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Evil and Flowers(piano Version)

3話をやっと回収しました、90話かかった

リュドミラは武門みたいな性格をしています




 この人はどうやったら、人間にこの目を向けるようになるだろうと──ときどき考えた。

 対象を見透かし、腑分けでもするような、理解しようとする眼差し。




 「湖の魔女」が居を構える、ヴェルナセーメ湖群は半分人工的な湖だ。

 泥炭を採り尽くしたあとの長方形の溝が、湿地の水に侵され、天然の(ほり)のようになっている。池と池の間には、畔のようにも見える細い堤がところどころ残っていて、周辺住民に小道として使われているらしい。

 浅いものはいち早く凍結し、中央に横たわる一番大きな水塊も、霧も立たぬほど冷え切った朝には深く凍りつく。


「やってみたくなったら、いつでも言ってね」


 スウェードのブーツに、ベルトで金属の刃を取りつけながら、水車小屋の桟橋に腰を下ろした少年をハリエットは振り返る。行ってらっしゃい、と、笑って手を振られた。

 氷の上に降り立った。誰もいない湖の真ん中へ、風切り音に似た音を立てて滑り出す。

 もう陽がずいぶん傾いている。







『重い女って思われたくないとか言ってる時点で重いんだよ。素直に重い女をやれ』


 相変わらず容赦ない親友の言葉が、ぐっさりと刺さった。

 公現祭の翌日、10日前のことだ。旅先から借りものの“蝶”を飛ばしてきたリュドミラの名前を見て、話したいことが限界を突破したハリエットは、矢も盾もたまらず長文で返事をしたためた。

 小一時間ほどして、めんどくさくなったらしい親友から1行──音声通信用の座標が送られてきて、今に到る。

 トレンレーツ商会の冬の興行は今、エルトゥヒト州内を東に12マイルほど進んだところにある三賢者の聖地に滞在しているそうだ。聖遺物の公開を目当てに、大規模な行列が訪れるパワースポットだけあり、従業客や農閑期の客入りを狙って舞台をかけるにはうってつけの街だ。

 リュドミラは会頭である母と少し前に別れ、いつもの商人宿より格段に上等な修道院客房に──馴染みの教会にご高配を賜り──泊まっているのだそうだ。2階の角部屋、音声のみとはいえ聖魔法による通信もついてくるというのだから至れり尽くせりである。いくら寄進を積んだのか見当もつかない。


 何あんたらそんなことになってんの──と、近況を報告したら爆笑された。『ひと月で展開早すぎん!?』と心外なことを言うので、領地持ち貴族の婚姻の仕組みを再度説明してあげた。

 現実は歌劇みたいに何年もずるずる婚約したりしないのである。婚約数週間で即結婚だって普通にあるわよと告げると、夢がないと嘆息していたっけ。あなたも貴族でしょうに。

 だいたいさあと、通信器に設定された飾り鉢の向こうでリュドミラの声が長いため息をつく。


『重いってバレたくないとか言ってるから簡単に嘘つくじゃん。大丈夫じゃないのに大丈夫って言うしさー。かわいくない上にめんどくさい、わかる? 正直な重い女は結構かわいいのに』

「うううう……」


 応接室のテーブルにつっぷして、うめくことしかできない。完全にオーバーキルだからもう許して欲しい。

 トントン、と、軽いノックの音がした。午後の中途半端な時間、誰だろうと思いながら答えると、よりにもよってこのタイミングでコーネリアスの声がした。


「ハリエット、今大丈夫?」


 おっ、と面白そうな声を上げる飾り鉢にシーッと沈黙を命じて、何ごともなかったような顔で少女は扉を開ける。


「大丈夫よ。どうぞ」

「ありがと。……ベル爺に送ってた手紙の返事がきたんだけど、リュベージュ本部周りの鶏を管理してるテイマーから、この辺りで仕事してる人を紹介してもらえそう」

「えっほんと? コーネリアスから話してくれたの?」


 先月の27日、導塔からの馬車の中で話した市街地の虫害の話だ。「父に相談してみるわ!」などと力強く請け合ったものの、色々立て込んでいてすっかり忘れていたのだった。彼も所在なさげにこめかみを掻きながら、「おれも返事くるまで忘れてたんだけど……」と苦笑している。


「グステン様には伝えたんだけど、元はハリエットから聞いた話だったから」

『めっちゃ喋るじゃん。あんた勉強にしか興味ないのかと思ってた』

「うわぁ!?」


 鉢植えにしゃべりかけられてびっくりしたらしく、素っ頓狂な声をあげて、コーネリアスは──彼にしては──機敏に振り向いた。神木(ミルテ)の鉢であることを確認して、なんだと胸を撫で下ろす。


「びっくりした、通信中だったんだ。……トレンレーツさん、しばらくぶり」

『ミラでいいよ』

「いきなりハードルが高い」


 ははは、と、気持ちのいい親友の声がいつも通り気持ちよく笑った。


『音しか聞いてないけど。なじんでんじゃん、教会領に』

「そう? だと嬉しい」


 他意のない言葉に、コーネリアスも静かに笑った。


「トレンレーツさんはおれのこと、物分かりいい奴って言ってくれたけど。そうでもなかった」


 ──何の話?


 ハリエットの知らないところで、ふたり話したことがあるような口ぶりだ。暖炉の横で青々と繁る神木の鉢植えは、一瞬迷うように沈黙して、『いや』と背筋を伸ばす。


『あんたの事情も知らないで、いい加減なこと言ったわ。ごめん、撤回する』


 無性に胸がざわつく。






 3ヶ月ほど前──つまりハリエットが一度目の無策な求婚を丁寧にお祈りされた直後のことだ。講義の隙間時間がたまたまぶつかった彼らは、学院の渡り廊下で短い立ち話をした、らしい。


 ──あんたが物分かりいい奴でよかったわ。


 コーネリアスが住む世界の違いを率直に示して、身分が低い者に選択肢などないと子爵家嫡子に突きつけてくれたことを、彼女は称えたのだそうだ。苦労すると分かっていて茨の道を進むより、親友には穏便な結婚をして、穏便に暮らして欲しい、と。

 その時の気持ちを──なんと表現したものだろう。

 リュドミラの言うことは、それ自体は何ひとつ間違っていない。ハリエットのことを真摯に思ってかけられた言葉だけれど、どうしようもなく胸が痛んだ。どれほど好意的に解釈しても、「分をわきまえていてくれてよかった」以外の意味にならないからだ。

 彼女はそれを撤回してくれたけれど──。

 コーネリアスはこれから、同種のことを何度言われることになるだろう。

 何より──自分が恐ろしかった。大切な人同士が互いを認め合ってくれること、それは間違いなく自分も望んだことなはずなのに。

 親友の言葉に、かっこいい人だなあと呆れたように笑う恋人の顔を見ていると、迷子の子供みたいな気持ちになった。

 何がそんなに不安なのだろう。




 クォ──……ン……




 凍りついた湖上に、晩課のカリヨンが響く。

 湖群から1マイル半ほど西、ヴェルナセーメ聖心教会には、鐘の名手がいる。水車式自動打刻に切り替えていく教会も少なくない中、鹿の目をした穏やかな老修道師が手ずから鳴らしている。興が乗ると、ゆったりとしたテンポで聖歌の一節を奏でることがあり、今日はちょうどその日だった。

 大きな弧を描いて、ゆっくりと湖面を巡る。

 聖国北部の低地では、こんな風に靴に刃をつけて、凍った水面を移動する光景が当たり前に見られる。子供の遊びであったり荷運びの足であったり、目的は様々だけれど、決して珍しい風習ではない。

 でも──。

 浮力制御に長けたヘーゼの子供たちは、他領のように、木の枝を歩行杖のようについて歩いたりはしない。跳んだり跳ねたりすることこそ禁じられているものの、陸の上より自由に駆け回り、速さを競う姿も冬の風物詩である。

 美しい領主家の子供たちの氷上散歩は見た目にも華やかで、絵姿になったこともあるほどだ。


 薄い金属の刃が氷を削る。

 軌道を変えるため、少女は大きく手を広げた。頭から糸で吊られたみたいに背筋を伸ばし、湖の端を折り返す。

 こうしていると、翼があるように見えるのだそうだ。自分の姿を自分で見ることはできないから、どこまでも聞いた話ではあるけれど。

 生成りのリネンワンピース、白いウールのガウンにアイボリーのマントがはためく。

 上から下までほとんど白で統一された、日常と非日常の間のような(よそお)いは、衣装に一家言ある従者が選んだものだ。同い歳なのに不思議なくらいハリエットに傾倒していて、「お嬢様の強火担」などと公言してはばからない。


 全身白は美少女にのみ許された組み合わせなんです、だっけ。

 小さく笑みがこぼれた。自分が美しいことも、こんな俗な思い出し笑いをしているようにはとても見えないことも──聖歌の鐘の中、この姿で日暮れ前の氷上を舞う様がどんな印象になるかも、ハリエットはよく知っている。

 名画でも眺めるみたいに見送られてしまう人の前では、なんの威力もないけれど。そんなことより、足元の刃がどんな力学で動いているのか、その制御術の方がよほど彼の目を惹くことができる。

 本当にそう思っていた。つい昨日まで。






Evil and Flowers(piano Version)/BONNIE PINK


重い女の生態について、描写に詰まりすぎて「職業・占い師」のお友達に相談しました。

©︎入れた方がいいくらい全面に活かしている……

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