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曙光

はちゃめちゃに長くなってしまった

天文台で書くことがこんなにあったとはなー






「……うわ」


 朝か。部屋に差し込む光に、霞む目をしぱしぱと瞬く。ろくに着替えも済ませず寝台に倒れ込んでいたキルスティンは、のろのろとその場に身を起こした。

 ぼさぼさの銀髪を、おざなりに手櫛で解く。

 置き時計の結晶はⅦを差していた。紫水晶に近い色に染まっているところを見ると、8時少し前といったところか。

 懐かしい夢を見た。あれからちょうど10年になるだろうか。



  ⚸



 あの日──自室の戸締りを済ませ、寄宿舎の洗濯士に制服を預けたキルスティンは、天文台の北の円塔にあるヨナスの部屋の前に飛んで帰った。文字通りスヴェリネの邸にも寄らず、まっすぐ飛んで帰ったのだ。すべては、心の底から納得したとは思えない少年に思う存分文句を言わせるためだ。


 ──こわい。

 ──もうどこにも行きたくない。


 少年がどうにか搾り出した短い言葉は、もっとずっと幼い子供のような、拙いものだった。

 伝説の魔法使いとその弟子たちが守る小さな島はとんでもなく安全だ。彼がそう思う気持ちは──箱入り娘には──わからないなりに斟酌はできる。ヨナスがもっと自分勝手で、恩を返すために生きていくことを心に決めたりしてさえいなければ、ずっとここにいればいいとキルスティンだって思う。

 でも──そうではないのだ。

 誰のために犠牲になるのかを、付け替えただけでは意味がない。

 夜中近くまで、ずいぶん色んなことを話した。口論に近くなった瞬間もある。最後には二人とも泣き疲れて眠ってしまった。面映い、あまりにも幼い記憶だ。

 今と同じように、窓を差し込む曙光の眩しさで目覚めた。縋りつくようにして、ぐっすりと眠り込んでいる少年は──身の丈こそ自分と変わらなくなっても──どう見ても寄る辺のない迷子にしか見えなかった。


 ──結婚なんて。


 できるような歳じゃない。心からそう思った。北部の民は特に合理性が強く、母体に不要な負担のかかる早婚を厭う文化がある。そのバイアスがあることを差し引いても、どう考えたって正気の沙汰とは思えない。

 そもそも──16歳成人の制度自体、個人で契約もできない立場の児童への労働搾取を抑制する、社会契約全般の下限設定のようなものだ。15歳以下の未成年は、高額の売買や就業すら後見人なしではできないことが定められている。「結婚だけは何故かできる」なんて、馬鹿げているとしか言いようがない。

 あれから──多くのことが様変わりした。けれどこの考えだけは、20代半ばに差しかかった今でも変わっていない。


 ボォ──……ン……


 遠くで鐘が鳴った。島の中央にある鐘塔が、礼拝日の朝を島民に知らせている。助祭も置いていない小さな教会は、ほとんどの聖務を若い司祭がひとりで回している。キルスティン同様、ほとんど眠っていないだろうに勤勉な男だ。宗教者だからといって、誰もがそうでないことを魔法使いはよく知っている。

 浄化月の2日、聖燭祭当日である。島の諸聖人教会は──事前の三日火こそ常ならぬ大役を担ったけれど──きょう正午の儀式本番には例年通り、ヨナスがひとり慎ましやかに同時点火を行うのだろう。



  ⚸



 言いたいことを言って納得したのか──その翌日、少年は妙にすっきりした顔で「低地(ラーグラント)に行ってみようと思う」と言った。

 そこからはもう、怒涛の入試対策一色だった。現実問題、雲を突く霊峰ソヴジュ山脈より高い倍率の壁を越えなければならないのだから、感傷だのなんだのと眠たいことは言っていられない。

 世話焼きの学者連中に混じって、できる限りの手助けをした。元から頭のいい子供だったことも奏功したのだろう。半年後、無事選抜試験を突破した少年は、秋になる前にこの島を出て行った。



  ⚸



「うー、寒」


 北の円塔の地階に向けて、細い階段を降りる。

 半地下の空間には燃料棚や食料貯蔵庫、洗濯室などがまとまっている。その並びの最奥にあるのが、共用の小さな浴室である。大衆浴場のような大袈裟な設備ではなく、ひとりで使うには広いが、生活全般に頓着しない研究者連中でも2人同時に使うのがせいぜいという絶妙なサイズだ。

 日聖石の手配に出向いた本島の西岸は歴史の古い自然港で、北部のあちこちから様々な渡航者や船舶が集まっている。そうした環境からネヴ島のような内海の小さな島に帰還した際には、教会の衛生指導により入浴が強く推奨される。

 規模のわりに人出入りの激しい学術島では、他地域よりこうした防疫の習慣が徹底されているのである。キルスティン自身にも身に染みついていて、着の身着のまま眠ってしまったことへの後悔が強い。


 ──そういえば。


 この入浴という習慣を公衆衛生の観点から再整備したのも、へーゼ子爵という人の業績だった。かつて街の公衆浴場は基本的に混浴で、端的にいえば性風俗の温床として教会に問題視されていた。そこで子爵閣下が行ったのは、定期的な入浴や洗濯の習慣が疾病予防や乳幼児死亡率減少に寄与することを証明する、長期スパンの社会実験である。

 爪や髪、手足や排泄器官などの洗浄を中心に、水資源や文化に応じて週次〜月次程度の沐浴を習慣として根付かせる。大方の予想通り、その習慣は悪性の感冒や産後の肥立ち、食中毒など広範囲に効果をあらわした。特に冒険者や傷痍軍人の生存率は、素人目にも明らかに改善したように思う。

 直感的に「そうだろうな」と感じることであっても、証明してみせるのは難しい。

 ブリュンヒルデという人は──職階こそ領邦君主兼医療者であるものの──本質的には自分たち研究者と同じ人種なのだろうと、キルスティンは勝手に思っている。



  ⚸



 ヨナスは結局、大学卒業までヘーゼ領に留まっていた。島に戻ってきたのは、ほんの2年前の秋のことだ。「塔」から宮廷天文学者への推挙を取りつけ、あとは聖国議会の承認を待つばかりだったキルスティンが、準備書面の用意に明け暮れていた時季のことだった。

 学位授与が済んだので島に帰る、と、綴られた几帳面な文字が心なしか踊って見える。ほらやっぱり、行ってよかったでしょう? と、誰にともなくドヤ顔になった。

 あのとき──ポロポロ泣いている美少年に絆されて、島に留め置いたりしなくて本当によかった。解釈戦争を勝ち抜き、今や最先端の教義の発信地になったエルトゥヒト大学神学部の学位は、小さな島の諸聖人教会には充分すぎるほどの権威だ。高度な医療福祉を誇る宗教特区なだけあり、医療者としての知見も申し分ない。


 ──やっぱり、帰ってきたよ。


 切り立った海食崖の下の船着場。小さなトランクをひとつ提げた長身の青年が、小さな渡し船を降りながら、ちょっと得意げに笑った。最後に顔を合わせた15歳の夏から考えれば、キルスティンだってそれなり背は伸びたはずなのに──首が痛くなるくらい見上げないと、もう目が合わない。

 落ち着いた声もずいぶん低くなった。すんなり通った鼻筋に、白目の面積が少ないスモーキークォーツの瞳。見違えるほど大人びたのに、ちぐはぐなくらいの純朴さが人目を惹く。短く刈られた初霜みたいな髪と、人目を避けるようにひっそりした笑い方だけに、昔の面影が強くあった。


 ──おかえり。


 崖の上の教会で小舟の到着を待っていたキルスティンは、淑女にあるまじき勢いで船着場まで駆け降りると──大人と子供くらい背丈の離れてしまった青年を見上げて、握手の形に片手を差し出した。友人を迎える態度として、これが一番ふさわしいと思ったからだ。

 ヨナスは──一瞬きょとんとした顔をして、それから嬉しそうに破顔した。

 握り返した手の、すっぽり包み込まれるような大きさを、今もよく憶えている。



  ⚸



 暖房室の横を通り抜け、浴場の重い扉に手をかける。湯殿に投げ込まれた消毒用の薬草の香りが、うっすらと蒸気に混じり漂っていた。

 炭と薪の匂い。

 漆喰を切り出した小箱のような前室で、ひと息に室内着を脱ぎ捨てると、端から回収桶に放り込んだ。「予洗い徹底」と書かれた張り紙のある木戸を押し空けて、浴室をぺたぺたと歩く。

 湯殿から手桶で湯をすくい、勢いよく頭からかぶった。

 石床に水滴の落ちる音が響く。


 帰還した司祭の手により──本当に手作りで──今では島にも小さな湯屋がある。小さな、といっても、この規模の人口が利用するには十分な広さがあり、2年も経てば島民たちもすっかり沐浴に馴染んだように見えた。わざわざヴローネの教会施設まで出向いていたことを思えば、島の中に自前の設備がある事実は彼らの生活向上に確実に寄与しているだろう。


 ──お嬢様の申し付けなんだ。


 教会領から戻ってきたヨナスは、遠い目をしてそんな話をすることが増えた。

 なんでも──自領の良人養成課程について学んだ6歳のご令嬢が、母子爵に「女系領の男の子たちも困っているのではないですか?」と進言したことから、かの地の奨学制度は誕生したのだそうだ。

 なんだそれ。そう思った。6歳?

 人としてのスペックが完全に違う。


 お嬢様と子爵様。特にその2人の話をする時、ヨナスは見たこともないほど複雑な顔をする。遠くにあって、二度と戻れないふるさとへ向けた、憧憬のようなまなざしだ。

 聖水盤の前で、魂を抜かれたみたいな目で、三日火の儀を見つめる茫洋とした横顔。


 ──なんだかなあ。


 世界はなかなか残酷だ。辣腕の子爵とその娘の聖女。絵物語から抜け出てきたように強く賢く美しいキャラクターが、いつだって主役なのだ。

 顔半分が埋まるくらい、木槽の湯に深く浸かる。長いため息がぶくぶくと泡になって消えた。


 ──タリスカルの王女殿下にも失礼です。


 いっそ冷たく感じるほど、おそろしく整った顔のご令嬢の、張りつけたような笑みが目に浮かぶ。〝星の銀貨〟は真実面白かったし、傾国の貴公子と聖女の恋物語に純粋に引き込まれたのも事実だった。

 でも──。


 ──あれが、

 ──本当だったらいいなって。


 思ったからこそ、あんなに夢中になったのかもしれない。……





曙光/Predawn


小さいハリエットはヨナスの回想を書く時が来たら

出すことにしました


〝星の銀貨〟

https://ncode.syosetu.com/n7462km/119/

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