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青瑠璃亭




 ハリエット・ファン・ヘーゼは、絵姿が出回っているほど名の知れた聖女である。伝統的なガラス工芸とともに、巡礼の地としても知られるここマルデレならなおのことだ。

 目抜き通りの奥、「青瑠璃亭」と刻まれた木彫り看板をくぐると、老舗の民宿の主人が数人の従業員を引き連れ、慇懃に頭を下げて出迎えた。


「ようこそお越しくださいました。聖女様にはきっと、当館をお選びいただけると思っておりましたわ」


 亭主は恰幅のいい女将だった。傍に控える車軸釘みたいな()()()の館吏と好対照の組み合わせである。聖女が同い年くらいの平民らしき少年を連れ現れた──と聞きつけるなり、逗留先に選ばれると確信していたような口ぶりだ。

 もっとも、マルデレは観光地でもなんでもない工房と巡礼の街である。この青瑠璃亭の他には、大部屋ばかりの商人宿や巡礼宿、領主が構える貴族向けの迎賓館ぐらいしか選択肢がない。図書館か議会の使い走りのような少年の服の端々に、魔法使いの意匠が細かく縫い込まれているのは目端の利く者なら気づくことである。そう考えると消去法にすぎない判断であったのかもしれない。

 ぴったりのお部屋をご用意してございます──と、恭しく通された部屋は、従者用の控室を備えた貴賓室だった。

 淡い蜂蜜色の石造りの壁。青瑠璃の燭台や飾り棚の影が、暖炉の火を受けて微かに揺らめいている。大人が優に3人は寝られるほど仰々しい寝台には、清潔なリネンの囲い布がかかり──それを支えるのは、同じく青瑠璃の立派な支柱だ。

 星模様の大きな開口窓の傍に、香炉の置かれた祈祷台が設えられている。文机は壁際に寄せられ、その背後には、この辺り一帯を巡礼地として盛り立てた聖人の浮き彫りが掲げられていた。派手ではないが、高級感漂う調度だ。

 専用の出入口つきの控えの間とは、扉一枚隔てた続きの間になっている。そちらは簡素な寝台と簡易照明、せいぜい魔導式の置時計がある程度の慎ましい構えだ。

 それこそ()()()()()扱いに異を唱えようとしたハリエットを、押しとどめたのは他でもないコーネリアス自身だった。案内係と主人が退がるのを待って、「逆にちょうどいい」と肩を竦める。


「前きた時にもこの宿には泊まったんだけど、大部屋だったから。こんな個室に通されたら落ち着かない」

「……確かに、ずいぶん立派な部屋だものね。私ももっと普通の部屋が良かったわ」

「ハリエットは、ホント子爵令嬢っぽくないな」

「そう? 子爵って言っても、土地によりけりよ。特に教会領は、領主邸も修道院の母屋を兼ねてるから。見たら納得すると思うわ」

「そっか。これからハリエットの家を見るんだ」


 なんか不思議な感じだ。初めて思い至ったような顔で、少年は感心したように呟いている。相変わらず、この人の時間はゆっくりだ。


「へー、浴室があるんだ。知らなかった」


 文机の上に置かれた宿のしおりを、コーネリアスはしげしげと眺めている。お風呂ですって? それは聞き捨てならない!


「お風呂? 入れるの?」

「貴賓室は貸切? っていうのかな? ひと部屋ごとに専用の浴室があるみたいだ。浴室係にお申し付けくださいってあるから、貴族のスタイルだと思うけど……苦手そうだな……」


 ぱあっと顔を輝かせたハリエットが、みるみるうちに微妙な表情になっていくのを見て、機微に疎い少年もさすがに察した。貴人の入浴のまだるっこしいこと、プライバシーも何もあったものじゃないことは一応知っているので、気持ちは分からなくもない。


「お風呂って、洗身でしょう? 洗身よね……旅の疲れを癒したい時に、そういうの必要なのかしら……」

「うーん……髪とか乾かしてくれるって書いてあるけど、そんなん魔法(じぶん)でやるよね……」

「聖女の儀式ってことにして、立ち入り禁止にしようかしら」

「あー、いいかも。確か沐浴って一人でするもんだし」


 話しながら控えの間に入っていったコーネリアスは、肩掛け鞄を燭台の傍に置くと、筆記具の入ったロールバッグだけを持って戻ってきた。旅装を解いていないところからしても、どこかに出かける気のようだ。


「どこに行くの? お買い物?」

「世話になってる職人がいるから、顔出してくる。買い物とかは明日でいいかな……ハリエットは少し休むだろ」

「うーん……そうね。転移魔法で疲れたし。お風呂も見てみたいし」

「ミネの香箱(ポマンダー)は? 持ってる?」

「あっ、そうね。うっかり寝ちゃった時のために、つけといた方がいいかも」


 マジックバッグに手を突っ込んで、本型の香箱を取り出して見せると、納得したように頷いて、少年は部屋を出ていった。

 夢属性探知(この件)に関しては、彼はハリエット当人よりよほど神経質だと思う。それほどあのストーカーのやりようが美学に反するのだろうけれど、ものすごく心配されている気がしてむずむずする。


 ──まあ、寝ないんだけど。


 脳筋をなめてもらっては困る。ちょっと疲れたけれど、これくらいで動けなくなるようなやわな造りはしていないのだ。

 取り出した香箱はカモフラージュのため枕元に置いて、受付でもらったギルド発行の簡易地図を開いた。

 貴賓室も備えているような民宿の周りには、当然だけれど日用品や贈答用、美術品などを中心に製作する工房が寄り集まっている。コーネリアスの用があるような専門器具の工房は、街の逆側、市場通りを越えた港湾倉庫群の傍に固まっていた。

 これならゆっくり探しものができるだろう。したり顔でマジックバッグをごそごそと探る。

 引っ張り出したのは──舟舞台の建て込みの時に着ていた、木工職人の弟子スタイル一式だ。クリーム色のチュニックに茶色いスカートとゲートル。スカーフで目立つ髪をまとめて、仕上げにフード付きのマントをかぶる。


「──うん、おつかいの弟子に見えるわ!」


 完璧だ。鏡台の前で一人言ちると、全財産どころではない色々が入ったベルトポーチをしっかりと締める。

 仕上げに革の手袋をはめ、防寒も抜かりなく整えると、ハリエットは軽い足取りで部屋を出ていった。

 この街に着いてから──いや、旧校舎の屋上で魔道具を贈られてから、ずっと考えていた。

 やっと巡ってきた、サプライズのチャンスなのだ。




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