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うちのネット環境のせいかもしれないんですが、24:00近辺に投稿すると失敗しやすいな…。

後半が切れてたので更新しました!(2025-07-17 06:00)



 自分の感情など、考えたことがなかった。そんなもの、あってもなくても何も変わらない世界で生きてきた。

 「百年戦争」における敵国から、戦争難民として流れてきた母は──メイドとして上がった家で、何ひとつ持たない使い捨ての女として、貴族の子を産むという仕事を得た。

 話にしか聞いたことはないけれど、多分に荒廃した時代だった。平民が貴族の命に逆らうなど、考えつきもしなかったろう。

 欲深い親族が押しかけてきて、縁故を主張することもない孤立した移民は、文句のつけようのないよくできた器だった。

 黙って子を宿し、静かに身を引いて、子が十になるまで、それなり健康に育てた。

 やがてその子を主家に取られる日が来ても、少しばかり悲しげに俯いただけで、名誉なことです、よく励むのですよ、と、あまり抑揚のない声で言った。

 内心など──意識しない方が楽なこともある。少なくとも、母にとってはそうだった。

 優しい人だったと思う。愛された記憶はあるし、人並みに母を慕っていたけれど、(うろ)のような人だったとも思う。

 恐らくは──コーネリアス・フォン・シュピーゲルという人間にも、よく似たところがあるのだ。






「──で、何個こだまの花つなげばいいんだよって思ったから、余ってた時計で継手を作ってみた。これならいちいちはんだ付けしなくていいし」


 職人との話は、やっと今日の本題であるガラス製のパーツの話に移っていた。

 通常の携帯時計は、時結晶の動源が切れてきたら月光を充填する必要があるが、結晶を内蔵したガラス管の上下に金属栓をはめ、両側から銀線を接触させることで、「塔」の魔力が届く場所であれば手動でチャージできる型もある。

 コーネリアスが作った「継手」は、その構造を利用したものだ。有体に言えば、型落ちでお役御免になった時計を分解して、中の時結晶を抜き、代わりに金属線を通した接栓である。金属を通して魔力が伝導する仕組みとなっていて、今までいちいちねじ留めや溶接で接着していた有線接続を、金属線やペグの抜き差しだけで可能にすることができる。

 ガラス管の中を通り、上下の蓋をつなぐ細い金属線の中ほどが結節のようになっているのが目についた。間に合わせにしては丁寧な造りで、銀線の長さを充分に取れなかったとも思えない。だとすればこの結束部にも、何か意味があるのだろう。


 ──また。

 ──とんでもねえもんを作ったな。


 儀式用の蝋燭程度の大きさの、ガラスの筒を光に通しながら、オレントは腹の中でひとり言ちた。あちこち改良は必要になるだろうが、これは魔道具のみならず、物理を利用した機械製品の構造にも革新をもたらすものだ。金属とガラス、せいぜいコルクのみを用いた非常にシンプルな機構だが──だからこそ──どこまで敷衍できるか知れたものではない。

 単純な生産性向上の問題ではない。雑に言えば、魔道具でもなんでもなかった装置や器具に魔力を通せるようになる可能性が出てくるということだ。正直、持ち込まれた相談ごとに乗るだけ乗って、このパーツに関しては見なかったことにしたい。大騒ぎになる予感しかしない。


「釘とかネジに金属線を巻きつけるみたいな、簡単なものも考えたんだけどさ。作ってみようとして気づいたけど、素手で触れないよな」

「使う奴が宙に浮いてるんでもなきゃ、ビリついて作業になんねえな」

「雷魔法でもなければ、死ぬことはないだろうけど。道具としてどうかと思ってたら、ギルドに新型の充填時計が来て。古いやつはもういらないって言ってたから、バラしてみた」

「バラしてみたじゃねえよ。魔法使いギルド本部の払い下げ品だろ。絶対売ろうと思ってた奴いたぞそれ」


 リュベージュ本部なら金回りもいいだろうし、会計担当が白目をむくようなことはなかったと思うが──魔法使いの時計はとにかく長持ちだ。ひとつふたつ前の型落ちが容易に骨董になる。構造も複雑で、名の売れた魔法使いの使用済みというプレミアまでついているのである。蒐集家の市場にでも卸せばちょっとしたものだろう。

 オレント自身は何度か顔を出したことしかない、倉庫や寄合所を揃えた羽振りのいい建物を思い出す。あの調子のいいトロールの倉庫番など、飲み代のアテが外れて泣いているのではなかろうか。


「わかってるだろうが、市場に出す前にギルドかじいさんに相談しろよ。こんなもんいきなり出したら大騒ぎだぞ」

「体力のある生産者に売れるだろうね。でも、実はこれで終わりじゃないんだ」


 希望に満ちたような言葉の割に物憂げに、少年は継手から伸びる銀線の端を手で示した。


「オレントさん、魔力強かったよな。そうだな……、光魔法でいいか。継手をこのランプにつなぐから、めいっぱいの火力で点灯してみてほしい」

「なんだ? 次は壊れねえカンテラか?」

「これ自体は普通のランプだよ。安物の。おれでも力加減を間違うと壊す」

「そんなもん、俺が光魔法叩き込んだら吹っ飛ぶじゃねえか」

「壊すつもりでいっちゃって。たぶん、見れば分かる」


 眉間に皺を寄せながらも、職人は言われるままに光魔法を起動させた。この魔法使いがそうしろというなら、きっと何か意味があるからだ。

 無数の瘢痕が走る、節くれだった手の上にポウ、と光が灯る。

 そのまま導線の先に点そうとして──。


「おい、コーネリアス」

「ん?」

「お前がやけに落ち着いてんの、この──ガラス管に通した線が、真ん中だけ錫で繋いであんのと関係あるか」

「さすがオレントさん、目敏い」


 断熱ガラスの管継手から目を離さずに問うと、同じく光の行方をじっと見つめたまま、コーネリアスは愉快そうに笑った。

 純度の高い銀を伝った魔力が、ほとんど漏発なくガラス中の金属線に伝わる。安いランプが一瞬、眩い光を放った。

 中央の結束部分が──溶岩のような、赤い光を孕む。

 一瞬で──熔け落ちた。


 バチッ……


 ガラス球を弾くような音がして、ランプに通った光がふっと消える。

 ──剪断構造。

 音を立てて唾を飲み込む。

 薄暗くなった部屋に、数瞬、痛むほどの沈黙が落ちる。


「……お前──」

「一定以上の魔力を加えると、導線が切れるようになってる。弱点部位を作っておいて、先にそこが壊れることで、全体の破損を防ぐ仕組み」


 粉引き水車のせん断ピンだとか、衝撃で分解する甲冑のピボットリベットなど、物理的な衝撃が加わると、弱点部位を犠牲にして全壊を防ぐ仕組みは多くの道具に実装されている。強い魔力負荷がかかると可溶部が溶け出すこの継手の仕組みは、そのスナップロックの概念をまるごと伝導の世界に持ち込むものだ。

 これは確かに──。


「固有魔法はある程度以上魔力を上げると維持できなくなるんだ。計算魔法もそう」


 おぼつかない光魔法でランプに灯りを入れて、コーネリアスは淡々と話し始めた。ほとんど水平に傾いた夕刻前の日差しは、この家の2階にいると、ほとんど差し込んでこない。


「でかい会場でたくさんの人に見せて、話をする。たぶん時間もかかるよね。自分で維持できる気がしないから、外部動源を使おうって考えた時に、こういうのがあれば便利だと思った。錫の融点を閾値として、魔力を調節すればいいってことだから。でも」


 これはたぶん、いろんなことに使えるんだろうな。いっそため息混じりに、平坦な声が言う。

 こいつは──なんたってこう、覇気がないのだろう。オレントはガラス管の溶け切れた導芯部を睨みつけながら思う。こんなものは発明としか言いようがない。生み出したのがこの男でなければ、もっと熱に浮かされたような興奮の中で語られていたはずのものだ。

 光。音。熱。浮性。魔力のみならず、あらゆるエネルギーの伝導において、この概念が活きてくる可能性がある。大人が片手で握れる程度のこの小さなパーツが、機械工業の世界に巻き起こす衝撃は想像を絶するものになるだろう。

 うーんと腕組みをして、少年は椅子の背もたれに小さな身体を預けた。ぎし、と、噛み合わせの良くない木組みの軋む音がする。


「正直、アラが多いから精度は上げたいけど、道具として発表したくはないんだよな」

「……普通の道具ならどやしつけてるとこだが、これに関しちゃ俺も同感だ。お前の歳で手に負える発明じゃねえ」

「発明かあ。いいこと言う。じゃあ、誰か有名な発明家に売ってもいいな。力のある大人が持ってた方がいい。こういうのはたぶん、上手く使わないと軍事にめちゃくちゃ役立っちゃうよね」


 嬉しくもなさそうだった理由はそれか。腑に落ちたオレントは黙って肩を竦めるに留める。

 画期的な発明は──その構造や転換が容易であればあるほど、真っ先に軍事に投じられるという事実を否定するのは難しい。おくびにも出さないので忘れがちだけれど、そういえばこいつは戦災難民の子でもあるのだ。

 よくしゃべった、と、独り言のように呟いて、コーネリアスは重たい耐熱ガラスのカップを両手で持った。ぬるくなったチコリ湯を伏し目がちにすする。


「自分で考えて何かを作ってみたの、初めてだったんだよな。だいたいクラウスの兄妹の無茶振りが発端だったから。いきなり物騒なものができちゃって、ちょっと落ち込んだ」

「それはお前のせいじゃねえ」


 困ったように魔法使いが笑うので、それだけは即座に否定した。便利で、画期的で、シンプルなアイディア自体に罪があるわけではないのだ。そうしたものが争いごとに浪費されやすいのは、ひとえに人という生き物の愚かさ故でしかない。

 思いついた者には、何の咎もない。


「原理的にはそうなんだろうけどね。オレントさんは、おれが役に立つって言ってくれたけど。せっかくならもっと平和そうなものがいいよな。こういうきな臭いネタをヘーゼに持ち込みたくない」


 どうやら大真面目に言っているらしいので、犬にするみたいに、乱暴に頭を撫でておいた。これから秘密の開発に加担する大人として、忠告も忘れない。


「なんだお前、教会領のことホント何も知らねえんだな。こういうのこそあの領主に渡した方がいいと思うぞ。いいじゃねえか、持参金だ」

「持参金が現物? って、アリなの……?」


 何重にも納得していない顔で問うので、笑ってしまった。ヘーゼという家が自分を囲い込もうとしていることも、オレントの推察も、自分自身の感情さえも、何ひとつ得心がいっていないという顔だ。

 まあいい。この足で向かうようだし、こればっかりは行ってみないと分からないだろう。宗教特区の中心にありながら、強い経済圏でもあるエルトゥヒト領の大修道院という存在は、どうにも常識で測れない不可思議な場所なのだ。


「……あー、でも、そういえば」


 猫の子のように何もない虚空を見上げながら、コーネリアスは面白そうに、舟舞台の上で写響台を披露した時の話をした。

 音声を記録して好きなだけ反復することができるなんて、後ろ暗いことに使い放題だろうなと思っていたので──ハリエットが言った、「楽器のできる人がいない先にも音楽を届けられる」というあまりにも平和な発想には、なるほどこれが聖女かあ、と素直に感心させられたものだ。


「影縛りを料理に使ったりするんだよな。平和の英才教育だと思う。そう考えると、あの家に渡すのが一番いいのかも。おれには考えつかないような……、分かんないけど、すごく善良な目的に使ってくれそうな気がする」


 嬉しそうに言うので、少年の夢は壊さないでおく。そんな生易しいだけの家でもないのだが──、幸せそうで結構なことだ。





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