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路地裏の小さな家

時間軸的に少し先の話、21:30くらい。次に回想がきたり、少し前後します。



「さっむ」


 震えながら水回りの魔道具を起動していると、ハリエットが暖炉に火を入れてくれた。兄妹も巻き込んで話し込んでいるうち、いつの間にかすっかり夜も更けている。

 ギルドが最低限の管理はしてくれているけれど、半年ほど足を向けていなかった小さな家は、人を招くにしては色々と足りない。先に来て手を入れておけばよかった。


「ありがと」

「いいえ、どういたしまして。水も汲んでくるわよ? 井戸は遠いの?」


 裏口の採光窓からきょろきょろと外を見ながら、ハリエットなそんなことを言った。すぐに座ってくつろぐというわけにもいかない状態だと完全にバレている。うーん、申し訳ない。


「さすがにそこまでは。お客さんだし」

「働かざる者食うべからず! って、母の教えなの」

「修道院長閣下って感じだなあ……」


 とても宗教者の言葉とは思えない。笑ってしまった。蚊の鳴くような火魔法で、竈には自分で火を入れる。

 ブレオステハ大修道院の長は、何だか分からないがやけに先進的な人なのだった。泥炭地の農村に生まれた少女が、見たことも聞いたこともないような概念をいくつも打ち立てていく様には、神託の呼び声も高かったのだそうだ。20代の若さで解釈戦争を勝ち抜き、元は干拓地の倹しい礼拝所だった修道院を中心に経済特区を築いた。聖国の教育や医療はこの三十年で目覚しい進歩を遂げたが、かの地に端を発した改革も多い。

 一度だけ遠目に見たことがある。ものすごくパワーがあって、周りが圧倒されていた。天才とはああいう人のことをいうのだろう。


「でも、水は本当に大丈夫だから座って。この辺海が近いから、地下水は危なくて。井戸が普及してないんだ」

「何かに汚染されるの?」

「いや、単にしょっぱい」

「確かにそれは、逆に身体に悪いかも」

「だからこの辺は、マットの作った転水盤(これ)が主流」

「雨水槽……ではないのね」


 木枠の補助タンクを覗き込んだハリエットに、魔石のソケットを外して構造を説明する。この辺りの配水は、沿岸の浄水場で作った浄水を魔石で()()する仕組みだ。水くらいシンプルなら転送できるんじゃね? などと言い出した時は軽く気が遠くなったものだった。きっとできるだろう、事実できたわけだけども!

 クラウスの兄妹の恐ろしいところは、その動物的なひらめきに〈たぶんこんな風にすればできる〉というおぼろげな裏打ちがあることである。おかげで、聞いただけでできそうなことだけは分かる。実装までの道のりを思うと、時々膝から崩れそうになるけれど。


「……どうした? ああ、座ってって言っても、座るとこないか」


 窓辺に立ったまま、革張りの鞄をごそごそ探っているハリエットを見てようやく気づいた。目抜き通りに面したギルドの事務所の脇、入り組んだ路地の入口辺りにこの家はある。面積を抑えるため、小部屋を縦に積んだだけのささやかな二階建てで、造りつけの調理場と竈の他には、食卓を兼ねたテーブルと椅子が二脚あるきりだ。親子ふたり暮らしの町屋なら可もなく不可もない間取りではあるけれど、人を招くような造りではない。


 幼い頃から修道院に出入りしていたハリエットは、質素な調度や家事労働に抵抗を示さないためつい忘れがちだが、正真正銘のご令嬢なのである。良くないな、と、コーネリアスは今更のように頭を掻いた。王都にいる時はちゃんと弁えていたのに、慣れ親しんだ土地に戻って油断したのだろうか。

 この人を、こんなところに連れてくることになるとはそもそも思わなかったけれど。


「あったわ。これ! ごめんなさいコーネリアス、少し下がって」

「えっ」


 朗らかな声とともに、白い手がズルッ……と腰のベルトポーチから巨大なものを取り出した。いや、大きすぎるでしょ。どう見ても縮尺がおかしい。小間使いの少年が着けているような蓋つき道具挿しの口から、子供の背丈くらいの──なんだこれ、長椅子? ──が出てくる。


 ──マジックバッグか。


 大きな物を持ち歩くでもなし、そもそも高いので興味を持ったことがなかったけれど、最近の空間系魔道具はこんなサイズも入るらしい。「えいっ」と緊張感のない声かけで目の前に置かれた家具を呆然と眺める。

 ゴトン! と、派手な音がした。

 背の高い波型の背もたれに、しっかりとした肘かけがついた詰物入りの長椅子だった。一見して、貴族向けの馬車の座席をそのまま取り外したような形状だ。濃紺のベルベットに、銀糸で細かい刺繍が入っている。フレームは黒ずんだ木材で、しっかりとした4本の脚が本体を支えている。


「父がオマール領から輸入した、珍しい家具を真似したんだけど」

「子爵夫君が?」


 覇気の塊のような妻に、いつでも静かに寄り添っている理知的な紳士を思い出す。堅実を絵に描いたような人に、意外な道楽があったものだ。


「回復魔法を縫い込んで使うんですって。冒険者の宿とか、治療院でも使われているそうよ。面白そうだと思って作ってみたの」

「君が?」

「あっ、もちろん椅子自体は職人にお願いしたわ。マテウスさんとコーネリアスの関係とおんなじね。私は魔法を縫い込んだだけ」


 マテウスさん、か。今日1日で随分打ち解けたようだ。全然違うところで繋がった人たちが、自分を介してその輪を広げていくのは、とても不思議な感触だった。面映い気持ちになる。


「だけ、ってことはないよ。むしろ心臓部だ」

「ふふ。……ね、座ってみて! 病気や怪我を治す紋ではないけど、疲れはとれるはずなの」

「へえ」


 これも立派な魔道具だ。冒険者宿も治療院も分かるけれど、富裕層に人気が出そうだな……と思いながら座ってみると、あまりにふかふかでびっくりした。変な声が出る。


「ひえっ」

「駄目? 座り心地悪いかしら」

「いや、なんていうか、こう……う──ん……寝そう……」


 椅子に腰かけただけなのに、覿面に瞼が重くなってきた。いや、ここで寝たらまずい。魔法のかかり具合も調整しないと、なのに、……


 ピィ──。


 耳に突き刺さる音が夜気を裂いた。湯が沸いたのだ。慌てて長椅子を飛び降りる。恐るべし聖魔法、一瞬で寝落ちするところだった。正直ものすごく名残惜しい。あのまま眠ったらきっと天国なのに。


「もう休みましょうか。この魔法が効くってことは、すごーく疲れてるってことだから。お茶はまたでいいわ。明日も忙しいし」

「そうだな。この湯は、乾燥月桂樹を戻すのに使うから。あとで部屋に持ってくよ」


 もう正直、今日は色々ありすぎて限界だ。眠い目を擦りながら火を止める。

「私も疲れちゃった」

 背ろから、場違いに明るい声がした。明らかに空元気だ。

「ごめんなさい、泣いたりして」

「君は悪くない」


 食い気味に答える。

 今にも寝落ちしそうだとしても、相変わらず怒りは鮮明にここにあった。上級魔法使い二人とみっちり仕込んだ(すべ)だ。彼らも怒っていた。この家を選んだのだって、母屋とは対角線上にあって、一番都合が良かったからだ。絶対にあの馬鹿を振り払ってみせる。

 もはや執念である。


「案内する。ついて来て……」


 眉間を押さえながら、暗い階段の先へ踏み出す。謝罪なんて受けない。追いかけられている方が謝ることなんてない。そんなこと、あってたまるか。……

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