すてきな天動説
感知魔法の多くは、ずっと宙に浮いた魔法だった。
魔力探知や鑑定などはかなり長いこと、精神干渉の部類だと思われていたそうだ。一般魔石や聖遺物、一年草の植物など、意識を持たない対象まで鑑別できると判明して初めて──どうも純粋に波形や成分を読んでいるようだという結論になった。一般的な魔力探知と、夢や影などの希少属性による捕捉が法的にも別物として扱われているのは、それが理由である。
逆に筆跡鑑定や素材の解析などは、生活魔法の一種と考えられていた。術式解析や動植物の同定など、船乗りの「星朴」のような技能の一部として扱われていた魔法もある。
これら全ての魔法が「術者の受ける刺激子」に起因しているという事実が証明され、感知魔法という新たな体系として独立したのは、まだたった10年ほど前のことだ。
魔力があれば、ほとんどの者がいくらかは適性を持っている。そうした意味でも生活魔法と似た扱いを受けがちではある。一番単純な技術である魔力探知を除くと、使える者がぐんと減る。
鑑定は、専門的な魔法とスキルのちょうど狭間に存在する、きわめて業務的な術式である。大半の者は、食べた料理の素材を鑑別したり、耳にした音楽からアンサンブルを割り出す程度の平和的な使い方しかできない。種族の同定にのみ強い適性を持っている術者は、富裕層や豪農向けのブリーダーとして活躍する例も知られる。
高い精度で鑑定技術を使いこなせる者は、材質や成分の解析にとどまらず、場合によっては生産地や加工した技術者を特定することもできる。もちろん、そこまで高度な鑑定には都度申請が必要とされており──日常的に行える識別は、せいぜい簡単な組成や発生時期が判るくらいの可愛いものだ。
「初歩の鑑定じゃ何も判んなくない?」
手元を覗き込んでくるリュドミラに、「そうね」とハリエットは上の空で頷いてみせる。感知魔法は精度が魔力量に左右されない、純粋なテクニックにのみ依存する魔法だ。真剣に臨まないとろくな結果が得られない。
全部で4部あるタブロイド紙を順繰りに読んでみた。おぼろげに判るインクも紙の材質も、同じ版なのに発行日すらもバラつきがある。一見、平場の印刷工の小遣い稼ぎに見えるけれど──。
「うーん。同じ版なのに、産地がバラバラすぎるわね。こっちはタザル、こっちはエーラフガングって出てくるわ。ヴァニエンで刷られてるのもある。印刷された日時までははっきり判らないけど、4日は離れてないと思うの。ひとつの版木がこんなに広い範囲に同時に流通することってあるかしら」
「あっ、そういう調べ方があるか。あったまいい」
「生産された街ぐらいならぼんやり判るものね。確かにそれは……」
やはり素人の仕業ではないだろう。カタリナは抑えた声で語尾を濁す。
聖国の西から北岸、東の内陸まで、広い範囲で同時多発的に印刷された大衆向けの娯楽紙。紙やインクは人の手仕事を巧みに模していて、それがまた仕掛けの大規模さを──逆説的に──物語っていた。リュドミラの商人としての肌感とも合致する。何が目的だか知らないが、組織的な犯行であることはおおよそ明らかだ。
「交戦ムードでも煽ってんのかな?」
「タリスカル国内ならわかるけど。聖国側でシーナ殿下を祀りあげるのは、ちょっと迂遠な気がするわ」
「そりゃそうか。せっかく聖国の明星が座す国なんだから、神輿に担ぐならそっちだよね」
紙面をじっと見つめるカタリナを挟んで、両脇の2人は目配せを交わす。友人たちのやりとりを耳にして、カタリナはなんとも困ったように眉を下げた。
「それが……、父が言うには、タリスカル国内でもおかしな噂があるそうなの。そっちはこんな新聞じゃ済まないらしくて。内容ももっと物騒みたい」
「物騒ってどんな?」
ハリエットが硬い表情で尋ねると、堅固な障壁の中にいると知りながら、カタリナもなお慎重に声を潜める。
「軍部の暴走、っていうのかしら。殿下はご兄妹の中でも抜きん出て魔力が強いそうなの。戦える王女をこそ王に据えるべきだ、っていう殿下の即位待望論ね」
「えぇ……」
うんざりした声が出た。はあ──と腹の底からため息をついて、リュドミラは背もたれに身を預けたまま天井を見上げる。
この新聞程度なら、どこか国内の不安分子単体の策動で済む目がまだあったけれど──2カ国を挟んだ動きとなると、それはもう世論誘導以外の何物でもない。間違いなく中位貴族以上、少なくともどこかの領主レベルの力は動いているだろう。
シーナ・デ・モンテレイの即位。リベルタ王国の南進に脅かされるタリスカルの民にとって、それは全く非現実的な夢物語ではないだろう。しかし、パッヘルベルクの公妃という立場と両立はさすがに不可能だ。王女の帰国が渇望されているという現状は、すなわち公爵家との破談──最低でも円満な婚約解消を自国民に望まれているという話に他ならない。
しん、とした。周囲のざわめきが、透明な障壁を通して間接的に洩れ聞こえてくる。内側にいる人間が油断しすぎないよう、外の環境も感じ取れるようにはなっているのだ。
返す返すも非常識な魔道具である。今聞いた話を猛烈な勢いで整理しながら、もう一人のリュドミラは相変わらず観客のようにこの状況を眺めている。
「両親に相談してみるわ。2人も一緒に来てくれる?」
しばらくの間、黙して考え込んでいたハリエットは、友人たちの顔を順繰りに見ながらそう問うた。
「もちろん。私もそうした方がいいと思う」
「それがいいよね。私も母様にそれとなくタリスカルの話聞いてみるかあ……」
2人も躊躇いなく頷いた。ここまでくると、成人したてのひよこの手に負えるような話ではないだろう。フランツ政務官自身にも、ハリエットに厚意という形で情報を与えれば、ヘーゼ子爵の耳に入るだろうという目算があるはずだ。
「カタリナの魔法の話はしないでおくわ。おそらくこの話には関係ないもの」
「大丈夫?」
総領娘がそう結論づけると、カタリナは少し心配そうに首を傾げた。賢い室内犬のような黒々とした大きな目を見ていると、「大丈夫大丈夫よいい子ね」と撫で回したい衝動に駆られる。奇行に出そうになる自分を咳払いで律して、ハリエットは膝の上に束ねられた友人の手にそっと片手を添えて見せた。
「希少属性の保持者は、軍や諜報部に大半が取られているのが現状でしょう。まだ学生で、特殊な訓練を積んでもいないカタリナを利用するのは現実的じゃないわ。──政務官は、本当にあなたを守るために魔法を身につけさせたんだって思った。身を守るための使い方しか知らなければ、少なくとも属性を悪用されることはないもの」
「さっすが親バカのフランツ小父さん」
リュドミラが軽い調子で混ぜっ返すと、少女らしい笑い声がころころと、冬の窓辺に転がった。
まだ学院に通い出す前、当主教育を受け始めた頃を思い出して、ハリエットはおかしそうに思い出話を続ける。
「いっとき、なんの談話を読んでも必ずご家族の近況で終わっていたものね。私、王都の市報を取り寄せて読んでいたから、まだカタリナに会ったこともないうちから知りあいみたいな気になってたわ。政務官のお嬢さま、今月お誕生日だったのね、とか」
「本当にもう、恥ずかしい……」
小さくなって顔を覆ってしまった友人を見たら、なけなしの自制心がとうとう吹き飛んでしまった。思わず友人を抱きしめたハリエットは、「かわいい……」うわごとのような鳴き声を洩らした。
何これかわいい、持って帰りたい!
すてきな天動説/Nurie Ocrchestra




