1-20 オタクに優しいギャル殺人事件
ギャルが死んだ。
ギャルはいじめられっ子の僕の唯一の味方であり、オタク仲間であり、想い人だった。
突然の訃報によって崩れた僕の日常に、ギャルの双子を名乗る人物が現れる。
「ギャルは殺されたんだよ」
オタクに優しいギャルの死をきっかけに、オタクの心が揺れ動く。
彼女は普通のギャルではなかった。
みんなに好かれていたし、こんな僕にも優しくしてくれたし。
ネイルが上手くできたら見せてくれたし。
僕の勧めたアニメを観てくれたし。
双子の兄弟がいるけど両親が離婚して離れてしまったと打ち明けてくれたし。
そんな彼女への恋心が育っていかないはずがなく。
僕はその想いを隠してたけど、いつかはって思っていたんだ。
スクールカーストとは厄介なもので、無理に作ろうとしなくても自然とできてしまう。
見た目が良くて、スポーツができれば一軍。
見た目は普通で、勉強もそれなりだと二軍。
頭が良くてもブスでオタクだったら三軍。
生態系ピラミッドのように、地球が誕生した瞬間からそれは完成されている。
始まりは去年の五月。ちょうどGWが終わってすぐのことだった。
一軍の東郷くんがうっかり僕の机にぶつかり、僕の本を落としてしまったとき。
「うわ、キッモ。おい、見ろよこれ」
東郷くんは僕の本を拾って、顔を顰めながら友達とそれを回し読みした。
「かっ、返して」
「『ご主人様、おやめください。私とご主人様が結ばれることはございません』」
「『ご主人様は私を愛に満ちた目で見つめ、私との距離がなくなるまでその身を……』……うげー」
ギャハハ、と下品な笑いが教室に充満した。ブックカバーは乱暴に剥ぎ取られ、二人の男が見つめ合っている表紙が露わになる。
僕の趣味は、ボーイズラブ小説を読むことだった。
「鴨田ってこんなん読んでんの? 引くわー……」
その日を境に、僕はいじめの標的になった。
「ホモ田、昨日はどんな男といたんだよ」
「二丁目行ってこいよ」
誰もが僕を笑い、笑い、笑った。体の痣は消えては増え、メガネは何本もダメになった。机は僕のだけボロボロで、それを見た先生の一言は「備品は大事にしろ」だった。
そんな日々が、一月の今日まで続いている。
「ヨッス」
右手を軽く上げて、志摩さんが入ってきた。夏休みまでは僕の隠れ家だった理科準備室。の、隣にある予備の準備室。多目的トイレの個室くらいの広さで、誰も使っていないから埃が目立つ。
昼休みは僕だけの場所だったのに、まさか志摩さんにバレるとは思わなかった。わずか数ヶ月前のことなのになんだか懐かしい。
「志摩さん」
彼女は隣のクラスのギャルで、一軍だが東郷くんとはまた違う雰囲気を纏っている。それゆえか、彼女は僕の居場所を秘密にしてくれた。
クラスではグループを作るのが常識なのに、彼女は一匹狼だった。僕だって一人なのだが、志摩さんは独りではない。孤立と自立は別物だ。
「昨日の『やがめが』見た?」
「見た見た、私はアザト先輩がいいな〜」
僕が登校できているのは彼女のおかげだと思う。昼休みにこの教室に篭って、志摩さん今日は来るかなとか思いながらご飯を食べて。来たらアニメの感想を言いあう。
「アザトみたいなのが好きなんだ、意外」
「彼氏に似てるんだよね」
照れたように笑う志摩さんを見ると、僕の胸にすっと冷気が入り込んた。窓からわずかに差しこむ昼間の光が彼女の金髪を照らす。
「彼氏……いたんだ」
「うん、明日三ヶ月記念デートすんの」
三ヶ月というと、僕とこうして会うよりも後だ。彼女はスマホを取り出して、ツーショットを僕に見せた。
「ほら、似てない?」
こめかみまで伸びた髪はゆるくパーマがかかっていて、暗い赤に染まっている。瞼は二重で、眉は太め。筋肉もほどよくついているし、歯を見せて笑うそいつはたしかにアザトに似ている。志摩さんもニッとした笑みを浮かべていて、似た者同士という感じがしてまさにお似合いカップルだった。
やっぱりこういう人がモテるのかな。そういえば、東郷くんもこんな雰囲気の見た目だ。つまり僕と正反対。
胸がチクリと痛んで、ガラスのような何かが砕ける音がした。
「……こういう人が好きなの?」
「まあね。鴨っちはどんな女の……あっ、BLが好きなら男の子?」
「やめてよ、趣味と性的指向は違うじゃん」
「そう?」
「そうだよ」
予鈴は試合終了のブザーのように僕らを引き離した。
「よーお、ホモ田くん」
教室に入ってすぐ、がっしりとした腕が僕の肩にまわってくる。
クスクスと笑い声が聞こえた。授業前で生徒たちの声がうるさいはずなのに、僕の鼓動はもっとうるさい。冬なのに背中がじっとりと濡れる。
「ホモ田、クラスでどの男が好みなんだよ」
東郷くんの声が脳に響いて頭が痛い。きっとみんな笑っていて、男子たちは嫌な顔をしながら僕の答えを待っているのだろう。けど確認できるほどの余裕がなかった。
失恋の力はすごい。自暴自棄になるには十分な病だ。いつも通りやり過ごせばよかったのに。
「ぼ、僕は……、ホモじゃ、ない……!」
ドン、という衝撃が手のひらを弾いた。僕が東郷くんを押しのけた音だった。
彼は目を見開いて、すぐに鋭い視線を向ける。
「てめえ」
隆々とした筋肉と骨が僕の頬にめり込んだ。背中が床にぶつかり鈍い痛みが広がる。それだけで終わらず、体のあちこちが凹んでいく。口内に鉄の味が流れてきて、四肢は内出血を起こしだす。
先生の怒号で僕の意識は終わった。目覚めたときは保健室で、先生に帰宅を促された。窓から西日が強くオレンジ色に世界を照らしていて、既に放課後になったのだと気づいた。
幸いなのは、今日が金曜日だということ。もしそうでなかったら、翌日からもっと教室が地獄になっていただろう。休みが挟んであって良かった。
けれど、真の地獄は休みが明けてからだった。
「六組の志摩ヒカリさんが先日亡くなりました。黙祷をします」
先生の一言は僕を奈落へ突き落とした。どの教室も静寂で満たされていて、耳鳴りが一層激しく頭を劈く。黙祷は人生で最も長い一分間だった。
どうして。
どうして亡くなったのか、いつ亡くなったのか、何も知らされなかった。
教室は僕がいても笑い声ひとつ聞こえない。東郷くんでさえ僕を視界に入れないから、まるで自分が透明になったかのように感じた。そうなってしまえばいいと思った。
それでもこの肉体はいつも通り筋肉を蠢かせ、存在を主張して、本当に透明になってしまった志摩さんと代わることもできない。
このことがあって休校となり、生徒は自宅学習を命じられた。部活動も今日は中止になって、生徒も先生も早々と帰っていく。ひっそりした校舎は別世界だった。
僕も帰らなきゃなのに、志摩さんがいた空気に触れておきたくて。彼女の教室に初めて足を踏み入れた。どの席か知らなかったけれど、真っ白な百合が咲いた机のせいで嫌でもわかってしまった。花瓶も白く、中は水が湛えていて触らずとも冷たさが伝わった。
「志摩さん、」
彼女の机をそっと指でなぞる。僕の敵ではないただ一人の人、秘密を共有してくれた人。誰も知らない僕の気持ちを刻むように、傷一つない机を撫でた。僕には志摩さんがいたんだって、存在しない観客に見せつけるように。
「オイ、何やってんだよ」
鈍器で殴られたかのように低い声がぶつけられた。……よく知っている、声。
教室の入口で東郷くんが僕を睨んでいる。
よりによって彼に、見られた。指先からどんどん冷たくなって、氷のように体が硬直した。
「……お前だろ」
「え?」
「お前がヒカリを、殺したんだろ」
雷が落ちた。殺したって?
「お前だろ、お前だろ! 俺よりヒカリの方が勝てると思ったんだろ!」
「どういうことっ」
東郷くんが僕の胸ぐらを掴んで叫んだ。熱のこもった怒りが轟いているが、僕にはさっぱりだった。
「ごほっ……志摩さんは、殺されたの、」
「オタクのくせにネット見ねえのかよ」
東郷くんは僕にスマホの画面を見せた。液晶はひびが入っている。
「『警察は殺人事件として捜査中』……?」
ネットニュースの記事が表示されていた。そこには間違いなく「志摩ヒカリ(17)さん」が「遺体で発見された」とある。
スマホが床に投げ捨てられ、そのあとグシャッという音が聞こえた。東郷くんが献花を握りつぶした音だ。真っ白な花びらが宙を舞って、花瓶と共に地に落ちる。水が床を黒く濡らして、僕と東郷くんの間に流れた。
「僕じゃない……本当に」
「とぼけるなよ、俺が何も知らないと思ったか? ヒカリがお前と絡んでたの知ってるんだからな! 俺の、妹と……!」
「い、妹……?」
「聞いてねえの、志摩ヒカリは東郷ヒカリだったんだよ」
東郷くんが鼻で笑って僕を見下ろした。
「もしかして君が……志摩さんの、双子の……?」
「は? 知らなかったのかよ」
僕は改めて東郷くんの顔を見つめた。
瓜二つではないけれど、双子と言われたら確かに誰もが納得する顔をしている。志摩さんを男性にしてみたらきっと東郷くんのようになるに違いない。
瞳が丸くて、実は垂れ目で、眉は逆に少し吊り上がっていて、鼻はしっかり骨の形がゆるやかで、唇はほんの少し厚め。
志摩さんがそこに、いた。
もちろんそれは僕の錯覚にすぎないし、目の前にいるのは僕の天敵ただひとり。
それなのに、僕の中で恐ろしい感情がふつふつと湧き上がっていった。彼は志摩さんではない、わかっているのに脳が言うことを聞かなかった。
心臓が高鳴って、体が火照っていく。志摩さん、こんなところにいたんだね。
「お前じゃなきゃ誰が……」
僕の罪が膨れ上がっていく音がした。





