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Pajama Party




「ギャ────!! それで!? それで!?」

「すごいでしょう!? 叫ばなかった私を褒めてほしい!!」

「えらい!! 淑女!! お母様だったら絶対その場で絶叫してる無理耐えられない」

「思う存分叫んでらっしゃいますね、今」


 ベッドの上でゴロゴロ転がっている主人を横目に、簡素な部屋着姿のマグダレーナは淡々とハーブ湯を淹れる。

 セージとフェンネルという、いかにも薬効あらたかな調合だ。お世辞にも口当たりまろやかとは言えないけれど、飲むとてきめんによく眠れる。文句を言いつつも飲み干すのが、少女時代から続く領主と侍従長の様式美だった。

 領主館の貴賓室である。

 ハリエットが針子頭に連行されている間に、使用人たちが気を遣って支度してくれたのがこの部屋だった。衣装合わせから解放されたハリエットは、整えられた部屋を見るなり──使用人たちに丁重に詫びて、「別の部屋に変えて欲しい」と言った。

 大事なお客様であることに間違いはないのだけど、こんな──巨大な四柱式ベッドが堂々と迎える部屋で、コーネリアスがくつろげるとはとても思えない。ついでに言うとハリエット自身も、こういう部屋はアトラクションの一環であって、くつろぐところではないと思う。

 第一印象は大事なのだ。彼にここで暮らしていけそうだなと思ってもらわなければならない。結果侍従長にはかなりわがままを聞いてもらった。息子のことで世話になった人のためでなければ、普通に叱られていた気がする。

 張り切ってプロデュースした甲斐あって、今のとこと感触は上々だ。

 そうやって余ったおもてなし仕様の部屋を「せっかくなら使わない?」と言い出したのは、例によって母である。マグダレーナはただ、母娘(おやこ)の女子会に完全に巻き込まれた形だ。裸足でベッドに転がっている主たちと違い、いつでも呼び出しに応じられるよう、厚手の靴下とガウンできっちりと纏めている。


「あー、なんか、しみじみしちゃった」


 ひとしきり転がって気が済んだのか、マグダレーナの薬湯を受け取りながら、ブリュンヒルデは芝居がかった仕草で泣き真似を始めた。


「ハティはなんか小さい頃から老成っていうか達観しちゃって……、『私とアンドリースが結婚するのが一番合理的だから』みたいな顔してるんだもの。変な刷り込みしちゃったかなって気にしてたのよ。その娘と恋バナできる日が来るなんてお母様感動」

「お嬢様は本当にそんな感じでしたね。息子もですが。稀に夜会の類に出ても、張りつけたような笑みを浮かべて」

「やめて2人とも、すごく恥ずかしい……」


 子供の身で、全てを分かった気になって増長していた黒歴史である。今にして思えば、何にも分かっていなかったと思う。何にも分かっていなかった。


「でも、恋をするって、幸せだけど怖いことだわ」


 抱えた枕に顔を埋めたまま、消え入りそうな声で娘は言う。


「彼が街の人たちと歩いてるのを見て……、色んな人が一緒にいるのよ? そこに、同い歳くらいの女の子がいるだけで、ひどい気持ちになったわ……」

「あら、お母上に比べたら可愛らしいものですわ。この方、グステン様に馴れ馴れしい女たちを軒並み権謀術数で蹴散らしていったんですから」

「あーいう相談女が一番タチ悪いのよ」


 フン、と不愉快そうに鼻を鳴らして、ブリュンヒルデは南国の海のような美しい目を剣呑に眇めた。発言が完全に悪役令嬢である。

 でも──恐ろしいことに、今は母の言うこともよくわかってしまう。

 相談女。なんとおぞましい概念だろう。断れない性分の無防備な人たちが、親切を搾取されて振り回される様まで目に浮かぶ。


「グステン様がそんな女に御せるとも思いませんけれど」


 安楽椅子に戻ったマグダレーナが、冷静に薬湯をすすりながら水を差す。「んなこたわかってんのよ!」と、大修道院長閣下は威厳のカケラもなく枕をボスンと殴りつけた。子供騙しのスパイスワイン1杯で酔ったのだろうか。


「そうだけど、ホントに困ってたら非情になりきれないのよあの男は! 影から手を回して助けてやって、あっちこっちに信奉者をポコポコ増やしてくんだわ!」

「いやあああ! 目に浮かぶ!!」


 そうよねお父様はそういう人だわ。あまりにも納得してしまった。信奉者の数なら母こそ比じゃないと思うけれど、なんというか彼女の信者たちはおしなべて健全なのだ。妖精みたいに物陰から見守って、家族や領地まで丸ごと箱推ししてくれる。

 父に心酔する人たちは──なんというか、目が怖い時があるのだ。実の子の立場からでさえも。


「お母様も苦労したのね……」

「こればっかりはしょうがないと思ってるわ。『私だけに優しい人間嫌い』がちっとも魅力的に見えない派閥としてはね」

「分かる~……」


 心の底から声が出た。『人間嫌い』が『女嫌い』だったりする事もあるけれど、とにかく女主人公以外には絶対零度の塩対応──みたいなヒーロー像が巷の恋愛劇ではやたらと人気だったりするのだ。愛好する人たちの存在を否定する気はないけれど、あんな奴の何がいいのか正直さっぱり分からない。自分を特別扱いするために、他の人を目の前で足蹴にされたりしたら、百年の恋だって覚めるのではないだろうか。


「リースと私は同志だし、家族みたいなものだから。変に勘繰られたって困るんだけど──『良い臣下がそばにいて良かった』って、あんなにきれいな目で言われると複雑だったわ。主に自分の心の狭さが……」

「不思議な方ではありますね」


  腕組みをしたマグダレーナが、珍しく話に乗ってきた。試案顔で天井を見上げる。


「あちらのご家門のこともあるので、あくまでご学友ということで領民には通していますが──お嬢様に一方的に好意を抱いている者のような扱いを受けても、面白がっておられる節があります」

「それも耐えられないのよ……! 私が跪いて来てもらった婿なんだから! 全世界に発表したい!」

「現実には婚約すらまだですしね」

「レーナ、もう少しなんというかこう、手心というか」


 全く忖度してくれない侍従長にバッサリ切り捨てられて、蓑虫みたいに夜具をかぶって丸くなったハリエットは「うぅ……」と呻き声を上げた。小さなことだと人は言うかもしれないけれど、好きな人──恋人! が不当に貶められているのはつらい。たとえ本人が露ほども気にしていなくても。


「でも、ストーカーの手紙は燃やしちゃえって言うんだ。そこは敵意バリバリなの面白いわね」

「そう! そうなの!」


 母がいいパスを出してくれたので、興奮気味にクッションをポスポス叩いて、ハリエットはさっきした話をもう一度繰り返した。これは本日のサビなので何百回でも話せる。


 ──手紙?


 熱でくしゃくしゃになった銀紙を開いて、林檎の包み焼きを味見してみると、まだ少し真ん中に芯があったので再度着火することになった。ランタンの油を差してくれようとするコーネリアスに、ハリエットが冗談半分に持ち出したのが、王都から今朝届いたというアトラシア領銘入りのワイバーン便だったのだ。

 国家間の速達でもないのに最高級便の無駄遣い、本当に気持ち悪い。2等級下のハヤブサ便でも充分届くのに。


 ──お母様が検閲してくれたんだけど、読まなくてもいいって。

 ──ちょうどいいから燃やそうかな。


 ほんの冗談のつもりで言ったら、絶対にそれがいい、と真顔で返ってきて最高にときめいた。自分の立場や対面のために怒る人じゃないことも。あんなに頭のいい人が、煙が出そうなくらい考えて、自分の気持ちを口にしてくれたことも今はもう知っている。

 安心して欲しい、と彼は言った。それを脅かすから、あの自分に酔った王族のことが嫌いなのだ。

 そんなのもう愛でしかない。


「ううっ……やだもう好き……」

「怖いわ~沼だわ~あの野生のSSR」

「流星公、優秀な当て馬ですね。最速で出した手紙が恋人同士でキャッキャウフフしながら食べるデザートの薪にくべられるとは」

「送り主ごと灰になっちゃえばいいと思うわホント。太陽に当てたら消滅したりしないの?」


 不敬で破戒のコンプリートでも狙っているのかという言いようだけれど、よくできた──よくできすぎた遮音の魔道具あってこそできる狼藉である。寝台の周りだけに展開された非常識な認識阻害空間を見回し、ブリュンヒルデは内心舌を巻いた。

 仕上がりすぎてて気味が悪い。

 ハリエットは呑気に、「認識阻害も入ってるのよ!」などと語っていたけれど──この道具の正体は、そんな生易しい話ではない。

 魔力探知に周到な防御処理を施してあり、使用した形跡すら悟られないようになっている。隠蔽は、隠蔽したという事実に気づかれないことが一番肝要なのだ。そのことをよく理解している設計理念だ。

 完全に無音にはせず、外からは生活音や声のデコイが聞こえる仕掛けでもある。無から発生させているのではなく、周囲に存在するものを転用しているのだと観察していれば分かるが──腰を据えて対抗手段を探らなければ、打ち破る術が思いつかない程度には堅固だ。

 これに転移魔法が一発入ってるって?

 どういう精神力をしているのだ。小さな素体に複数の魔法を込めるのは、それは高度な分割技術を必要とする。すべての魔法が一定以下の魔力消費で起動するようにできていて、だからこそ探知がほとんど不可能なレベルで困難になっている。こんなもの、レシピがあったところでほとんど誰も再現できないだろう。

 一般的に、魔力量とコントロールの精度は完全に比例するとされている。いたって平均的な保有量のコーネリアスになぜこんな芸当が可能なのか──本人に尋いたところで「気合い」に毛が生えた程度の答以外はまず返ってこないやつだ。


 ──道具もまずいけど、()()は5億倍くらいまずいわね。


 発作的に連れてきてしまったことを娘は詫びていたが、可及的速やかに保護できてむしろ良かったぐらいのものだ。「塔の老人」が囲い込むだけある。


「これでネームドじゃないっていうのが信じらんないんだよねぇ……あんなモブがいるかよ……でも顔面は完全にモブなんだよな……」

「何をブツブツ言ってるんです?」


 空になったカップを下げながら、呆れ顔のマグダレーナが目の前でパン、と手を叩いた。猫の子でも追うような扱いだ。鉄面皮の侍従長は、そのまま枕を抱いて丸くなっているハリエットからも、中途半端に巻つけていた夜具を容赦なく剥がした。


「お嬢様。眠るならそれなりの支度をなさらないと、お風邪を召します。ほらお2人とも、そこに横になって」


 主人母娘にまとめてバサリと寝具をかけて、だだっ広いベッドを整えると、マグダレーナは空になった茶器を手早くまとめ引き揚げた。

 母と並んで横になったハリエットが、天使のような頬を薔薇色に染めて、グッと拳を握りしめる。


「侍従長、私やるわ! 美貌でもなんでも使って、未来の夫を篭絡して見せる!」

「お嬢様、発言が完全に悪役令嬢です」

「まあ、聖女が悪役令嬢コースは、それはそれで割とテンプレだから……」


 相変わらず誰も分からないことをブツブツ言っているブリュンヒルデを無視して、マグダレーナは客室の重厚な扉に向け歩き出した。


「──それにしてもお嬢様」


 そのまま退出するかと思いきや、振り向きざま、お小言モードの声が飛んできた。正直なところ、何から叱られるべきか見当もつかないハリエットは、もそもそとベッドの中で居住まいを正す。


「ご本人は否定されるでしょうけれど、一般的な成人したての男性に比べたら、鉢植えの方がよほど近い方です。グイグイ行きすぎて逃げられないようお気をつけなさいませ」

「言い方ァ!」

「それはそう……それはそうなのよ……」







グステンパパはオム・ファタール属性です

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