エルトゥヒトの石通り
ここから4章。
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馬車は滑るように進む。
「船燈石の仕組みって、みんな案外知らないのね」
百年戦争の大号令を受けて、聖魔法にまつろわぬ魔力を初めて公的に主張したのは船乗りだった。都市部ではすでに、商工業の発展と抜き差しならぬ関係にあった魔法使いの魔道具は、安全な内陸に座して動かぬ聖職者の説教などよりよほど、彼らの生活に直結するものだったからだ。
船燈石は、「消えない船燈」である。文字通り、海に出るものの生命を守る仕組みだ。原材料の流通自体、遠洋に出るものの胸先三寸なところがあり──雲の上の道具すぎて興味を持ったことがない、というのが、コーネリアスの正直な感想だった。材料費だけで金貨10枚なんていう世界、ちょっと想像を絶する。
──ああ、でも。
そういうわけにもいかないのかと思う。領地経営に関わるというのは、それぐらいの単位を扱うということだ。興味があるとかないとか、そんな物差しこそ関係がない。
なんでも船燈石とは、浮性の高い石と重性の高い石をセットで封入容器に納め、第五元素の循環を引き起こすことで、燃料に頼らず発光する機構のことだそうだ。その原理で光子が発生することは知っていたけれど、照明器具になるほど純度を高められるとは知らなかった。先人の努力の結晶だろう。
高額にもなろうはずである。浮石や重石といえば、雲を突くような霊峰や、深坑鉱山の底でしか採取できない激レア素材なのだ。そんなものをセットで封入するなんて、と、気が遠くなった。調達の難易度から考えたら、かなり良心的な価格帯なのかもしれない。
「じゃあ、この街の灯りは……」
「ふふ、そんなに身構えなくても大丈夫よ。これは人工的に製造した船燈石なの。船に着けるわけじゃないから、本格的に商品化して売り出す時には、ふさわしい名前をつけないといけないわね」
「人工的に」
感嘆のため息が洩れた。確かに、浮性と重性を込めることができる魔石にはいくつか心当たりがある。廉価で高耐久という条件をつけても、少なくない種類が残るだろう。
実機を見なくてもだいたい原理が分かるのは、優れた魔道具である証拠だ。どれだけ性能や機能が卓越していても、扱える人間が限られるのでは意味がない。
聖堂塔の前から観察している限り、人工燈石の灯りは、主だった辻や建造物の前に限られているようだった。整備された幹道の周りに建つ家々は、よく見れば教会領らしい慎ましい佇まいだ。門灯の類を提げている家もあまりない。
ぽつぽつと点る灯りが衝撃的に見えるほど、夜の闇は深いのだと今にして思う。言われてみれば、宿の灯りや露店の焚き火が至る所にある王都やリュベージュのような都市部では、暗闇をそこまで意識することもないのだろう。
「夜の暗さは、力のない人を危険に晒すっていうのが母の考えなの。私もそう思うわ。弱い人のためにこそ、灯りは必要だと思う」
「確かに。治安が悪いと、割を食うのは結局外層の住民だから」
暗がりは暴力と略取を後押しする。暴漢や野盗に遭うのも、暗がりに足を取られて転ぶのも、結局は弱いものたちだ。素直に納得したので頷くと、ハリエットはどこか、眩しそうに目を細めた。久々の豊潤な夜の灯りに、まだ目が慣れないのだろうか。
ガタンッ。
短い沈黙が落ちたタイミングで、馬車の車輪が橋に乗り上げるのがわかった。ほとんど初めての揺れらしい揺れに、何度でも感心する。もの凄い完成度の高い舗装だと思う。
領内にとどまらず、州全体の大規模な幹線道の整備は、修道院長閣下が襲爵してすぐ、最初に取り組んだ肝入りの政策だと聞いたことがある。なぜ街道整備にこだわったのか、この機に尋くことだってできるかもしれない。楽しみになってきた。
この橋を渡ると、学舎や治療院など、複数の区画からなる大修道院の区域に入るのだという。
「すごい。静かだ」
「落ち着かない?」
「いや、話ができて、すごいなと思う」
我ながら、大声を出すのが苦手な人間並の感想だと思う。答を聞いたハリエットは少し笑って、橋の下の景色に目を移した。
「でもね、この灯り、実はちょっとだけ、市街地側の領民からは苦情も出てるの」
内緒話のような声だ。苦情? と、意外に思ったコーネリアスは首を傾げた。そこまで煌々と照らし出すようになったわけでもなし、動植物への影響も微々たるものだろう。今のところ、デメリットが思いつかない。
ハリエットはまた少し笑って、相変わらず小声で、いたずらの計画のように囁いた。
「虫が多くなって、掃除が大変なんですって」
「あー、教会領は、毎日しっかり清掃してそうだもんな……」
教会地区に暮らす者たちにとって、戒律は生活習慣のようなものだ。他の土地より遥かに差し迫った問題ではあるのだろう。ただ──さすがにちょっと微笑ましくて、笑ってしまった。じつにご当地らしい苦情だ。
「ヘーゼ領の市街地には、野良の鶏とかいないの?」
「いるわ。いるけど、虫を食べてくれるのは良くても、糞害がね……。生き物だし、なかなかいいとこどりはできないわね」
「テイマーを招いたらいいんじゃないかな。リュベージュもそうだけど、都市部は割とそうしてるはず。夜明け前に虫だけ食べてくれて、あとは農村地でのんびり暮らしてくれる、鶏に……」
なる、と言おうとして──聞いている相手がどんどん目をキラキラさせていくので──思わず言い淀んでしまった。
そんな感動されるような話ではない。単に、火の気の多い商都の豆知識である。
「すごい……都会の知恵〜〜〜!!!」
「いいテイマーがいて紹介できるとかじゃないから、ホントにただの情報だけど」
「充分だわ! 明日お父様に相談してみる!」
そこは夫君の管轄なんだ。きっと細かく割り振りが決まっているのだろう。面白い領地だと思う。
学ぶことがきっと多い。
不意に──。
静かになった。
──え?
虚を突かれて、辺りを見回す。薬草園の柵や、何かの施設の建物が暗い塊となって横たわる、先ほどまでと何も変わらない沿道が続いているけれど、この走行音の静かさはほとんど別世界だ。
「この辺りは、奥に治療院もあるから。特に静かになるようにしてるんですって。お母様が職人を困らせながら作ってたわ。詳しい製法は、私たちにもまだ秘密」
「え、凄……こわ……」
凄すぎてもはや怖い。領地に入って半刻もしないうち、驚かされすぎな気がする。これでまだ領館にも着いていないのだから、この先どうなってしまうのだろう。
あはは、と、少女は今度こそ声をあげて笑った。
それから──遠くの空を眺めるような顔で、そうね、と頷く。
「お母様は、確かに怖い人かもしれないわ。──ああ、着いた。あの双塔が、ブレオステハ大修道院。コーネリアスが魔法で彫ってくれた建物よ」
「びっくりするほど似てないな……」
思わず心の声が洩れた。何かの資料で見た記憶を頼りに彫ったのだけれど──人の記憶などアテにならないものである。噛み締める。
正直黒歴史なので、そろそろ忘れて欲しい。コーネリアスという人間は、できないことの方が多い人間だけれど、中でも特に絵心はない。
弟にもよく、笑われたものだ。




