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12月の天使達




 時結晶が、冬の空のような淡い菫色に染まる頃──。

 居室の準備が調った、などという言い訳とともに様子を見に来たマグダレーナは、ひと段落した様子の聖具室を見てあからさまにほっとした顔をした。「お力添えに感謝します」と、眠そうな顔で手荷物を身につけ直している魔法使いに深々と頭を下げる。

 官僚貴族の従僕か何かのような、雑踏に放り込まれたら背景に溶け込んでしまいそうな地味な(なり)をした少年は、頭を上げた侍従をじっと見上げて、「侍従長」と静かに呼びかけた。

 声まで特徴がないんだなと思う。


「ご子息が心配なら、直接本人に言った方が良かったと思います」

「おっしゃる通りですわ。本当に申し訳ございません。その、当院の実務誓願者は、なんと申しますかこう……敢えて波乱を起こすような者が多く……」

「技術者は割とそんなものだと思います。最終的にどう回収するかの算段も立てていると思うし。でも心配だったんですよね」


 黙って再度頭を下げ直した侍従長を促して、コーネリアスは覚束ない足取りで聖具室を出ていった。去り際に、師だけでなく母親ともちゃんと話をするといい、とでも言いたげな一瞥をくれていくのでバツが悪い。

 静かになった。

 チリン、と、空になった茶器を載せたアムラトの鈴の花を軽く揺らした。本来ならこれで収蔵基地に帰還していくはずなのだけれど、微動だにしない魔道具を見て、少し笑う。


「そうだったな。悪かったって」


 この個体はいささか融通が効かず、少しでも器の載せ方が曲がっていたりしようものなら一向に走り出そうとしない。置き位置を直してやると、納得したようにコトコトと部屋を出ていった。

 母によく似ていると思う。

 誰もいなくなった聖具室の灯を最低限に落とし、アンドリースも帰宿の支度を始めた。この時間になっても誰も戻ってこないということは、他の連中も案外、本当にトラブルに見舞われ難儀しているのかもしれない。様子を見に行ってやりたいのは山々だけれど、何せアンドリースはここに残った収蔵品の動作確認という大役を一人で押しつけられた身である。──こんなに大変だと知っていたら、絶対に一人で受けたりなんかしなかった!


「僕一人の手に余る仕事だからなあ。みんなを手伝ってる余裕なんか、とてもないわ。残念残念」


 帰って寝よ。そう思うと急に眠気に襲われた。重たい扉の鍵を閉めながら、出涸らしみたいになって出ていった魔法使いを思い出す。

 あいつ、眠そうだったな。

 そもそも基本が眠そうな顔をしているのだ。スイッチが入った時と落差が激しすぎる。あの──状況を観察している瞬間の、物体を検分するような目で見られるのは、少しばかりぞっとしない。

 さすがお嬢様だなあ、と、ほの暗い廊下を歩きながら思う。アンドリースに向かって、同質の人間すぎて手を組むには不適格だと言い放ち、別の未来を探しに領地を出ていった。一年も経たぬうち、意気揚々と連れ帰ってきたのが()()だ。確かに何もかもが違うし──間違えた時には、容赦なく鉄槌を降してくるだろう。

 なんだか清々しくなってしまった。そう思いながら、もう片方の心で考える。こんな風に、どんな時でも彼女のすることは正しいと思ってしまうから駄目なのだろう。最初から屈服してしまっている。

 それでは伴侶たり得ない。領主の結婚とは、同盟を結ぶことなのだから。






「あ! いた! コーネリアス!」


 ごめんなさい──と小走りに駆け寄ってくるハリエットは、魔法使いの装束を解かれて、神職によくある生成りの長衣を着せられていた。淡い色のガウンを羽織って、名前は知らないけど髪を半分ほど覆う布をつけている。おお、教会領っぽい。


「? 修道衣(アビトゥス)が珍しい?」

「いや、教会領っぽいなと思って」

「ふふ。教会領よ! ようこそ!」


 本当は「鬼林檎(シュテハプフェル)の花みたいだな」と思ったのだが、すんでのところで発言を踏みとどまった。全草に薬効があり、治療薬から儀式の装置まで手広くカバーする、魔法使いにとってはマルチツールといってもいい最高の植物だけれど、一般的なイメージは完全に「毒」だ。真っ白でヒラヒラした大きな花弁のホルンみたいな花はそれは美しいものの、まず褒め言葉には聞こえないだろう。

 ハリエットは笑うと思うけど。


「せっかく時間があったから、応接室じゃなくて、コーネリアスのお部屋を用意してもらったの。侍従長、あとは私が案内するからもういいわ」


 うきうきと先を促すハリエットに、マグダレーナは打って変わって厳粛な態度で、「そういうわけには参りません」と首を横に振る。


「夜分に、未婚の男女を二人きりにするわけには」

「侍従長……、お母様から聞いてるでしょ? 彼がそんな人だったら、私はここまで求婚に苦労してないのよ!」

「そんなことは百も承知です。お嬢様が無体を働かないようにですわ」

「あ、僕が保護されてるんですね」


 あんまりな言われようである。笑ってしまった。針子頭らしき小父さんに拉致されていった時も思ったけれど、なんとも仲のいい主従だと思う。





 玄関ホールを入ると、乾いた石の匂いがした。

 内陸に来たのだ。強く思う。学院の窓から流れてくる川風、リュベージュの路地裏の石炭や泥炭(ピート)の匂いとは根本的に異なる。

 規律正しく磨かれた空気は、石鹸の香りさえ朗らかな日常より聖域であることを主張していた。同じ紙やインクの匂いでも、なんというか厚みが違う。それでいて、来るものを分け隔てなく鷹揚に受け止める暖かみがあるのだった。

 蜜蝋の甘さに、塗りたての漆喰やハーブの残り香が混ざって、長い廊下の空気をぐっと立体的なものにしている。

 執務室や食堂の脇を抜け、突き当たりの階段を登ると、2階には居室が並んでいるようだった。年末にむけ塗り直したばかりの白い漆喰が、まばらに並ぶ燭台やタペストリーを呑み込むように目の前に伸びている。


「こっちよ」


 住人に招かれるまま、毛織の敷物の上を歩く。決して華美ではなく、控えめだけれど質の良い濃紺の羅紗だ。特段忍んでいるわけでもないのに、足音を面白いほど吸う。

 おそろしく静かだった。廊下の端の、小さな咳払いさえ拾えそうなほど。階段を上りきった角に、壁龕のように漆喰をくりぬいた造りつけの聖水盤があった。教会や礼拝堂にあるものだとばかり思っていたから、居住空間にもあるものなのだと、いちいち新鮮に驚く。

 水面にハーブの小枝が浮かび、アーチ型の石板に何か──丸い図柄のようなものが彫ってある。

 ──聖紋?


「こちらになります。急拵えですので、至らないところも多くございますが」


 侍従長の声で我に返った。通された部屋は、急遽客間に上げられたのであろう、真四角の慎ましやかな部屋だった。扉を開けると対角線上に両開きの窓があり、冴え冴えと月明かりが差し込んでいる。壁際には小さな暖炉が設けられ、薪が赤々と燃えていた。

 木製の簡素なフレームベッドに、真新しい羊毛のマットと清潔なリネンが調えられている。元は補佐官か助手の控室辺りなのだろう、文机と椅子のセットまであった。多忙を極める祝祭期まっただ中に、昨日の今日で設えたにしては充分すぎる調度だ。


「いえ、充分すぎるくらいです。ありがとうございます」

「もったいないお言葉ですわ。当分の間ご滞在と伺っております。少しずつ手を入れさせていただきますので、御要望などございましたら何なりと」

「えっ? 侍従長、待っ」

「さ、もう参りますよお嬢様。明日も早うございますので」


 美しい姿勢で一礼すると、マグダレーナは背後から中を覗き込んでいたハリエットを促し、廊下へ出ていった。

 静かに扉が閉まる。

 ぱちぱちと、薪の爆ぜる音が響き渡るほどにふっつりと音が途絶えた。石造りの館は機密性の高さ故か、かなりの遮音効果を備えているようだ。恐らくは話しながら廊下を歩いていく彼女らの声も、階下の物音も何ひとつこの部屋には届かない。


「……おじゃまします」


 肩にかけた鞄を衣装箱の上に置き、脱いだローブをその傍にたたむ。こざっぱりとした部屋をあらためて見直した。


 ──領主邸も修道院の母屋を兼ねてるから。

 ──見たら納得すると思うわ。


 青瑠璃亭で、「もっと小さな部屋でもよかった」と話していた時の、ハリエットの言葉を思い出す。確かに納得した。広さこそ充分あるものの、ヘーゼ家の領主館は、所領を預かる貴族の邸宅としては相当に質素なものだった。必要なものが必要なだけ置かれた調度の数々も、上質ではあるものの、豪奢な印象はまるで受けない。

 なんというか──すごく落ち着く。

 まっさらなリネンに腰を下ろそうとして、ふと、廊下の端にあった聖水盤を思い出した。寒い真冬の夜に、澄んだ水をなみなみと湛え、蝋燭の火を反射してゆらゆら揺れていた──あの石板と盤の底に、意味ありげに彫られた円形の図。何か意味があるのだろうか。

 そっとドアを開ける。

 階段の傍、年月に磨かれた黒木の手すりの横に、相変わらずその装置はあった。壁をはたいたばかりの粉の匂いに混じって、微かに漂ってくるハーブの香り、これはタイムだろうか。水に浮かぶ小枝が、ゆったりと流れる水に乗って揺らいでいる。

 ──流れる?


「それ、何かの模様に見えるでしょう?」


 悲鳴を上げるかと思った。

 突然背後からかかる声に振り向くと、いたずらを成功させた子供の顔をしたハリエットが立っていた。くすくすと笑いながら、すぐ隣から水盤を覗き込む。


「びっ……くりしたあ……」

「脅かしてごめんなさい。コーネリアスは、この聖水盤が気になると思ったわ。この絵図、特に意味はないのよ。排水機構なの」

「排水?」

「お母様のアイディアよ。造りつけの聖水盤は、水が濁りやすいから」

「あー、なるほど、賢い」


 それで小枝がぷかぷか浮かんでいるのか。風もないのに、何で動いているのだろうと不思議に思っていた。

 そもそもコーネリアスの認識では、聖水盤とは花瓶や手水と同じように、調度品として置いてあるものだ。こんな風に壁を削って、ニッチのようにして設置するものではない。なぜそうなっているのかは、ハリエットにも分からないらしい。小さい頃からずっと見ていたから、不思議に思ったことがなかった、という。


「明日の朝食はみんな揃うと思うわ。お母様に尋いてみようかな」

「おお、なんか、緊張してきた……」

「会えばわかると思うけど、緊張して損したって思うわよ。きっと」


 元きた方へゆっくり歩き出しながら、どうでもいいことを話す。誰もいない廊下は相変わらず静かで、階段にほど近いコーネリアスの部屋にはすぐたどり着いてしまった。

 ごめんなさい、と、立ち止まった少女が小さく呟く。


「リュベージュから、ずっと一緒だったから。なんだか寂しくて。私、子供みたい」


 本当に幼子みたいな顔をして、ハリエットはしょんぼりと続けた。薄い布の下から、チリ、と翠砂の雫の音がする。


「ハリエットは悪くないのに、なんかいつも謝ってるな」


 思ったことを、思った通りの言葉で告げると、少女は弾かれたように顔を上げて──くしゃくしゃの泣き顔で無理やり笑った。薄墨色のガウンの袖を羽根みたいにがばっと広げて、いきなり抱きつかれる。

 うー、と、やり場のない感情が鳴き声になって降ってきた。ぐすぐす泣く声に混じって、「好きィ……」とむずかるような声が呻いている。何が何だか分からないけれど、たぶん悪い涙ではないはずだ。

 うん。

 そうだな。

 突然腑に落ちた。抱きしめ返すと、細い肩が小刻みに震えているのがわかった。他人から突きつけられた言葉でなく、やっと自分の中で、形になったような気がする。

「おれもだ」

 呟くと、膝から崩れ落ちそうな安堵に襲われた。

 ああ、

 このまま眠ってしまいたい。……





鬼林檎(Stechäpfel)=ダチュラ

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