魔法使いの条件
魔法使いギルドに登録すればいいのよね。
近いうち、そんな機会もあるだろうと思っていた。リュベージュのギルドの人足として出向くのだから、当地で登録するのが筋──でないと関所も通れないのだし──と思って、しごく素直に口にしたことだったけれど、コーネリアスには絶句されてしまった。
あ、珍しい表情。レアスチルを心のマジックバッグに収めつつ、何くわぬ顔で訊き返す。
「あら、いけない?」
「いや、いけなくはない、っていうか……魔法使い……?」
ハリエットが魔法使い……? と、信じられないものでも見たように復唱されてしまった。既存の概念にとらわれない、柔軟な人にしては珍しい悩みようだ。
それもそうか。いくら四大魔法を惜しみなく駆使していようが、身体強化が生活の知恵みたいになっていようが、教会領のハリエットといえば聖魔法の使い手、聖なる乙女の愛し子なのだ。
「聖女」は「聖女」であって、魔法使いではない。一般常識では。
ふっと息を吐いた。こういう時の自分が、人を権威で誘惑する顔になるということは知っているので、殊更軽い調子を作り、腕組みをしてみせる。
「コーネリアス。魔法使いの定義を教えて」
「……3つ以上の属性を持ち、5歳までに教会の鑑定で、水晶に規定値以上の魔力を注いだ者。10歳までに魔法使いに師事し、魔力の養成に努め、15歳でマスターレベル、の……」
「──認定を受ける属性が一つでもあれば、魔法使いは出自も職能も問わないはずよ。さあ、私は魔法使いたりえないかしら?」
半ば以上確信を持って、友人の顔をまっすぐに見た。
いつもどこか、半分のこの世界に向いていないかのような、茫洋としたそれが何かに興味を抱く瞬間が、ハリエットはずっと欲しかった。
弦を絞るように、二色の双眸が焦点を結んでいく。ぞくぞくとした。何か熱いものが皮膚を透過して、身体の芯に深く刺さるようで。
面白い、と、その目が言っている。
「いや。間違ってない。確かに、君も魔法使いだ。……びっくりした。本当にびっくりした。僕は何を言ってるんだ?」
はは、は、は。ついに空を仰ぐようにして、コーネリアスは目を細めて笑った。見たこともないぐらい大きな口を開けて、鼻のつけ根にぎゅっと皺を寄せて。
何だか眩しそうだった。
いいだけ笑ったあと、少年は別人のように酷薄に目を眇めた。
「聖女が魔法使いを名乗るとなると、──画期的だけど、邪魔の方が多く入るだろうね。どうするのが一番楽か……」
考える、という営為に及ぶとき、彼の目はいっそう容赦のないものになる。対象を見透かし、腑分けでもするような、理解しようとする眼差し。この人はどうやったら、人間にこの目を向けるようになるだろうと──ハリエットはときどき考える。
この大陸に、魔法が使える者は多くいる。
魔力の発現は──古代には風土や血縁が由来と考えられていたが、他ならぬ魔法使い達の研究により、現在では全て否定されている。ハリエットの両親は魔力を持たないし、コーネリアスの魔力量はあの家の中で見るなら突出して低い。
教会は早くに「聖魔法」という区分を定め、祝福により顕現する魔法の権威を独占した。治癒や結界、植物魔法に関するものが多く、経典に記された聖人の名において、何かしらの神託があるのだという。
神が与えたもうた魔法があるならば──何の理由もなく、人に宿る魔力は何だ。
何が授けたのだ。
聖魔法と定義づけられている能力者の誕生に、一定の徴が発生するのは事実だ。地を揺るがすような響きの託宣を、ハリエットも聞くことがある。教会がそれらを早期に囲い込んだことは、あながち的外れでもないし、おそらくは他意もなかったのだろう。
しかし──一定の魔法に権威を与えたことで、それ以外の魔法に向けられたのは、純粋な恐怖と迫害だった。
時に奇妙な生体素材を集め、未知の言語体系を操る集団を、人心は異形のものとして認識した。目を背けたくなるような、素朴な人間の獣性は、当主教育を受けるようになって初めて触れた歴史だ。
教会はここで、不作為を貫いた。
数百年にわたって、「魔法使い」の受難は続いた。彼らの地位が改善されたのは、まだほんの80年ほど前──「百年戦争」と呼ばれる泥沼の戦乱を収めるため、当時の王政が強い魔力を必要としたからだ。
王命により、「魔法使い」は国家の管理下に置かれた。官職として積極に重用し、公然に排斥することを全面的に禁じた。
王宮に迎え入れられた魔法使いの中には、貴族に準ずる地位を得るものも出た。彼らに与えられた研鑽と実装の組織、通称「塔」での研究が、魔力の顕現に関する定説を発表したのもこの時代のことだ。
教会は満を持して、「塔」の宣言を追認した。5歳になった子どもが、各地の礼拝堂で魔力鑑定を受けられる体制が整ったのも、教会の全面的な協力によるものだった。
ずっと沈黙を保っていた命題に、この時初めて旗色を示したのは、最低でも日和見の誹りを免れない──と、固い表情で母は語った。よほど思うところがあったのだろう。両親はこの年代記を編纂することに、人生の半分を費やした。ハリエットもまた、その意志を継いで記録を続けることを決めている。
「塔」は、魔法使いの保護に手を尽くした。貴族にも平民にも、神にまつろわぬ魔力持ちはまるで偶発的に生まれる。「魔法使い」の認定が広く門扉を開いているのは、こうした経緯によるものだ。
神の気紛れか何かなのだろうと、民の方があっさりと割り切ったようだ。王都の世襲貴族の方が、代々伝わる因習の残滓を未だに引きずっている。
魔法使いは、羨望を受ける存在でありながら、ひどく卑しまれてもいる。名誉ある職能であり、時にはっきりと賎業でもある。
世代や身分によって、あまりに意味が異なる。人工的に引き起こされた、急激な変化によるものだ。
「これでよし、と」
商人街の衣裳屋で揃えた、吊るし売りの古着を少し。最低限の薬草類と水筒、路銀、小さな布張りの手帖。車輪のついた革製の鞄に荷物を詰め込んで、ハリエットは小さく伸びをした。蹲って持ち物の選定をしていたから、身体がすっかり固まっている。
賓客扱いで招かれるつもりはない。七日間、それは目まぐるしく働くのだろうから、町娘の支度ぐらいがちょうどいいのだ。
寝台に飛び込むと、灯りを消した。
首にかけた小さな箱を取り出し、じっと見つめる。
「……明日、登録が済んだら杖も買わないとね!」
こんないかにも聖女なアイテムを着けているのだ。杖はできれば伝統的な、重くて長いやつがいい。最近の杖は小型化・軽量化が進んでいて、人によっては魔力繊維樹脂なんてものも使っているらしいけど──何せハリエットには馬鹿力がある。竜骨とか千年樹とか──師匠が持っていたような、これまたいかにもな杖がいい。あれで鉄槌を喰らうと本当に痛い。
ヘーゼ家の家庭教師は、教会領の湖に住む魔法使いだった。子らに四大魔法の属性もあると知った両親が、正式な礼を乞うて招いた人だ。
3つ以上の属性を持ち、5歳の誕生日に教会の鑑定で、水晶を跡形もなく吹っ飛ばすくらいの魔力を注いだ。7歳で迎えた師は魔法使いで、治癒魔法のマスター認定は12歳だ。
そのひとつひとつを、今の自分の思いを、ハリエットは同情とも罪滅ぼしとも思わない。
どう考えても、私は魔法使いでもある。だから名乗るのだ。
そう思った。
簡単に受け入れられるとは思わない。
なかなか投稿のタイミングが思うようにいかない。がんばります…