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窓辺の点と線





「──やっぱり、あんたのストーカーなんじゃないのォ?」

師匠(せんせい)それ真面目に言ってる?」

「言ってない」


 リュドミラが話し終えると、一拍置いて真っ先に口火を切ったのはサベリアだった。契約獣を両手で抱き上げ、ぶらぶらさせながらいい加減なことを言う。この内陸の教会領にまで聞こえてくる「聖国の明星」の平和外交の数々を踏まえてそんなことを言っているのか──ハリエットが呆れながら尋ねると、師は悪びれもせず首を横に振った。


「……そこまでのことを単独で行うなら、三大公爵家レベルの力がないと難しい、という意味でしょうか?」


 カタリナが控えめに問いを発した。魔女の言葉を善意に解釈すれば、確かにそういうことになるだろう。興味深そうに弟子の友人の顔をちらりと見て、サベリアは満足げに頷く。


「そうね。私はそう思うけど、子爵閣下はいかがかしら?」

「単独の勢力である必要はないから、可能性のひとつとしてはある、と申し上げておくわ」


 愉快そうに問うた魔女を物憂げに見返して、子爵はサファイアのように澄んだ青の瞳を窓の外に向けた。三連のアーチ開口の向こう、木々の隙間から覗く湖面はいつの間にか小雨に白く煙っていた。地表に落ちた黄金色のブナの葉を、水滴が絶え間なく打ちつけている。


「あら、閣下にしてはずいぶん歯切れが悪くていらっしゃるわね。いつもまるで未来を見通したようなお言葉をくださるのに」

「これまでは、たまたま調べてあったことを尋かれたってだけよ。さすがに海側の隣国の流行はノーマークだったわ」

「おば様は東の内陸の領主様なんだから、知ってる方が怖いと思います」


 リュドミラがそう執り成すと、ブリュンヒルデはどこか自嘲気味に、「そうね」と微笑む。


「私にわかることなんて、本当に限られた範囲のことなのよ。だから、みんなの力を借りたいの」


 いつもパワーに満ち溢れて、周囲を圧倒しているようなこの人にしては珍しく気弱な台詞だ。隣に腰かけたハリエットが、気遣うようにそっと、母の背に手を添える。


「母の見立てでも、今回の件に関して、パッヘルベルは噛んでないだろうって話でした。少なくともアレクサンデル殿下は、こうなって迷惑してる立場だと思うって」

『傍流が加担するメリットがある話でもないものねぇ』


 リュドミラが母からの言伝を付言すると、メルクリオが人間のようなことを言いながら、人間のような顔で顎に前足を当てた。ハリエットも同意するように難しい顔で虚空を見上げて腕組みをする。


「あの辺りにも司教領はあるけど、聖都にもパッヘルベルクにもつかず離れず、日和見な司教様であることは確かだわ。リベルタの工作も有形力の行使というより、地場の産業や文化に入り込んでくるような巧妙なものだそうだし」

「聞いたことある。地元の名産をまず高値で買い上げて、他の販路を絶ってから、いきなり買い叩くんだって」

『怖』


 しゃべりながら、リュドミラが空になったカップを小卓に置くと、すぐ傍に置かれた三脚つきのポットがぐるんと()()()()()()()


 ──え?


 さすがに目を疑った。

 ぱちぱちと金色の目を瞬かせる少女の前で──誰の手も借りずに注ぎ方をカップの方に向けた丸っこいガラスのポットが、蓋の代わりに天頂に載せた濾し器をチリンと跳ね上げる。まるで生きているかのように、刻んだハーブや果皮の入った小網が湯の中でゆらゆらと揺れた。

 間髪容れず、シュッと短い音を立てて、油皿の蝋燭に火がつく。

 三脚の上で、ポットがひとりでにゆっくりと傾いた。新米使用人の初々しい給仕のように、コポコポ……と音を立てて、カップに琥珀色の煮出し湯が注がれていく。


「フェルヴィ、私にもお願い」


 なんでもないことのように言って、ハリエットは湯気を立てるリュドミラのカップを小卓から取り上げ、友人に手渡した。彼女が代わりに自分のカップを置くと、それを待っていたかのようにポットが注ぎ口を傾ける。


沸騰(フェルヴィ)?」

「そうよ。可愛いでしょう、天文台長閣下のアイディアなんですって」


 自動給仕器、とでもいうのか。自律したポットという魔女の館らしい存在に、リュドミラはつくづく感心してしまう。

 花の装飾が入った猫足の真鍮三脚。細部に金の縁どりがついた優雅な曲線のガラスポット。銀製の濾し器の網目も気が遠くなるほど精緻で、間違いなく職人泣かせの逸品だと分かる。元のアイディアは台長閣下だとしても、相当に魔女の改造が入っているのではなかろうか。


「ミラも初めて見たのね。私もさっき領主様がお使いになるのを見て、びっくりしていたところだったの」


 フェルヴィと呼ばれた給仕器の傍に来て、カタリナもしげしげとその挙動を眺める。一回注ぐたびに、いちいち定位置に戻って注ぎ口を向ける動作からやり直しているので、恐らく記録させた動きを繰り返しているものだと思うけれど──使われている魔法の種類までは見当もつかない。


「これ確か、空間魔法なのよね。定位の応用なんだって聞いた気がするわ」

「応用というか、失敗ね」

「失敗?」


 領主に尋ねられたサベリアがあっけらかんと頷く。こんな便利な失敗ってある? と、びっくりしたカタリナ達は揃って声を上げた。「詳しくは省くけど」と、妖艶な美女は呆れたように肩をすくめる。


「定位魔法の中に、配置記憶っていう技術があるの。物体に定位置を憶えさせる上級技術で、本来は難しい儀式の祭具配置とか、大量にあるものの収納とかに使う割と地味な技術ね。本が勝手に棚に戻ってくれたりして便利なんだけど」

「自動で定位置まで動くんですか?」

「ルーンで結びつけたモノ同士、一定の距離内でしか動作しないけど、まあそうね。──年寄りは横着なのよ。あのジイさん、その配置記憶で来客に出す飲み物を道具に淹れさせようとしたんですって」

「それがこのフェルヴィちゃん?」


 だんだん話が見えてきた。

 なるほど横着の極みである。あそこまでえらくなったら来客もそれは多いのかもしれないけど──飲み物を用意して注ぐという子どもの手伝いみたいな行程を省くために、現代の魔法技術の限界に挑む難題を生み出していて、本末転倒だと思う。

 頭のいい人の考えることってホント頭おかしいよな、と、リュドミラはその横着の産物であるオレンジピールの煮出し湯を啜った。うん、渋味も出てなくておいしい。……


「そういうこと」


 鷹揚に頷いて、サベリアも目の前のカップを美しい指でついと持ち上げた。リズムをとるように小さく揺らしながら滑らかに話を続ける。


「飲み物の種類も選べるようにしたかったみたいなんだけど。さすがにそんな複雑な条件づけは成功しなくて、何回も術式を書き換えてるうちにこうなったっていうわけ。アホだけど、まー便利だから改良して使わせていただいてるわ。まさか定位で火まで扱える、なん、て……」


 言いかけて──何かに気づいたように、魔女は透き通った緑青の目を見開いた。悪戯を思いついた子供の顔で、領主母娘の方を振り向く。


「待って。これだわ。フェルヴィの原理でいけるんじゃない?」






窓辺の点と線/yamaguchi tatsuya

フェルヴィ(沸騰)は「わく子さん」みたいなことです

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