11 懊悩
応接室のドアがノックされた。おそらくエルンかティムだろう。キリトは慌ててワタルに小声で言った。
「ありがとう。状況は分かった。続きはまた今度」
ワタルが頷くのを見て、キリトはドアの方に声を掛けた。
「どうぞ」
応接室のドアが開き、エルンとティムが入ってきた。
「遅くなって申し訳ありませんでした。異世界のお話はいかがですか?」
エルンが笑顔で言った。ティムが人数分のティーカップにお茶を注ぐ。
「いやあ、彼の涙ながらの思い出話に、こちらも思わず泣きそうになったよ」
キリトは、目を泣き腫らしたワタルをフォローした。ワタルも続く。
「すみません。故郷のことを色々と思い出してしまい、司政官の前なのに思わず泣いてしまいました」
その後、ワタルは身の上話をしてくれた。日本での生活のこと、両親のこと、自衛官だった祖父のこと、世のため人のためになりたいと思って公務員になったこと……
エルン達は、異世界の話を興味津々という感じで聞いていた。特にエルンは桜とパンダのことが、ティムはネットゲームとお餅のことがそれぞれ気になったようだった。
「色々ありましたが、任期付召喚職員としてこの世界に来て、皆のお役に立てたのは幸せです。あと3か月程度ですが、悔いの残らないように頑張りたいと思います」
そう言って、ワタルは笑顔で話を締めくくった。その笑顔の裏にある苦悩を思うと、キリトはとても辛い気持ちになった。
† † †
「今日はありがとう。色々と仕事のヒントになるかもしれないし、職場でも異世界の話を聞かせてもらうと思う。引き続きよろしく」
「はい、こちらこそ引き続きよろしくお願いいたします。いつでもお呼びください」
キリトの申し出にワタルは笑顔で応じた。これで続きの話を長官室で聞いても違和感ないだろう。
ワタルとエルンは、公邸の隣にある職員宿舎へ帰って行った。
ちなみにティムは公邸に住み込みだ。応接室を片付け、キリトの私室に飲み物や衣類、タオル等を持って来てくれた後、自室に帰って行った。
キリトはお風呂や着替えなどを済ませると、私室のベッドに寝転がった。私室は豪華で広く、どうも落ち着かない。早く慣れたいところだ。
キリトは、ワタルから聞いた話を思い出す。
ワタルに対する皇帝の密命は、軍の南方侵攻を阻止するため、第36区を内戦状態にせよというものだった。
皇帝をはじめとした良識派は、第36区を、ミャウ族を犠牲にしてでも、南方での戦争勃発を阻止したいと考えているようだ。
そして、キリト司政官の第36区赴任も、良識派の工作の一環だったとは……
今のところ、ワタルはこの密命を実行していないということだった。このまま何もしないというのも一つの手かもしれない。
ただ、そうすれば、良識派がしびれを切らして別の手で内戦を引き起こすだろう。何しろ良識派のトップは皇帝なのだ。
帝国の皇帝は、君臨すれど統治せずということで、慣例上、国政を議会や内閣に一任している。
昨年、先帝が崩御し、若い皇太子が新皇帝に即位したが、その慣例は踏襲されている。
そのため、皇帝は国政に直接関与できない。だから良識派のトップとして裏で動いているのだろう。
国政に直接関与できないとはいえ、皇帝の権威は高く、多くの私臣、莫大な財産を有している。その力は計り知れない。
では、密命どおりに、第36区を内戦状態にさせるのか。自分の手で戦乱を引き起こし、多くの人命を奪うなんて、キリトにはとても耐えられそうになかった。
ではどうする。キリトは天井を見つめながら考える。
内戦はあくまで一手段だ。そもそもの目的は何か。軍による南方侵攻の阻止だ。
もし、内戦を起こさずに、軍による南方侵攻に支障を来す程度の混乱を引き起こすことができれば、皇帝・良識派はそれ以上の犠牲をミャウ族に強いることはないのではないか。
都合の良い理想論だし、混乱による一定の犠牲は覚悟しなければならない。その『罪』に自分が耐えられるかも分からない。
それでも、チャレンジしてみる価値はあるのではないか。キリトは深夜まで必死に考え続けた。




