減衰
※児童虐待に類する表現があります
「馬鹿だ馬鹿だと思っていたが──」
パシン、と小気味よい音を立てて、騎士は手にした紙束で木卓を軽く打った。騎士らしく、結い上げもせず垂らしてある紗ような髪をかき上げ、憤懣やる方ないといった顔で高らかに結ぶ。
「──これほどだとは思わなかったぞ!」
ギシッ、と主座の背もたれが軋みを上げるほど勢いよくもたれかかったクラウディアは、長卓に叩きつけたばかりの調査票の束をずいと向かいの男に突き返した。上等な絹糸でひと針ひと針刺したような凛々しい眉を釣り上げ、燃えるような金の瞳を突き刺すような鋭さで虚空に向ける。
「着の身着のまま氷室に放り込んだだと? 夏に? 我が領の氷室は氷塊調達用に各家に配備させた最大出力の貯蔵庫だぞ。殺人未遂と言うんだこういうのは!」
「仰る通りですね。率直に言って私もそう思います」
──怖。
無表情で壁際に控えたまま、アンドリースは内心ドン引きしている。さっきから、並べられる行状のひとつひとつが「継子いじめ」「冷遇」といった範疇を超えている。
自分の見識が特別広いとも思っていないが、まがりなりにも大修道院の奉仕修道師として、討伐支援に救護にとそれなりあちこち足を伸ばしてきた。その先々で見聞きしたのはせいぜいがところ、衣服や食事に差をつけられるだとか、家の道具としてどこかに縁づけられるといったような話だった。
それらが苦境でないとは言わないけれど、今ここで取り沙汰されている仕打ちとは根本的に質が異なる。
「伯爵の森も舐められたものだな。休猟期の御料林に遺棄しただと?」
──殺す気満々だな。
胸が悪くなりそうな話だ。
郊外にあるホルフェーン伯の狩猟林は、確かに貴族の狩場として整えられた森ではあるものの、迷わず順路を歩くだけでも大人の足で2時間はかかる立派な森だ。土地勘のない者が、足場の悪い冬季、夜ともなればなおさらである。
そもそもが、まっすぐ街の方へ向かってこれるとも限らない。逆側に出てしまえば、北海を望む荒涼とした砂丘が州の果てまで広がっているのみだ。
オフシーズンの人目のない時期、ろくな装備もなく1人で打ち捨てられたら、何で命を落としても不思議はないのだ。
仮にも養い親であるなら、この男がどれだけ非力かよくわかっているはずなのにだ。
瞳だけを動かして、黙って机に向かっている少年の様子を窺う。聞かれて気持ちのいい話ではないのでは、と思ったが──当の本人は気にした風もなく、紙の上に並んでいく文字を淡々と観察していた。
植物のような男だと思う。
何の遮蔽物もなく、接見の空間で堂々と魔法を使っても未咎められることがないのは、それが当然の慣行だからではもちろんない。純粋魔法抵抗の護符越しにもわかる、非常に高度な認識阻害魔法の作用によるものだ。おおよそ4割は威力を殺いでいるはずなのに、気を抜くとそこにいることすら忘れそうになる。
──感知のマスターレベルか。
初めて聞いた時は完全に意表を突かれ、間抜けな反応をしてしまったものだ。感知にもマスターとかあるんだ──と思った。そりゃあるか、法定属性に数えられているわけだし。
正直──。
ほとんどの魔力持ちが生活魔法同然のスキルとして使える初歩の鑑定以外に、思い浮かべられる術式がなかった。認識阻害が精神干渉の区分から移行していたことすら、言われるまですっかり忘れていたくらいだ。
人の意識を触るのではなく、影響を発しないようにする、のだという。
言葉では理解したものの、実際目の当たりにするまでは実感がなかった。
こうして見るとわかる。すぐそこにいるのに、まるで陽炎のように掴みどころがない。
⚸
──え、怖。
パタパタと虫がとまるみたいに並んでいく文字を眺めながら、少年は声に出さずに呟く。あの氷室──確かに一般家庭にあるものとしては異様な威力だと思ったけれど、まさかそんな大掛かりな代物だとは思わなかった。え、最大出力?
死んだらどうするつもりだったのだろう。そして──自他ともに認める非戦闘民族にとって──その可能性は決して低くなかったと言える。これでも一応、万一の際の保険と聞かされていたはずだけど。
──気味悪い子。
厳冬月の10日。陸路で5日、海路でも丸1日以上は確実にかかる距離を呼びつけておいて、領邸の納戸に押し込められた時のことを思い出した。どこからともなく現れた巨大な猫──あいつほんと何だったんだろうな──に半ば押し潰されるようにして眠ったふりをするコーネリアスの姿を見て、げっそりとした声がこぼした言葉だ。
憎しみや悪意を通り越して、心の底から忌まわしいと思っている者の声だった。
最後はもう、どうでも良くなっていたのかも知れない。
気の毒だな、と思った。自分がされてきたことに対してではない。貴族の事情など知ったことではない。いい加減にしてくれとは思う。思うけれど──。
あの夫人もおそらく、尋常な精神状態ではなかったのだろう。異常をきたしている人間の行為に何を問うても、どうしようもないような気もする。
──なんで。
──そんな風になってまで、血が大事なんだろう。
根っから平民として育った、その辺の雑草には正直かけらも理解できない。
滅多に見ることがなかった鏡を、教会領に来てから以前よりは目にすることが増えた。傷口を洗う水のような透き通った赤い右目。珀州とも呼ばれるこの大陸には、花や虫や鳥のように、様々な目や髪の色が溢れている。赤い目など珍しくもない。それ以上の感情が、逆さに振っても出てこない。
──レンバットブルク辺境伯領。
教科書でしか見たことがないような化石のような名前だ。子爵夫妻に聞いてから記録を当たり直したけれど、〝嫡子なくして断絶、傍系姻戚いずれも継承の証なし〟──と、はっきり記されている。
婚姻によりレンバットブルクに入ったばかりだった他家の令嬢が、家門の断絶と死別に伴い実家に送還。後年ツェルゲン家という家門に縁づき、その末裔のさらに傍系が叙勲により立てた家──それがシュピーゲル家という系譜になる。
それはもう──。
「関係ないって言うんだよなぁ」
声に出てしまった。
減衰/鈴木凹
大きな猫とか氷室とか
https://ncode.syosetu.com/n7462km/2
レンバットブルク
https://ncode.syosetu.com/n7462km/80
感知属性
https://ncode.syosetu.com/n7462km/109/
ASR魔法のインクの話までたどり着かなかった!




