クラウスの家令と流星公
予約投稿の日付を一日間違っていました…!本当にすみません…!
「やあ。クラウスの家令かな」
騎士服の青年が笑うと、辺りに陽が射したようになった。
鴉の濡れ羽根のような見事な黒髪を柔らかく中央に分け、画聖が羽根ペンで引いたような、繊細な秀眉は女性的ですらある。「流星公」の二つ名をほしいままとする紺碧の瞳が、冬の光を受けてきらめいている。
すっと通った鼻筋に、左右対称の薄い唇は常に穏やかな弧を描いている。長い睫毛の落とす影が、陶器のような肌を物憂げに揺れていた。
その分野は無案内につき何かまでは分からないが、爽やかな香りまでする。
類稀なる美形である。
ここまで美しいと現実味がない。不敬極まりないことを腹の底で思いながら、魔法使いギルド長邸宅──「クラウスの家令」は恭しく礼をとった。一見枯れ木のような体躯に、麻の外衣を隙なく着こなし、乏しくなり始めた銀髪をきっちりと撫でつけた老家令だ。
「これは殿下、ようこそお運びを。本家令を務めております、ベルトラン・クラーフにございます。当主が舫いを知らぬ筏なのは宮廷もご承知と存じますが、生憎と当主代理も留守にしておりまして。応接を務めさせていただきます」
「先触れもなく、礼を失しているのはこちらだ。クラーフ、か。古の鍵守の一族だな」
鷹揚に頷くと、公子は満足そうに薄く目を細めた。冒険者として第一線を退いてからは、どちらかといえば家名を捨てて生きてきたようなものだったのに、よく学んでいるものだ。
常軌を逸した美しさが取り沙汰されがちな青年はしかし、知略にも長けた施政者でもある。連日のストーキングを目の当たりにしたせいか、坊ちゃんもお嬢様も一向に信じないが──ベルトランの目から見れば、アレクサンデル・フォン・パッヘルベルクという人物は、齢十九とは思えぬほどの傑物だ。
文武両道、品行方正、人徳に篤く権謀術数にも秀でている。聖騎士団に属しながら、内務も外交も決して疎かにはしない。若くして預かった辺境アトラシアを見事に治め、聖国西端の防衛拠点かつ商業拡張の拠点として再評価されるまでに至った。
ストーカーさえしなければ凄い人なのである。ストーキングだけが治らないのだ。
宮中のお歴々が、なぜこの有様を微笑ましい恋物語のように思っているのか理解に苦しむ。色だの恋だの、すっかり枯れて久しいベルトランではあるが、傍目にも本当にどうかと思う。夢探知はないわ。
アレクサンデルは──。
ベルトランの内心の激しい毀誉褒貶など知る由もなく、目の下の薄い皮膚を薔薇色に染めると、なんだか気恥しそうに言った。
「当家の“鳩”が昨夜、この建物の辺りで気配を絶った。私の待ち人がこちらに滞在中のようなんだ。取次いでもらえるだろうか」
「待ち人──でございますか?」
さっそく始まってしまった。
見当もつかないといった顔で首を傾げてみせる。高位通信魔法まで使って梨の礫だった時点で、ある程度察しないものだろうか。この人物の日頃の明晰さをもってすれば、分からないはずがないと思うのだが──。
「エルトゥヒトの聖女殿だ。私の大切な人だよ」
花も羞じらう──と表現するよりない、純朴な少年のように仕草で公子は口元を覆った。公明正大、何憚ることのない青年にしては珍しく、明後日の方を見ている。中てられて頬を染める若い使用人もある中、ベルトランは微動だにせず受け流した。本人を前にしたならともかく、縁もゆかりもないじじい相手に恥じらっても何もならない。
「クラウスが一女の学友ということは承知していたが、これまで特別付き合いがあったようにも見受けられなかったものでね。後手に回ってしまった」
何が?
どうも、さっきから言っていることが不穏だ。要するにノーマークだったということが言いたいのだろうが、そもそもマークする必要は特にないのである。聖女といえども聖務に関係していない間は私人であり、学生でもある十六歳の少女がどこで何をしていようと、王族の預かり知るところではないはずだ。
これは。
──だいぶ質の悪い方のストーカーですな。
改めて、国中の女性が奪い合うとまで言われた白皙の美貌をそれとなく観察した。さっきから聞いていると、言葉の端々に自分のしていることを正確に認識している片鱗がある。今し方の会話で言うなら、子爵令嬢の行動を捕捉している、という自身の行為に、かなりはっきりとした自覚があるようだ。
それでいて、その行為を特に疑問には思っていないということでもある。年端も行かぬ、分別のないご令息ご令嬢が無理を言って家人に探らせるのとは訳が違う。さすがに公爵家全体や国家レベルの機関への干渉は自重しているようだが、私兵レベルの何かは動かしているということだろう。
なかなかに由々しき事態だ。ご令嬢が気の毒という個人的心情もあるが、家令としてお嬢様の命は守らなければならない。
「ああ、ヘーゼ家のご令嬢でございますね。確かに昨夜から当家に逗留されております。ただ、そちらも本日ご不在でして」
「ギルドのことだ。内々に護衛はつけているのだろう?」
恐ろしい若様だ。警護の情報を洩らせと仰せなのだろうか?
「守秘義務に関わりますゆえ、その辺りはご容赦を。なにぶん、聖女のお務めと伺っておりますので。つつがなく計らうよう申しつかっております」
教会から要請されているわけではなく、主人から申しつけられているだけだが、どちらともとれるような言い方に留めた。教会の意志が噛んでいた場合、公爵家といえども迂闊な手出しはできない。聖務が絡むとなればなおのことである。
実際は聖女が教会関係者を巻き込みに行っただけなのだが、明示的に禁じられているわけでもない行為に教会の立場を考慮するのだから、聖女として仁義を切りに行ったという理屈は充分成り立つだろう。この悪魔的な筋を考えたのは、「塔の老人」のところの小僧である。人畜無害そうな顔をしてえげつないハメ技を極めてくる。
「──これを彼女に、渡しに来たんだ」
なんて?
青年は唐突に、真剣な表情で繊細な花の意匠が入った象牙の小箱をどこからともなく取り出した。最近の歌劇の流行りでは、そこから求婚の宝飾品が出てくるものだが、今そんな話してた? 儂、もしかして2、3個話聞き流してた?
そんなわけはないのだが。
「この石は、北銀の冥窟から、ここリュベージュに繋がる蝕の間でしか採れないものだ。ノエルリヒトという」
あまりにも当たり前のように青年が話を続けるので、気味が悪くなってくる。どう考えても会話が成立していないが、これ誰も指摘せんのか? 全員忖度してんの?
大事そうに上げられた深い蓋の下には、案の定艶のあるピローケースに鎮座した指輪が顔を覗かせた。透明度の高い菫色の石に、銀色のインクルージョンがキラキラ輝いている。ギャラリーがほぅ……とため息をつくのが聞こえた。お前たち、仕事せんか。
「ダンジョンの中でも最深層にあたる区域だが──誰かの力を借りるべきことではないから、一人で採ってきた。私のこの誠意を、認めてもらえないだろうか」
なんで?
素朴な疑問が込み上げた。もちろん、おくびにも出さない。
繰り返すが、ここにいるのはご令嬢本人でも、ましてや教会関係者でもない、縁もゆかりもないギルド長の邸宅の家令である。じじいに伝説の宝物クラスの希少石を見せられて、認めてくれと言われても反応に窮する。何を。
多少の同情はあるものの、ベルトラン自身の意志はほとんど先程述べた口上と相違ないのだ。何か意図があって人の恋路の邪魔をしているわけではない。
それにしても、今「一人で行った」と言ったか? あのダンジョンに?
確かに入口こそ北の果ての小島にあるものの、5層しかないため踏破はそれほど困難ではない。しかしそれはあくまで通常のパーティを組んで臨む場合だ。魔法による移動を加味しても、規格外であることに間違いはない。蝕の間の獅子像は対峙した者の心の迷いに反応し試練を与えてくる。この王子、何の迷いもなさそうだから試練も起きんかったかもしれんな。怖くなってきた。
慇懃に頭を垂れ、提案を口にする。
「認めるも認めぬも、そのような立場にありませぬゆえ──ただ、それが殿下の弛まぬ努力の結晶であることは、元冒険者として理解いたします。さて、いかがいたしましょうな。当家が責任をもってお預かりすることも可能ではありますが」
玄関脇の止まり木から、白梟の目を通して眺めている小さな女主人が、余計なことを言うな──とでも言いたげに、ほうと鳴いた。
お嬢様も、気が短くて困りますな。
年寄りを見縊らないでいただきたい。交渉はこれからである。




