1-15 カナエちゃんを探せ ~君を探す旅は世界を救うのか、終わらせるのかどちらだろうか~
僕、上杉夏彦は十年前の、初恋の少女との約束を思い出して、目が覚める。
『かくれんぼをしましょう』
僕は彼女を探す旅に出る。
どうやらカナエちゃんを探さないと、世界が消えるらしい。
謎の男に殺された時、僕は花菜と名乗る女性に助けられ旅をすることになったのだった。
自分の人生に希望を見いだせない青年が、初恋の少女を探す旅で、何を見つけることが出来るのだろうか。
追いかけて来る男は何者か、花菜はなぜ僕を助けたのだろうか。
カナエちゃんは何?
分かっていることはただひとつ。
「カナエちゃんを探せ」
ああ、これは夢だ。
その証拠に目の前の彼女の顔が見えないからだ。にっこりと笑う顔が可愛らしく、活発で、大人しく、誰からも好かれた彼女は、僕の初恋だと思う。そんな彼女と最後に会ったのはいつだろうか、もう覚えていない。
『かくれんぼをしましょう』
彼女の言葉は僕の心を躍らせ、はっきりと「うん」と返事をした。
『じゃあ、十年したら探しに来てね。十年後の七夕よ』
十歳の僕に彼女が言った。
二十歳の僕は目を覚ますと、ゴミが散らばった床から携帯を探しだし、日付を確認する。
七月七日七時七分
目覚ましタイマーが鳴る前に目が覚めたはずなのに、携帯が鳴った。
『もーいーよ』
そうだ。彼女を探さないといけない。初恋の彼女の名前はカナエちゃん。苗字は覚えていない。
地元を離れて二年目の僕は、実家に電話をすると、女性の声が聞こえる。
「ああ、カナエちゃんかい。確か、長崎に引っ越したって言っていたかね。それより、夏彦。こっちに来るのかい? もう、四年だよ。母さん、さみしいよ」
「いや、用事が出来たから、今年は帰らないよ」
「そうかい、残念だね」
電話が切れて、僕はぼんやりとした頭がはっきりとしてきた。
今の電話は誰だ? 声は母親だった。しかし、彼女が電話に出ることなんてあり得ない。だって、四年前に死んだのだから。先ほどの電話で、女性は『帰ってくるのか?』とは聞かなかった。
『こっちに来るのかい?』
こっちとはどこのことだろうか? 今、母さんが居る世界。
僕は深く考えることを止めた。
しかし、なぜかカナエちゃんが長崎にいると言う言葉は、信頼できる気がした。 たとえ、彼女がそこにいなくても別に困りはしない。夏休みの小旅行だと思えば、なんてことはないだろう。
蝉の声を聞きながら、僕は身支度を始めた。ぬるい水道水で顔を洗い、長く伸びた髭を剃る。
「さて、どうするか?」
長崎に行くにしても、先立つものがない。財布を見ると、一万円を切っていた。
サービスエリアで長距離トラックをヒッチハイクするか? 特に用事のない僕には時間だけはたっぷりあるが、ヒッチハイクなどしたことがない僕が上手くいくだろうか?
父親に金をせびるか? しかし、もう一度、実家に電話をする気になれなかった。酒代かパチンコ代かと聞かれるのもうっとうしいし、そもそも誰が電話に出るのだろうか?
そう考えると、恐ろしかった。
蒸し暑いボロアパートの冷蔵庫の中から、冷えた麦茶を飲むと一息つき、床に転がる酒の空き瓶を避けて、荷造りを始めると、チャイムが部屋に鳴り響く。
『まーだかなー』
宅配を頼んだ記憶はなく、新聞も取っていない。こんな朝早くから、人が来る心当たりもなかった。
ドアを開けると、そこには四十代ほどの二人組の女性が立っていた。
僕は即座に宗教関係だと理解する。
「おめでとうございます、上杉夏彦さん。あなたは我が教団のキャンペーンに当選いたしました」
仮面のように笑顔が張り付いた女性達が、今にも拍手をしそうな様子でそう言った。
明らかに怪しい。普通、当選詐欺はメールなどで送って来る。それが直接やってくるなんて、珍しい。だからと言って、今時、騙されるような奴はいないだろう。
「ありがとうございます。それで、いくら当たったんですか?」
「百万円になります」
「それは現金ですか?」
「現金です」
女性は笑顔を崩さないまま、帯付きの札束をバッグから取り出し、僕に渡した。
一番上と下が本物で、真ん中が新聞というような、偽札ではない、全て本物の一万円札。
「これをお渡しすると言うことは、キャンペーンの趣旨にご賛同していただいたと言うことでよろしいでしょうか?」
「はあ」
突然の現金に放心状態になる僕に女性は笑顔を貼り付けたまま、血を吐いて倒れた。
「なっ! 大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。彼女はお役目を終えただけですから、あなたに現金を渡すというお役目を」
「お役目?」
「はい。では、私もお役目を果たさせていただきます。今日から一年以内にカナエ様を探して、『みーつけた』と言ってください。そのためには、私ども教団が手助けをさせてい……」
ターンと乾いた音とともに、僕の目の前で話していた女性が胸から血を吹き出して倒れた。重なり合う二つの女性の死体。べっとりと廊下を赤く染める。
僕は思わず辺りを見回すが、人気はない。
思わず座り込んだ僕に、女性は説明を続ける。
「……ただきます」
「一年以内にカナエちゃんを見つけられなければ、僕も殺されるのか?」
「いえ、消えるのは世界の方です。それでは私もお役目を終えます」
それだけ言い残すと、女性は全く動かなくなった。
このままでは、僕も殺されるのだろうか?
僕は手の中にある札束をバッグに押し込んでヘルメットをかぶると、駐輪場に止めてあるバイクに飛び乗った。
とりあえず、ここを離れる。幸いなことにガソリンは満タンだ。すぐに首都高に乗ると一息ついて、これからを考える。
首都高から東名に乗り長崎まで走るか、飛行機か新幹線で移動するか、それとも船を使うか。
女性を殺したのが、誰かは分からない。狙いは女性だったのか僕なのかも分からない。分からないが、狙われているのならば、選択肢としては飛行機だろう。乗ってしまえば、向こうの空港までは安全だ。
僕は羽田空港へ到着してバイクを止め、携帯を操作して、長崎行きの飛行機を検索しようとした時、父親に手を引かれる女の子が目に入った。
これから飛行機に乗ってどこかへ行くのだろう。真っ赤なリュックに、ぬいぐるみを手にしてニコニコしている。これから行く旅行が楽しくてしょうがないのだろう。
初めてカナエちゃんと出会ったのも、あれくらいの年の頃だっただろうか。毎日が楽しく、未来は光り輝いていた。
カナエちゃんを探し出して、あの頃を取り戻すのだ。
目の前の少女のように。
爆発音で身体を震わせ、僕は反射的に腕でヘルメットをかぶったままの頭を守る。僕の目に落下した天井に押しつぶされた、少女の父親姿が映った。
突然のことに、少女は何が起こったか分からず、パニックになる。まるで、それが引き金だと言わんばかりに壁が倒れようとする。
「危ない!」
僕は反射的に少女に向かって走った。
何かに躓いて転びながら、少女を見ると目が合った。恐怖に怯え、充血した目の少女と。
「殺さないで……」
彼女は潰され、そして僕は叫んだ。
「あーーー!」
「うるさい!」
誰かが僕の頭を踏みつけながら、怒鳴った。その足を振り払い、立ち上がると、目の前の男はライフルの柄で僕の顔を殴りつけながら言った。
「何で、さっさと空港に入らなかった」
殴りつけられて、距離が出来た僕はその男を見た。背の高さは僕くらいだろうか。まるで喪服のような上下真っ黒のスーツに真っ赤なシャツ。ネクタイはなく、サングラスに黒いマスクを付けている。
怪しい姿だ。僕は直感的に、爆破事件の犯人だと確信する。そして、アパートの前の女性を殺したのもコイツだろう。
戦うか、逃げるか。
考えるまでもなかった。
僕は男に背を向けて逃げ出した。
銃声とともに右の太ももに焼けるような痛みを感じて、地面に転がりながら、僕は声にならない叫び声をあげる。
そんな僕に男は冷たく言い放った。
「お前は死んでもらう」
「ま、待て、僕がここで死ねば、世界が終わるんだぞ。それでいいのか?」
僕の言葉に男は笑った。そりゃ、そうだろう。誰がそんなこと信じるのだろうか? 僕以外に。
男は僕の頭に銃口を向けて言い放った。
「知っているさ。それが狙いだからな」
「どういうことだ?」
「遺言は以上か? じゃあ、ゆっくり眠りな。いつものように世界を恨みながら」
男の言葉の後、銃声と男のうめき声が響いた。思わず、目を閉じていた僕の手を引く力強い手があった。
「立って! 逃げるわよ」
そこには見知らぬ女性がいた。長い黒髪をポニーテールにして、薄手のシャツに、ジーンズ姿の女性は、僕を車に押し込むとタイヤを鳴らして急発進する。
「危なかったわね」
彼女はバックミラーで先ほどの男の様子を確認しながら、駐車場から飛び出す。
車の中から見る空港は半分以上崩れていた。
空港へ行こうとする反対車線は大渋滞となっているが、まだ混乱収まらない空港から逃げ出した車は数少なく、スムーズに空港を離れることが出来た。
一息付けるほど走った後、僕はヘルメットを取った。
「ありがとう。助かった。でも、なんで君は僕を助けてくれたんだ?」
「なぜって? あなたがカナエ様を見つけなければ、世界が消えるからに決まっているでしょう」
その口ぶりに、僕はある種の不安を覚えた。まるで教団の使者を名乗ったあの女性と同じことを言っているじゃないか。そうすると、この女性も「お役目」が終われば死んでしまうのだろか?
「そうね。私もお役目が終われば、死んでしまうかもしれないわね。ちなみに私のお役目はあなたを守ることよ」
「僕を守ること?」
「そう、神無月夏彦を守ることよ。ちなみに私のことは花菜と呼んで」
「わかった」
「じゃあ、このまま長崎まで向かうわよ」
そう言って、彼女を東名高速に向けて走らせる。
僕の命を狙った男も追いかけて来るだろう。
カーラジオから、羽田空港爆破事件の犯人として僕の名前が流れた。
こうして、二人の逃亡者と一人の追跡者による、長い長いカナエちゃん探しが始まったのだった。





