破れた教科書の読み方
やっと話順が決まりました
続きから入るのがスムーズかなと
「何これ。完全に政治犯のクオリティじゃん」
目の前に並べられた目の粗い紙を形のいい爪で弾くと、リュドミラはいかにも嫌そうに、高い背もたれに長身を預けた。
寄せ集めのボロ紙に粗悪な版で刷られた、いわゆるタブロイド紙である。わずかに青みがかった菜種インクで、〝戦乙女通信〟などという素っ頓狂な題字がでかでかと掲げられている。
そこらの屋台や酒場で見本が張り出されている、アジビラすれすれの大衆娯楽紙だ。とても真顔では読めない。
昨日の朝、領主館の応接室でカタリナが語った話は、思いのほかきな臭い内容だった。ヘーゼ領に足を向けると告げると、政務官である父からそれとなく託されたという奇妙な街の噂から始まり──議題がカタリナ自身の希少属性魔法に移りかけたところで、ハリエットが抑えた声で、しかし鋭く制止を入れた。
──待って。
──ここで無防備に聞いていい話じゃないわ。
美少女の真顔、迫力ある──と、その時のリュドミラは不謹慎なことを考えていた。真面目に聞いていないわけではないのだけれど、どこか観客のようにその場の状況を鳥瞰してしまう別の自分というものが、リュドミラの中にはいつも存在する。
場所は変わって翌日、客房棟の2階にある談話室である。
標準的な巡礼宿の二人部屋の壁は、さすがに貴賓室のように防音完備とはいかない。同じ遮音の魔道具を使うなら、周囲に人がいる談話室の方がいい、と、ハリエットが言い出した時は聞き間違いかと思った。普通静かな部屋の方が良くない?
“周囲にある音を転用して完全な無音になるのを防ぐ”という仕様を聞いた時には、思わず「頭おかしい」という素直な感想か口から飛び出たものだった。あの魔法使い、マジで頭良すぎておかしくなってると思う。
それぞれ距離を取って座ってはいるが、何組かいる他の利用客には、リュドミラたちの話し声らしきものがなんとなく聞こえているということだ。人の声にはなっているけれど、意味の取れない擬似音。
軽微な認識阻害が併用されていて、何を話しているか聴き取れないこと自体は意識にのぼりにくくなるようにできている。
何それ怖い。こういうの、精神干渉にカウントしなくていいわけ?
「……感知魔法のマスターレベル、怖」
明るい窓辺で見ると、ほとんど透明に見える遮音障壁を眺めながら、ぼそっと口にしたリュドミラの言葉を耳聡く聞きつけ──ハリエットは、ドヤ顔を噛み殺したような複雑な顔をした。真面目な話をしている最中に良くないと思ったらしい。
美少女は顔芸をしてもなんとなく絵になるものだ。
「おかげで堂々とこんな話ができるんだから、怖いとか言ったらいけないわ。怖いけど」
「フォローになってないんだよなあ」
希少属性保持者であることを打ち明けて胸のつかえが取れたのか、カタリナは以前よりのびのびして見える。端々に悪気のない毒舌が覗くのがけっこう面白い。
「塔」から魔法使い認定を受けるには、いくつかの条件がある。15歳までに何かしらの属性をマスターレベルまで伸ばしておくというのも条件のひとつだ。四大魔法適性がさっぱりだというコーネリアスが、認定申請に報告したのが、「解析」「鑑定」「探知」などを擁する大分類「感知」魔法だった。その特性から使い方にいくつか制約が課されているものの、職人系の魔法使いには珍しくない触覚特化の属性ではある。問題はその精度だけれど。
話が逸れた。
カタリナの父、フランツ政務官が娘にそれとなくこぼしたのは、オマール聖国内にいつの間にか広まっていたという、シーナ王女殿下の風評だった。
曰く、王位継承者として軍事教育を受けた〝南の剣姫〟。
曰く、愛用の鎧と長剣をまとい、漆黒の愛馬で颯爽と叙爵の場に現れた。
曰く、軍事演習の視察で、歩兵に混じって剣を斬り結び一個師団を魅了。美貌と武勇、高度な魔法に智略も兼ね備えたタリスカルの花──。
確かに妙だった。精力的に南進を繰り返すリベルタ王国に包囲網を敷くべく選ばれた、パッヘルベルクの政略結婚の相手がシーナ王女殿下だ。かの方がタリスカルの王位継承権を持ち、軍事を含む統治者教育を受けていることは、ほとんど最初から公開されている情報である。
婚約から1年、王女が留学生として王都に現れてからも9ヶ月ほど経過している。内容に特段の誤りはないものの、情報鮮度が低すぎる。
学院が冬期休課に入って丸ひと月──リュドミラが王都を離れてから今日までの間に、何か新しいイベントが発生したわけでもない。いきなりこんな風に世論が盛り上がりを見せる理由が見当たらない。
それに──。
「この新聞ホント変なんだよ」
リュドミラはひとり言ちて、指先にインクがつくのも厭わず、小卓の上に広げた紙のうち一枚をつまみあげた。矯めつ眇めつ、陽の光に透かしたりしながら細かく検分する。
このタブロイド紙の存在自体がおおいに問題なのだ。印刷工が街の噂を面白おかしくこういった娯楽紙に仕立て上げること自体は何も珍しくない。内容もこういった下世話で扇状的なゴシップであることがほとんどだ。
しかし、これは版組みが整いすぎている。印刷の粗悪さに見合わない、政治団体の機関紙のような仕上がりだ。おまけに、挿絵の筆致にも見憶えがない。絵姿販売のシェア率でトップを争うトレンレーツ商会の次期会頭リュドミラが、である。
こんなに描ける絵師がその辺に転がっていたら、まず気づかないはずはないのだが。
「ミラがそう言うってことは、父の懸念はもっともってことよね」
「うん。刷ってる版元は何にも知らないかもしれないけど、版木を作った奴の中に火点け役がいると思う」
カタリナが口元に手を当てながら考え込むような顔をした。大きく頷いて、リュドミラはその言葉を肯定してみせる。目的が何かまでは皆目見当もつかないけれど、素人の犯行でないことだけは確かだ。
「そうね……」
二人のやりとりを黙って聞いていたハリエットが、リュドミラと同じようにザラ紙を一枚つまみ上げると、
「ちょっと見てみてもいい?」
と、言った。
指先が淡い光を帯び、虚空に素早くルーンを書く。
ᚩᚳᚣᛗ──〝鑑定〟。
「破れた教科書の読み方/キャンプファイヤー」
Nurie Orchestra




