おもちゃ箱
双塔の大修道院の窓という窓から、柔らかい灯りが洩れている。
外回廊の両脇には、巡礼者や旅芸人、夜半の施しを待つ人びとの列が、焚き火の周りにうずくまっている。根雪が炎を照り返し、彼らの顔を赤く染めていた。石段を上がった先、扉の傍の控えの間では、巡礼証明の印を押す音と、祈帳を走るペンの音が絶え間なく続く。
修道師見習いの少年が、食糧の入った布袋を胸元に抱え、施療院の方角へ駆けていく。その先から漂うのは、薬草と湯気入り混じった独特の匂いだ。かすかに咳き込む声さえ届くような気がする。
厳冬月の27日。教会暦でなく、天体観測に従い祝祭期間を設けるヘーゼ領は、祝祭3日目の多忙を極めていた。各地から集まる巡礼者や来賓の接遇、駆け込みで押し寄せる傷病者の受け入れに加え、「慈子祭」を明日に控えているとなれば、一人として遊んでいられるものなどいない。
「あっ! お嬢様!」
「聖女様がお戻りです!」
「お嬢様ァ! ちょうどよかった! 慈子祭は明日でございます! さあさ丈の仮合わせからご順にお進みを!」
「えっ」
奥から駆け出してきた修道師──袖をたくし上げた修道服に革あてのエプロン、腰に鋏と糸巻き、肩には大きな裁縫籠──針子頭でございと札でも提げているような髭の壮年が、苦労性を絵に描いたような哀愁のある声を張った。鏡写しのごとく瓜二つの修道師の姉弟が、すかさずハリエットの両脇をがっちり固めて回廊を引きずっていく。
「ちょっと待ってってば! そちら、お客様なの! 応接間──いいえ客室にお通しして!」
「この年の瀬に、遊ばせている部屋などございませんわ。領館の方にお通ししてようございますか」
「いいわ、私はあとで──」
「あの」
おそるおそる、といった調子で少年が口を挟むと、ドタバタしていた周囲の人垣がぴたりと動きを止めた。途端に集中する視線に怯みそうになるが、こんな修羅場真っただ中のアウェイで、このまま蚊帳の外に遣られるよりは遥かにマシだ。
暑くもないのに汗が出るのを感じながら、腹を決めて口を開く。
「お手を煩わせて申し訳ありません。僕に何かできることがあれば、お手伝いします」
「なるほど?」
爛々と目を輝かせたのは、先ほど彼を領館に通していいかと確認してきた侍従長だった。上品な藤色の髪をシニヨンにまとめ、軍服を思わす濃紺の詰め襟に、足首あたりまでのロングスカートを隙なく纏っている。
「シュピーゲル様。主人より委細伺っております。魔道具にお詳しいと」
「あー、それはそうですね。仕事なので」
「素晴らしい。当家には現在、魔導に通じている者がおりません。お客様相手に大変恐縮ですが、調律のお手伝いをいただけますか」
「ちょっと!? 私も詳しいわよ!?」
回廊の端っこからハリエットが珍しく大声をあげた。風呂に連行される猫みたいだと思う。
少し笑う。
「大丈夫」
遠くから声をかけると、ゴーレムみたいな修道師二人に担ぎ上げられた少女に、見るからにしょんぼりと見下ろされた。うちの者がごめんなさい、と顔に書いてある。
「ハリエットは、自分の仕事をした方がいい。こういうの、慣れてるし」
デスマに耐性がありすぎるのもどうかとは思う。ただこの瞬間だけは、クラウスの兄妹に感謝した。現場の肌感で言うと、あいつらの無茶振りのほうがずっとやばい。
中庭を横切れば、礼拝堂からは低い聖歌とオルガンの音。聖歌隊に混じって、学寮の子供たちが肩を並べ、不慣れな声を張り上げているのが見える。
脇の渡り廊下では、厨房の下働きが大鍋を抱えて走り回り、普段は沈黙を旨とする聖域も、この夜ばかりは話し声と雑踏が途切れない。
「こちらでございます」
こつ、こつ、と、靴音を響かせて先を歩いていた侍従長が、聖具室の前で歩みを止めた。
「シュピーゲル様には、こちらの魔道具の調律をお願いしたく存じます。聖杯や聖遺物にはお手を触れぬよう、ご注意いただければ。区分は当家の者に案内させますので、ご安心ください。──アンドリース」
室内に声をかけてから、侍従長ははっと思い出したように居住まいを正す。背中に定規でも入れたみたいに伸びた背筋で頭を下げられた。
「これは申し訳ございません。大変な失礼を。侍従長を務めております、マグダレーナ・ファン・エイケンと申します」
良かった。尋くタイミングを逸した感があり、正直ハラハラしていた。存在自体が希薄なので空気の扱いには慣れていたけれど、名前が分からないのは困る。
招き入れられた祭具室は、さすがに壮観なものだった。
石造りの広い部屋の奥に、大理石の作業台がいくつも鎮座している。その周りを囲むように、銀の大燭台や聖杯が、美しく光を反射して並んでいた。正面の壁には、装飾を手入れするための掛け金やフックが整然と備えられている。
その奥に吊るされているのは祭服だろう。白、赤、緑、紫……祭服ってこんな種類あったんだ。不謹慎なことを思う。
作業台のひとつには細工師の専門的な道具が並んでいた。金糸のボビン。銀線。針。錫や蝋の融解皿。
あの小さい機器は何だろう。
「息子のアンドリースです。当院には修道誓願を行った金細工師がおりまして。息子はそちらに弟子入りしております。師の方は不在なのですが、道具類の所在などはこの者がご案内できるかと」
アンドリースと呼ばれた少年は、いかにも気の弱そうな表情で、おずおずと母親の傍に進み出てきた。物腰だけなら親近感を覚えたかもしれない。絵画から抜け出てきたような紅顔の美少年であることに気づいて、すぐに認識を改めた。すごいなこの領地。
祭具係のような赤い外套を難なく着こなすアイスブルーの髪の少年は、色味こそ違えど母にそっくりな顔立ちをしていた。言われずとも血縁を感じられるほどだ。表情の作り方ひとつでこんなに印象が変わるものかと、コーネリアスは場違いな感心をしている。
「アンドリース・ファン・エイケンです。あの……よろしくお願いします」
小動物のような可憐な仕草で頭を下げる息子を、なぜか冷えきった目で一瞥して──マグダレーナは気を取り直したように、コーネリアスに向き直る。
「魔道具は奥の棚になります。この者が案内いたしますが、火をお使いになる場合はご報告ください」
「ありがとうございます。でも、なるべくなら使いたくないですよね。火気を出さない方法を中心に考えます」
「お気遣い痛み入ります」
ほっとしたように深く一礼して、侍従長は何とも心苦しそうな顔を作った。
「本来であれば、お客様にお願いするようなことではないのですが……。何分、今夜は立て込んでございまして」
「それは、なんか……タイミング悪くて、むしろすみません」
「ホントだよ」
──えっ?
気のせいだろうか。今、ものすごくドスの効いた声がしたような気がする。辺りを見回すと、仔鹿のような葡萄酒色の瞳と目が合った。いや、気のせいだ。そうであってほしい。
腰に右手を当てたマグダレーナが、反対の手で眉間を揉みしだきながら深いため息をついた。
「……アンドリース。いい加減にしなさい」
──うん、気のせいじゃないかもしれない。
5億年ぶりにブクマ見たら1つ!!!増えてました!!!貴重な読者様!!!ありがとうありがとう




