55 演説
キリトは、庁舎正面玄関の階段を上がり、広場を見た。
初めからいたデモ隊に、テレビを見て駆けつけたミャウ族の若者等が加わり、広場中央から大通りや西側道路にかけて数百人規模の人数に膨れ上がっていた。
玄関前に立ったキリトに気づいた群衆は、一斉に叫び始めた。
「軍の横暴を許すな!」
「帝国は俺たちを虫けらみたいに扱いやがって、許さねえ!」
「もう一度戦争だ!」
警備課長の言うとおり、ワタルが撃たれたのを見た群衆、特にレジスタンスが殺気立っている。一つ間違えると、騒擾、武装蜂起に繋がりかねない。
フレッドが階段下にテレビ局のスタッフや記者を連れてきた。カメラマンがテレビカメラを構える。ほどなくしてエルンが庁舎内からキリトの傍らへ走ってきた。
「お待たせしました。これから各市の防災放送でキリト様の演説を流します。準備出来次第、注意喚起の放送が流れます」
エルンが言った直後、ニャト市の防災放送が、これから重要な内容を放送するので、区民の皆さんは可能な限り聞いて欲しい旨を放送した。
「いつでも大丈夫です」
「ありがとう」
そういうと、キリトはエルンからマイクを受け取り、スイッチを入れると、ゆっくりと話し始めた。
「第36区の皆さん、司政官のキリトです。これから大事な話をさせていただきます。どうか、どうか少しだけ立ち止まって、心を落ち着かせて聞いてください。心を落ち着かせて、私の話を聞いてください」
キリトが群衆を見渡した。少し静かになったようだ。多くの者がキリトの方を向いた。
群衆の向こう、大通りに目を向ける。多くの人が立ち止まり、防災放送に耳を傾けているようだった。
キリトは、ゆっくりとした口調で話を続けた。
「多くの皆さんがご承知のとおり、先程、第36区庁舎前の広場において、軍の部隊がデモ参加者1名に発砲しました。撃たれた1名は、現在、病院で治療を受けています」
「撃たれたデモ参加者は、第36区の職員です。彼のことは私も良く知っています。本当に優しく、誠実な人です。常に、第36区の住民のことを、ミャウ族のことを考え行動していました」
「公務だけでなく、私的な活動として、戦災孤児や傷病者等の支援も行っていました。この支援活動で彼のことを知った方も多いと思います」
「そんな彼が撃たれたのです。皆さんの怒りは良く分かります。軍を、帝国を憎く思う気持ちは良く分かります」
「ですが皆さん、テレビをご覧になっていた皆さんは、彼の言葉が聞こえたでしょうか。私の目の前で、私を庇って撃たれた彼は、その直前にこう言いました」
「戦ってはダメだ!」
「これ以上争っちゃダメだ!」
「これ以上争いで苦しむ人を増やしちゃダメだ!」
キリトの目から涙が零れた。キリトは構わず話を続ける。
「皆さん、これが彼の言葉です。彼の心の底からの、文字どおり命を懸けた言葉です。どうか、彼の命懸けの思いを分かってやってください」
「どうか、彼が命を懸けて止めた争いを、再び起こさないでください。今皆さんに求められているのは、英雄ニャロンのような勇ましい戦いではありません」
話ながら、キリトはワタルの上着のポケットから落ちたミミ人形を、新紙幣の図案で見た少年ミミの姿を思い出した。
少年ミミの、目もとは黒で鼻から口元は白いハチワレ模様の毛並みと、ワタルの白シャツに黒い燕尾服のような制服姿が重なる。
キリトは話を続けた。
「今、皆さんに求められているのは、あのニャト平原の戦いで南北両軍の前に立ちはだかり、命を賭して戦争を終わらせた、少年ミミのような優しい心と、争いを終わらせるための行動です」
「どうか、皆さん、自宅に戻り、病院で治療を受けている彼の快復を心静かに祈ってあげてくれないでしょうか」
そう言うと、キリトは深々と頭を下げた。これを見たミャウ族に動揺が広がる。
先月ワタル達と食事をした際、日本のお辞儀はミャウ族にとって命懸けのお願いを意味すると聞いた。キリトはあえてそれをした。争いが収まるのであれば、死んでもいいと思った。
広場は静まり返った。キリトは頭を下げ続けた。しばらくすると、一人、二人と広場から離れて行った。キリトが頭を上げる頃には、ほとんどの者が広場を離れていた。
キリトは、ほっと息をつくと、マイクのスイッチを切り、エルンに返した。エルンは泣いていた。
続きは明日投稿予定です。明日完結予定です。




