通って、地に足がついた感じがする。


 主水車までダッシュで往復して、おまけに鋤まで振るったとなってはさすがに汗だくだった。導塔のすぐ近くにある公衆浴場で身を清めて戻ってくると、「お嬢様の強火担」を名乗ってはばからない侍者のリラが、凍った川に飛び込んで行ったハリエットの姿を歌劇みたいに誇張して話しているのが聞こえる。

 今日の犠牲者は誰だろう。料理長のグレーテか、フローリスか、それともリネン係のゴセか……。


「え? ハリエット、氷割りに行ったの? 自分で?」


 思いがけず楽しそうな恋人の声がして、変な声が出そうになった。リラの長い武勇伝をちゃんと最後まで聞いたコーネリアスは──あははは、と、おそらくは顔をくしゃくしゃにして笑っている。


「かっこいいなあ。見たかった」


 胸がギュッと締めつけられる。

 ほんとうに──ハリエットは今、自分のことがまるでわからない。この状況のどこに不安があるというのだろう。周りじゅうからこんなに微笑ましく見守られていて。

 ただでさえ()()()()の彼はその上働き者で、領民たちの印象もすこぶるいい。お嬢様の結婚相手と聞いて、ものすごく荒れるのじゃないかと懸念していたリラまですっかり手懐けてしまった。同担拒否が爆発しなくて良かった、なんて。……


「ハティ?」


 自分の世界に没頭しながら廊下を歩いていると、すぐ近くで母に呼び止められて、ギョッとした。人気のない廊下で、こんな近くにくるまで全く気づいていなかった。ブリュンヒルデの気配の断ち方が諜報員並──なんてことはもちろんなく、ハリエットが呆然としていたというだけだ。


「……そうだった。この子、ヤンデレ属性あるんだったわ」


 何もかも見透かしたような母が突然、絶望的な託宣をくれた。ヤンデレ属性? ってあの、愛する人を監禁したり、孤立させて囲い込んだりするあの?

 怖すぎる。でもそうなのかもしれない。世界の摂理を知り尽くしているかのようなこの母が言うなら、そうに違いない気がしてきた。


「お母様、私ってそうなの? 思い詰めたら好きな人に呪いの首輪をしたり、コレクションに加えたりする女なの?」

「ハティ、落ちついて。そういうのはヤンデレでも極端な例だから」

「いやだぁ〜……」


 ぐすぐすと子供みたいに泣いてしまった。小さい頃、聖乙女の祝福を制御する修練がつらかった時ですら、母の前でこんな泣き方をしたことはない。

 泣きじゃくる娘の髪を優しく撫でながら、ブリュンヒルデは冗談めかして苦笑して見せた。


「あなた、昔から物分かりの良すぎる子供だったものね。親としては複雑だけど、コーネリアス君に感謝しないといけないかもしれないわ」

「こんな風に、ならないなら、ならない方がいいと思う……」

「そんなことないわよ。人生のどのタイミングでも、素直になれるのはとってもいいことだわ。まして、まだ16歳なんだから。好きなだけ泣きなさい」


 素直に、なれているんだろうか。これで。

 ほんとうに?







昼下がり 03/兼元珈琲店

ミラが読ませる本のせいで、ハリエットの「ヤンデレ」の理解はかなり偏っている

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