50 運命の朝
翌朝、キリトはいつもより早く目が覚めた。やはり緊張しているようだ。
腰はだいぶ良くなっており、昨日よりも楽に立ち上がり、ゆっくり歩くことができた。早歩きや走るのは無理そうだが何とかなりそうだ。
「キリト様、おはようございます! 今日は早起きされたんですね」
ティムが朝のお茶を持って私室に入ってきた。キリトが笑顔で答える。
「おはよう。うん、ちょっと緊張しちゃってね。そっちの準備はどうだい?」
「はい、準備万端です! フレッドさんが撮影してくれるそうです」
フレッドは、ティムがチムチムトント本人であることに気づいているのだろうか。聞くに聞けず、キリトはお礼を言った。
「色々とありがとう。私用端末で実況を見させて貰うね」
「ちょっと恥ずかしいですが頑張ります! それではフレッドさんと一緒に出かけてきます」
今日、ティムは一日休暇を取っている。この後公邸を出発して、フレッドと一緒に大通りに向かう予定だ。
ニャリスにお願いして、私服の警護係を1名増やしてもらった。ティムとフレッドにそれぞれ1名ずつ付いて警護してもらうことになっている。
キリトは、4日ぶりに食事室で朝食を取った。公邸料理人に声を掛けられる。
「司政官様、お元気そうでなによりです。心配しましたよ。実は司政官様が亡くなられていて、その事実が週明けまで伏せられている、なんて噂を聞いたもんですから。副官や給仕係が食事を私室に運ぶのは、もしかして偽装じゃないかとドキドキしましたよ」
「心配かけてごめんね。腰を痛めた他にも色々あったんで、私室に引き籠もっていたんだよ」
キリトはそう言って公邸料理人に謝った。
朝食を取った後、キリトは、書斎で各社の新聞を読んだ。
ミャウミャウ新聞では、新たな社会保障制度について特集を組んでいた。保険料の負担は増えるが、庶民の医療アクセスは格段に向上するとして、かなり好意的な論調だった。
ニャト新聞は、「復興基金」や「第36区・ミャウミャウ復興計画」について特集を組んでいた。今後の成長分野、発展しそうな地域はコレだ、という感じでビジネスチャンスについて紙面を割いていた。
南北新報は、「司政官は生きていた! 各種施策の中身とは?」という見出しで、預金封鎖等の一連の施策の解説を行っていた。この辺りは検閲ギリギリのところでセンセーショナルな見出しにしたようだ。
キリトが公用車で第36区庁舎に登庁すると、車寄せに多数の記者やカメラが集まっていた。
「司政官! 預金封鎖等の一連の施策について一言!」
「戦後復興特別税は第36区に新たな社会不安を生み出すのではないでしょうか。受け止めを!」
「財閥解体、農地改革に社会保障制度の創設と、急進的な施策を行われておりますが、それについてコメントをお願いします!」
「健康不安が囁かれておりましたが、体調は問題ないのでしょうか?」
こういうとき、政治家や高級官僚なら上手にコメントできるのだろうが、キリトはどうしていいか分からなかった。とりあえず立ち止まって、ニコリと笑い、記者達に答えた。
「急病でご心配をおかけして申し訳ありませんでした。今はこのとおり元気です」
「今回発表したいずれの施策も、第36区の住民のためになるものだと確信しております。どうか住民の皆様のご理解ご協力をいただければ幸いです」
とだけ言って、車寄せの警備員に守られながら庁舎内に入った。
長官室に入ったキリトは、テレビで自分のコメントが流れているのを見ると、先に登庁していたエルンに不安げに聞いた。
「咄嗟に言ったんだけど、あれで良かったかなあ……」
「まったく問題ございません。記者に答えるというよりは、全住民に答えるというスタンスでご発言いただき、住民のための施策であることを強調していただきましたので、ベストだと思います」
エルンが笑顔で安心させてくれた。
そのすぐ後に、警保局の警備課長が走って長官室にやってきた。
「失礼します。バタバタですみません。本日の警備計画について簡単にご説明します」
警備課長があちこち手書き修正をしたペーパーで説明する。
「当課で入手した情報によりますと、本日正午頃にレジスタンスが金融街でデモを開始し、大通りを北上して第36区庁舎前の広場まで来る見込みです」
「こちらとしましては、不測の事態に備えてデモ隊両脇と最後尾を警察官で固めるとともに、移動方向・北側は塞がず、第36区庁舎前に重装備の警官隊を配置します。各員には、何があっても住民保護のために冷静に動くよう厳命しています」
「万が一、軍が鎮圧に動いた場合に備え、旧ミャウミャウ共和国軍から譲り受けた装甲車を配備します」
「デモ対応を理由にニャト市内の交通規制を行い、バリケードを設置するなどして、軍の部隊を第36区庁舎前広場の東側の道路へ誘導します。軍が過激な行動に出た場合は、装甲車等で時間を稼ぎつつ、デモ隊を含めた住民を保護しながら西側へ撤退する予定です。西側は細い路地が多いですので、住民は逃げやすいと思います」
残念ながら、警察力では正規軍に敵わない。撤退前提の計画にするしかないのだろう。
まさに命懸けの仕事になるだろう。キリトは警備課長にお礼を言った。
「ありがとう。困難であることは重々承知の上でのお願いだけど、レジスタンスを含め、住民の安全確保をどうかよろしく」
「承知しました。実はここだけの話、私の息子は単なる学生でレジスタンスではないのですが、デモがあるという噂を聞いて、それに参加すると朝から駄々をこねてまして……私情も入って恐縮ですが、命懸けで守ります」
警備課長が小声でそう言って笑うと、長官室を出て走って行った。
警備課長が退出してしばらくすると、地方局財政課長が長官室に来た。
「口頭のご報告で申し訳ありません。先ほど市中銀行の状況を聴取したところ、各銀行とも預金者が旧紙幣の預け入れと新紙幣の引き出しで行列を作っているものの、大きな混乱は起きていないようです。暫定的な収入印紙貼付も今のところ不要ということです」
「ありがとう。引き続き対応をよろしく」
「承知しました」
財政課長は足早に退出して行った。こちらも思ったより落ち着いているようだ。
キリトは時計を見た。正午が近づいていた。
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