プロローグ
桜が舞っている。嶺淵学園の正門から入ってすぐの所には長い桜並木がある。新入生は皆、この桜並木を通って入学式へ向かう。
入学式の前日、誰も居ないような昼過ぎに、その桜並木の真ん中で、一人の少女が立っていた。桜が舞うのにつられて、そのピンク色の髪がなびいていた。
彼女は短めに切られたピンク色の髪を押さえながら、桜並木に目を向けた。
「懐かしい……。私達の入学が去年のことだっけ……? 時間が過ぎるのはあっという間だなぁ。」
彼女はそう、独りごつ。その言葉は空間に引きずり込まれるのみで、誰にも届くことはない。それで良い。彼女はさらにそう呟くと、時計を見て驚いた。
「やばいっ! 部活の時間だ!」
彼女は桜並木の中を駆け抜けた。しかし校舎の中には入らず、そのまま校舎の側面に沿って進んだ。
嶺淵学園は2066年現在、日本で最も大きい高校であるとされている。その敷地面積は500万平方メートル。その広大な敷地に存在する建物として、旧校舎というものがある。壁、床、そして天井など、至る所にヒビが入っており、窓ガラスは割られたまま放置されている。本校舎とはかなりの距離があり、誰も近寄ろうとしない。だからこそ、学園組織から隠れて集会をするにはもってこいの場所である。
彼女はとある非公式の部活に参加してる。名前を鶴瓦 桃香と言う。彼女は部活の集会に参加するため、旧校舎へと向かった。旧校舎までの道は舗装されておらず、雑草や蔓植物などが繁茂している。辛うじて地面に見えるアスファルトはボロボロになっており、歩くのには苦労する。
彼女は慣れた様子でその道を進み、遂には旧校舎へと辿り着いた。そして旧校舎を見上げる。
「やっぱりボロボロだなぁ……。」
「モモカちゃん、そんなこと言ってもしょうがないよ。」
そんな彼女に声を掛けた者がいた。彼女の名は凪袖 翠。緑がかった黒の長髪が特徴的で、和風な雰囲気を纏っている。そして彼女もまた、非公式の部活に参加している。
「あ、ミドリちゃん。おはよう? こんにちは?」
「もう朝じゃないし、こんにちはがいいんじゃないかな?」
「そっかぁ。じゃあ、こんにちは。」
「こんにちは、モモカちゃん。」
2人の間に穏やかな時間が流れる。しかし、時間がギリギリな事に気付いた鶴瓦 桃花は凪袖 翠を引っ張り、旧校舎の中へ入っていった。
旧校舎とは言っても、それなりの大きさがある。だからこそ解体費用が嵩み、今日まで残っているという事もあるだろう。嶺淵学園は小中高一貫であり、小中高それぞれの建物がある。旧校舎も本校舎も、3つの建物で1つの校舎が形成される。彼女たちがよく使っている建物は高校生用のエリアだった場所だ。高校生用のエリアは、一階が3学年用で階を上がる毎に級が下がる。彼女たちの集合場所は、3年のA組であった。
2人が3年A組の扉を開くと、既に多くの部員が集まっていた。どれだけの人数が居るかは部長以外には誰も知らない。しかし部員の情報に関して1つ正確な事は、男子生徒が1人も居ない事であった。嶺淵学園は共学の為、一般生徒が見れば女子生徒しかいない状況には違和感を覚える事だろう。
そして2人が入って来たと同時に、教壇に立っている部長が手を挙げた。すると、騒がしかった教室内が一瞬にして静まり返った。
「今日は忙しい中集まってくれてありがとう。今日私が皆を呼んだ理由は2つある。」
部長は指を2本たて、1本を折った。
「1つ目は、部の今後についてだ。皆も知っての通り、明日は入学式だ。この部活に入る新入生が居るかもしれない。それに私はもう3年生だ。新しい部長を決める必要がある。まあ、これは9月くらいまでに決めればいい。」
部長はもう1本の指を折った。
「そして2つ目は、今日部活をする、と言う事だ。」
その言葉に教室中が騒めいた。それは余りにも突然すぎたからに他ならない。誰も部活の準備をしていない。この部活は非公式のため、皆で持ち寄って部活を成立させている。今回の準備が出来ていない。そして更に皆の脳裏には1つの疑問があった。
「今回は唐突だったので、私が準備を全て受け持つ。」
「部長、誰なんですか?」
鶴瓦 桃香は声を上げた。それは誰も聞きたがらない事だ。誰もが聞くことが怖がり、しかし誰かが聞かなければならない事だった。
すると、1人の少女が手を挙げた。今年で3年になる、鶴瓦 桃香らの先輩だ。彼女は暗い青髪を、ポニーテールでまとめている。脚を中心として全体的に筋肉が多く、しかししっかりと女性的な体つきをしている。彼女の名は夢朱里 千夏。彼女はそのまま前に出て、皆を見渡した。
そして、部長が定型文を読み上げ始めた。
「では、これより部活を始める。夢朱里 千夏、貴女の人生で最も幸福だった事はなんだ?」
これは儀式だ。部活と言う名の儀式だ。まず、人生で最も幸福だった事を聞く。幸福な記憶を呼び起こすのだ。
「……母が、私の為に制服を買ってくれた事です。私の家は貧乏で、スポーツ推薦が無ければこの学校にすら入れませんでした。推薦で貰える奨学金には制服代は入っておらず、本当ならここでこうやってみんなと同じ様に通う事は出来ませんでした。でも……。」
彼女は静かに泣き出した。夢朱里 千夏が泣いた事は今まで1度も無く、その事は彼女が今までどれだけの気持ちを抱えていたのかを察せられた。
「母は……私の為……に……仕事の時間を……、増やしてくれて……。本当に……感謝しています……。」
皆が拍手をした。夢朱里 千夏は幸福の思い出に浸る。大きく疎らな拍手の中で、幸福感は更に膨れていった。
拍手が収まってきた頃、部長は更に儀式を続けた。
「お別れの時間だ。最期に1つ私から言わせて欲しい。」
「……はい。」
「君と会えて良かった。」
「……ありがとうございます!」
儀式の終わりが近づいている。
夢朱里 千夏の側に、彼女と仲の良かった女の子が駆け寄った。その女の子は夢朱里 千夏よりも泣いていた。彼女は困った様に、しかし喜びが隠せない様に、その女の子を抱きしめた。女の子も彼女の体を抱き返した。しばらくそうしていると、女の子は夢朱里 千夏から離れ、無理矢理作った笑顔を彼女に見せた。それが偽物の笑顔である事は夢朱里 千夏にも彼女以外の部員にも分かっていた。しかし、誰もそれを指摘する者は居なかった。笑顔で送るのが、部の掟である。しかしそれを抜きにしても、皆笑顔で送りたいと思っている。そして笑顔で送られたいとも。だからこそ、皆がこの部活に参加しているのである。
儀式は次の段階に進む。
「それじゃあ、真ん中に来てくれ。」
「はい。」
教室の中心には机が階段の様に積まれており、夢朱里 千夏はそれを登って行った。再び拍手が巻き起こる。鶴瓦 桃香も、凪袖 翠も、部長も、夢朱里 千夏と仲が良い女の子も、皆が拍手をしていた。それは喜ばしい事であるから。
その間にも夢朱里 千夏は儀式を進めていく。背を伸ばし、天井に手を届けようとしていた。周囲に笑顔が連なっていた。皆が同じ表情と行動をしていた。
そして儀式が終わった。
皆、笑顔で拍手をしていた。
まだ、拍手は終らない。
その中心で夢朱里 千夏が首を吊って死んでいた。
自殺部。
それが彼女達の所属している部活である。自殺志願者が集い、幸福に死ぬことを目的として活動をしている団体。その部活はひっそりと旧校舎にて活動を続けていく。この先彼女達がどう生き、どう死ぬのか。それは誰にも分からない。