ピアノガール
〝せっかく領地の降誕祭を紹介しようと思ってたのに、どうして私に黙っていなくなったの? びっくりさせないでくれないかな!……〟
「おい止めろ止めろ! 鳥肌が脳に達して死ぬ!」
「止めるってどうやって!?」
「どっ……紙だろ!? 燃えねーの!?」
「燃えないって! 公爵家の“鳩”だろ!?」
やっぱりか。そんな気はしていたけど、絶望的な報告を聞いてマテウスは膝を抱えそうになった。
王族とそれに準ずる者だけが使える高位通信魔法である。血統により制御され、血族でない者が形だけ真似ても再現することはできない。正式なものは紋章が組み込まれており、受取人以外は触れることすらできない仕組みとなっている。各種魔法耐性もそれはご立派なものだ。縁もゆかりもない魔法使いにあっさり捕えられたところをみると、これはどうやら簡易版のようだが──。
〝でも、やっぱり君は期待を裏切らない。ヴァンダレインの名を聞いた時、私は笑みを浮かべざるを得なかっ——〟
「……おい。コレがなんでハリエット嬢の居場所知ってんだ? 追跡魔法でもかけられてんの?」
「ありえない。クラウスの兄妹の目を掻い潜れる探知なんかないだろ。……普通は」
きっぱりと絶大な信頼をお寄せいただき、気分がいい。まあそれはそうなんだけど? 王族のチートとかあるかもしれないし?
気色悪い手紙はその後も滔々と続いた。戦場でもないのに簡易版を送って寄越したということは、本人以外に読まれてもいいと思って出したんだろうに、読み上げが止められないってどういうことだ。他人に聞かせてもいいと思ってたってこと? これを!?
露出狂の考えることはよく分からない。もしかして牽制のつもりなんだろうか。
〝私も君にサプライズを用意して、向かうよ。楽しみにしていて。君の笑顔が、私にとって何よりの贈り物——〟
おそらく結びの言葉らしい行で、耐えきれなくなったマテウスは思わず数歩後ずさった。サプライズじゃねーよ。お前の存在がアメイジングだわ。
「おいコレ本気でやべーやつだ。来るじゃん」
「やばいんだよ。アレは本当にやばい。……どうやって探知したんだ。本体が来るのもまずいけど、探知の理屈が分かんないと逃げることもできない」
「そうだなあ。こんな恐怖レターとても本人には見せられんし……、ミネだけこっそり起こして探らせるか?」
「……待った。ハリエット達、今は寝てるんだよな?」
「俺がここに来た時にはそう。30分は経ってるから、起きたかもしれんけど」
「アレがこの恐怖レターを王都から出したとして、30分じゃ着かないよな」
「飛んでくる時は鳩だろうから風向きにもよるけど、簡易版だし。小一時間は堅いな」
「夢じゃないのか?」
「夢——属性探知か」
こいつこんなイラついた声出せたんだ。意外に思いながらコーネリアスを見ると、片手で口元を覆って虚空を睨みつけながら熟考していた。この無気力な男にしては相当な怒りの表現だ。だいぶ腹に据えかねたと見える。
いや、もう、ものすごく胸糞は悪いけども!
「──マチェ兄。コーディ」
潜めた声がした。振り向くと、健康的に日焼けしたはずの肌を紙のように白くして、ムーンシープのみたいなふわふわの巻き毛を解いたまま、呆然とした表情のウィレミナが燭台の下に立っていた。
「ねえ、今、何が来たの」
「あー、お前も聞いちゃった? 俺もまだ鳥肌治まんない」
「マット、違う。──ミネ。何を見た?」
よく回る兄の口を制して、コーネリアスは震える妹の顔を覗き込む。ウィレミナの反応は、完全に一般的な都市の少女が苦手な虫を見た時のそれだった。マテウスより若干防御に傾いているとはいえ、ウィレミナも上級魔法使いとして、ダンジョンの深層に単独で潜れる程度には度胸も場数もある冒険者だ。彼女がこんなに動揺する以上は、余程ろくでもない光景を目の当たりにしたに違いないのだ。
両手で自身を抱きしめて、いかにも気味悪そうにウィレミナは言葉を吐き出す。
「起きたら、なんか……変な感じがしたから……地脈も異常ないし、空間系の操作の形跡もないし……なんとなく夢の記憶を取り出してみたの。そしたら……」
「そしたら?」
「なんか……空間がゴージャスなサロンみたいなのになってて……キラッキラした人型が……」
「もう絶対確定じゃねーか。なんなの? バカなの? なんで夢属性探知なのに隠さねーんだよ。見せつけるスタイル?」
バン! と乱暴に倉庫の戸を閉めたマテウスは、妹の肩を抱いて支えながら歩き出す。意味不明すぎて腹が立ってきた。生まれて初めての感情だ。ない方がいい。
夢属性の探知は、極めて珍しい能力である。通常の探知と違って、魔力量の多い人間にもほとんど補足できない。精神干渉にあたるのみならず、希少属性ならではのステルス性の高さに、強い規制がかけられているほどだ。公的な捜査機関以外の人間が行えば、一発で犯罪にあたる。
隠せるものを隠さないだと? 本当に露出狂の考えることは分からない。自己肯定感が高くて結構なことだ。
あの小公爵、確かマテウスと同学年だったはずである。身分差的にも極めて対抗手段の少ない四つも年下の少女相手に、もはや胸糞という表現では生ぬるい。
「コーディ。“鳩”のことは」
「ハリエットが起きたら話そう。隠しても仕方ない。その前に、解決策は見つけとかないと」
「……あんた、怒ってんの?」
「怒ってる?」
兄に支えられながら歩くウィレミナが、目を丸くして問うてくる。心なしか、さっきよりは血色がいい。
怒ってる?
尋ねられて初めて、頭に血が上っていることに気づいた。そうだな、これは、怒りだ。コーネリアスは今、まったくもって冷静ではない。かつてないほど頭が冴えているのに、信じられないほど気が立っている。
「……ああ、怒ってるな。めちゃくちゃ怒ってる。なんなんだアイツ。限度ってもんがあるだろ」
自慢じゃないが、コーネリアスは眠っている時が何より幸福なのだ。次に、人生に欠片も役立ちそうにないややこしいことを考えている時間が続く。身分の高い人間の横暴には慣れきったと思っていたのに。自分の中に、こんなに新鮮に怒れる部分が残っていたとは知らなかった。
今度は何を受信したのか、隣を歩くマテウスが、冗談みたいに目をキラキラさせて、祈るように指を組んだ。悪いけど構ってる時間はない。
「コーディお前」
「人の眠りを邪魔するなんて、万死に値する」
喧嘩はしないけどな、負けるし。口にすると、似てないのにそっくりな兄妹に、びっくりするほど呆れた顔で見られた。
なんと言われようと、この上なく正直な今の気持ちだ。
くるりの名曲です