賢者が来たりて
七歳になったばかりの、祝祭期のことだ。
私は悪たれ坊主でね。おとなしい兄や妹たちと違って、家の手伝いもあまり真面目にしなかったから──とうとう家長である祖母の逆鱗に触れて。星の聖歌隊に放り込まれたんだ。
教会や教区は、単に信仰の場というだけでなく、地域の教育や福祉を支える存在でもある。聖歌隊の歌い手を務めるのは名誉なことでもあるから、信仰の篤い家が名代として子どもを遣わすことも多いけれど。
実は私のような例も珍しくはないんだよ。手に負えない悪ガキを、怖い先生に叱ってもらおうというわけだ。
ん? 私かい?
今は──往時の自分を眺めているような気持ちになりながら、せいぜい鹿爪らしく説教をしているよ。まったく、両親や祖母の苦労が身につまされる。
はは。
そんなわけで、私は領地を遠く離れて、首座大司教のおわすテムズンにやってきた。ちゃんと仮装もしてね。
集められた子供は、祝祭が始まるまでの二週間ほど、城外の聖ザブラン修道院で寝起きしていたんだ。
修道師が厳しくてね。シスター・ゲルトルートにはいまだに頭が上がらない。
非常に規律正しい生活を送っていたんだが、なんせ悪ガキだからね。歌うのは嫌いじゃなかったが、「歓呼を響かせよ」だの「アヴェ・マリア」だのひたすら歌わされて、もう飽き飽きしていた。
ああ、逃げ出したよ。
24日まで耐えたんだから、そのままおとなしくしとけば良かったのに。今思うとなんであんなことをしたんだろうと思うが、その時はそうするべきだと思ったんだ。
僕の魂がそう言っている! ──なんて、そう思っていた。
修道院の裏には葡萄畑があって、昼間は修道師たちが手入れに来るんだが、その時は夕方に差しかかっていたからね。
そうとも。
本当に馬鹿だろう。寒いなんてもんじゃなかった。一応外出着にはなっていたけどね。
なぜかわからないが、ビスケットを握りしめていた。
なんでだったんだろうな。
畑の石垣に腰かけて、遠くに城内の街の灯りがひとつ、ひとつ、点っていくのを、ぼんやり見ていた。
四時の鐘が鳴った、その時だった。
ああ。
すまない。大丈夫だ。
あの時のことは──いまだにうまく理解できない。飲み込めないんだ。
石垣に座って、地面から少しのところに浮いてる自分の靴を見ていた。
堅苦しい歌にうんざりしていたからね。祖母に教わった、異国の民謡なんかを口ずさんでいた。
不思議な歌でね。歌詞もまるで意味がわからない。
センヴァ──イアマ ──ニヴァ──。
こんな調子だ。
鐘の音がして顔を上げたら──私は、どこにいたと思う。
大聖堂の主祭壇だ。
信じられるか?
テムズン大聖堂だよ。大司教座教会だ。
敷地内に入るだけでも容易じゃない。何重にも許可が要るし、身の証だって必要だ。
そもそも──七歳の子供の足で、正門から中心の祭壇までたどり着くだけでも大変な苦労だろう。
私はいまだに、司祭としてあの場所に立ち入りを許されたことはない。挿絵で見たことがあるくらいだ。
あんなことがなければ、一生触れることがなかっただろう。
あれはそういう場所だ。
パニックしたよ。なんでこんなところに飛ばされたのか知らないが、誰か大人が来たら絶対に怒られると思った。
そう──その時、主祭壇の周りには誰もいなかったんだ。
降誕祭の前日、もう陽も暮れようって頃に、聖餐の配置を確認する司祭も、蝋燭を数えている助祭もいない。式次第を読み上げる偉そうなあの書記もいない。守衛なんか影も形も見当たらない。
そんなことがあると思うかい?
異常だった。
正直、そこがどこかは七歳の私にはわからなかったが、子供がうろついてていい場所じゃないということぐらいはわかった。
夢中で逃げたよ。隠れようと思って、手近で一番地味な、目立たない扉を開けた。
今思うと、あれは聖具室側の小扉だな。
暗い通路に出てね。石の壁にいくつも、扉が並んで。七歳なら怖がりそうなものだけど、その時は「これなら隠れる場所がありそう!」って、それだけを思った。
手当たり次第開けて回ったよ。
聖具室。
控室。
書庫。
礼服室。
神学講義室。……
とにかく滅多に人が来なさそうな部屋が、全然なかった。当たり前だと思う。徹夜祭の直前の大聖堂に、人が出入りしそうもない空間なんてそもそもあるわけがないんだ。
燭台は点ってたし、暖炉に火も入ってる。軽食が広げられている部屋もあった。
どこも今し方まで誰かがそこにいた気配があって、もう半分泣きながら、とうとう通路の突き当たりに来てしまった。
でも、その扉の向こうからは、空の匂いがしたんだ。
隙間から明るい光が洩れていた。あれは太陽だと思ったよ。
外はまだ夕暮れ時だったからね。
助かった! と思って、扉を開けた。
中は──。
真っ昼間だった。
おかしくなったと思ってくれても構わない。でも、どう考えてもそこは、そこだけは昼間だった。
冬の陽は短い。よくて昼過ぎぐらいの太陽が出ていた。
そう、天体が見えたんだ。
丸天井のドームに、この魔法みたいな星の絵が並んでいた。
中央の祭壇に、それは大きな、大人の背丈くらいの天球儀が、恭しく据えられていて。
ああ、そうだな。その、真ん中に地図が浮かんでいるところまで、この魔法と同じだった。
はは。
みんな考えることは一緒か。
千年経っても変わらないんだな。
うん。そうだろうと思う。
三時間五十五分か。確かに、それくらいのずれだったろうな。
その時は、何がなんだか分からなかったけれど──。
私は思うんだ。あの天球儀は、あれは、
絶対にあってはいけないものなんじゃないか。