2 赴任
翌日の夕方、キリトは軍の特別機で第36区の軍の航空基地に降り立った。この世界の帝国の技術水準は、現代の日本と遜色ない。
司政官の制服は、軍服の上に裁判官の法服のような黒いガウンを纏うものだ。かなり目立つ。
冬なので寒いことは寒いが、帝都に比べれば暖かい。コートなしでも大丈夫そうだ。
航空基地には、漫画で見たエルフのような美しい容姿の軍人が出迎えに来てくれていた。キリトが特別機のタラップを下りると、近づいて挨拶してくれた。
「キリト司政官ですね。はるばる第36区へようこそ。南方第3軍司令部参謀のエルン少佐です。本日付けで司政官付の副官を拝命しました」
エルンが緊張した面持ちで敬礼した。金髪に尖った耳。美しい顔立ちに透き通るような白い肌。見てるだけでドキドキしてしまう。
性別は分からなかったが、いきなり聞くのは失礼だと思い、キリトは何も聞かずに答礼して挨拶した。
「司政官のキリトです。今日からよろしく」
エルンは少し驚いた顔をしたが、すぐに真面目な表情に戻り、キリトを先導して歩き始めた。
軍司令官や参謀長等の司令部幹部に挨拶した後、キリトはエルンに案内されて軍政監の執務室へ向かった。
「君がキリト司政官だね。噂は聞いているよ。私は次の作戦対応でバタバタしてるんで、明日からは参謀部の仕事に専念する予定だ」
「第36区の施政についてはお任せするよ。民政移管に向けて頑張ってくれ」
参謀副長を兼務する軍政監から、いきなり丸投げ宣言をされた。
キリトは「微力ながら尽力いたします」と答え敬礼した。
† † †
「ふー、ようやく落ち着いた。それにしても引継はあってないようなものだなあ」
軍政監の執務室の隣に設けられた特別会議室。キリトは豪華なテーブルセットの重厚な椅子に座ってため息をついた。
軍政監からは、ペラ紙1枚の引継書を受け取った。どうも前任の司政官は、3ヶ月ほど前にあった帝国検査院の検査で公費の私的流用が多数判明し、解任されたらしい。とんでもない奴だ。
引継書にざっと目を通したところ、占領からもうすぐ2年というのに、具体的な施策の実施状況は何も書かれていなかった。
「失礼します。飲み物をお持ちしました」
エルンが給仕の少年を連れて部屋に入ってきた。
給仕の少年は、エルンには及ばないものの整った顔立ちで、カールした赤毛に少し尖った耳、キラキラした瞳が印象的だ。
軍服ではなく、白のワイシャツに黒のベストとスラックス。高級レストランのウェイターのようだ。
少年は、ティーカップをテーブルに用意すると、震える手でポットからお茶を注いだ。かなり緊張しているようで、少しこぼしてしまった。
「も、申し訳ございません!」
少年が泣きそうな顔で謝った。エルンが心配そうにキリトの方を見る。少年もエルンもキリトの噂を聞いているのだろうか。
ここまで怯えられるなんて、一体キリトは今までどんな態度で仕事をしていたのか。日本でトラブルを起こしていないか心配だ。
キリトは笑顔で少年に話しかけた。
「これくらい大丈夫だよ。それにしても、君は何歳なの? 若いね。名前は何て言うの?」
「は、はい、給仕係のティムと申します。16歳です。し、司政官様の身の回りのお世話をさせていただきます」
「はは、そんなに緊張しなくていいいよ。今日からよろしくね」
キリトが笑顔でティムに言った。ティムは「き、恐縮です」とうわずった声で答えると、特別会議室から出て行った。
キリトは、机の向かいで直立不動のままのエルンに笑いながら声をかけた。
「ティム君、相当緊張してたね。あ、良かったら椅子に座ってよ。立ちっぱなしだと疲れるでしょ」
「ありがとうございます。失礼します」
エルンはテーブル向かいの椅子に座った。じっとキリトの顔を見る。何か気になることがある様子だ。
「何か気になることがあるのかな?」
キリトは直球で聞いてみた。エルンが慌てて答える。
「す、すみません。お噂では厳格な方だとお聞きしていたもので」
やはりエルンは噂を耳にしていたようだ。さすがに魂が入れ替わっているとは思わないだろうが、変に勘ぐられては困るので気をつけなければ。
「ははは、私は仕事には厳しいよ。だからと言って、普段からなんでも怒鳴りつけるわけじゃないよ」
そう言って、キリトは適当にごまかした。