新たな依頼
道頓堀とびぃ菜は平均して年に三冊ほど出版している。つまり締め切り前の修羅場は年に三回しかないのである。そして当然、それだけで暮らしていけるわけもないので、コンビニでバイトをしているのだ。
「ん、こないだのや」
カフェ『ダンベル』で結城史郎と落ち合ったとびぃ菜にとって、結城が渡してくれる報奨金も貴重な収入源であった。たとえ読み取りたくもない物語を読まされているのだとしても、この現金はありがたい。三十代独身にとっては特に。
「うぅぅ、これでお花見に行けるぅ。花見酒ぇ」
そしてとびぃ菜にとって、結城からの報奨金は余剰金と見なして遊興費や交際費に消えるのが常だった。将来のことを考えて切り詰めて切り詰めて生活するスタイルはとびぃ菜の性格に合わない。たまには美味しいご飯を食べたいという欲求には逆らえなかった。
「そういや、もうすぐ満開やなぁ」
今思い出したと言わんばかりの声に結城を見上げ、どこか清々しい顔を見て取った。
「今度の彼女は続くとええねぇ」
とびぃ菜がしみじみと呟くと、結城は気まずそうに横を向いた。ナースコスプレが好きな変態と思っていたが、よくよく考えればハーレムが好きなわけでも寝取られが好きなわけでもないのである。衣装に多少のこだわりがあるだけで、そういう意味では結城のような男はごくごく真っ当な成人男性かもしれなかった。
「それで、や。そのうち時間作ってもらお思ってたんやけどな、今度顔確認してほしいやつがおんねん」
早速次の事件を提示され、とびぃ菜は現金収入と不快な物語を天秤にかけ、結果現金に転んだ。
「ええけど、今週は無理やで。週末に先輩作家に|プロット(あら筋)添削してもらうねん」
「プロットってなんやねん……ええで。ちょうど来週のが都合がええから」
スケジュール帳を確認したらしい結城がそう言って頷いた。
「とりあえず今日は事件のあらまし知らせとこ、思てな」
そう言いながらカフェの木目調のテーブルに資料を並べ始めた。
「ちょっと! 怖い写真は嫌やで!」
被害者の遺体の写真とか絶対にごめんである。スプラッタもホラー映画も無理なんである。血が駄目なわけではないが、死者の顔は見ないですむ方がありがたい。
「部外者にそんなん見せるかいな。事件の流れや。俺やって全部覚えてるわけやない」
そう言いながら書類をめくり始めた結城は、とびぃ菜に事件のあらましを話し始めた。ダンベルの店長らは結城の様子を察してカウンター向こうでカフェの用事をしている。とびぃ菜らがいつも座るテーブルはカフェの一番奥で、他の客には声が届きにくい仕様になっていた。一番奥より少し手前で空調が動いているので、とびぃ菜らの話が伝わりにくいのだ。
「被害者の女性が失踪したんやけど、夫から行方不明届けが出てる。それがDV夫やったらしくて、妻から警察に相談が寄せられてた。夫以外に交際していた男がいたらしいんやけど、その男も知らん言うてる。俺らは夫が妻を殺して失踪扱いにしたんちゃうかと思ってるんやけど、アリバイがある。どういうこっちゃとなってるから、確証がほしい。副本部長もお前に期待してる言うてはったぞ。良かったな、トビー」
「副本部長ってなんやのそれ」
警察機構のことは知らないが、なんか偉そうな響きではある。
「知らんのかいな。大阪府警のお偉いさんや。俺もサイバー課やった頃から世話になってる人や。ヘマしたらだいたい庇ってくれはる」
「ヘマすんなやポンコツ」
「あぁ?」
凄まれてとびぃ菜はさっと目を逸らした。
「……あぁ、そういえばその被害者、なんか有名な小説家の家事代行サービスもやってたらしいで。伊達……伊達なんちゃらいう……」
とびぃ菜は目を丸くした。
「え、伊達慎一先生? ミステリ作家の?」
「そんな名前やったかな……あぁ、これや。そうそう、伊達慎一。知っとるんか?」
紙を繰って確認したらしい結城は、伊達慎一の名前をはっきりと口にした。
「知ってるもなんも……週末にプロット添削してくれはる先生が伊達先生や」
豆乳ガトーショコラを口に運んでとびぃ菜はにんまりと笑った。
「あんな、もしかしたらあたし、普通の本出せるかもしれへんねん」
「あぁ? エロ本やなくて?」
「TL小説言えや。……そう、本屋さんの、普通の本が置いてある本棚に、あたしの本が置けるかもしれへんねん」
小さな頃からその名前を聞いて育った本達と同じ場所に、自分の本を置いてもらえるかもしれない。それを想像しただけで、最近のとびぃ菜はみっともなく笑み崩れるほど上機嫌だった。
「それって凄いんか? エロ本やって本やろ? 本屋に売ってんねんやろ?」
心底疑問に思っているように問われ、とびぃ菜の目が尖った。
「凄いに決まってるやろ! あたしが書いてるTL小説は、ある意味おんなじことが重要やねん。奇抜すぎる設定は邪魔やし、オリジナリティ出し過ぎてもあかんねん。悩みすぎても、テーマ出し過ぎてもあかん。一定のレベルで酔わせて気持ち良くするのがTL小説やねん。……でも、普通の本はもっと飛び抜けてないとあかんやろ? もっと常軌を逸してないと本になる意味がないやんか。あたし、そういうの苦手やねん。突飛な設定も、深遠なテーマも重すぎて苦手やねん。でも、一冊だけでもそういう本出せたら凄いやん?」
熱弁するとびぃ菜に、結城は
「あ~、そうやな。凄いな。はいはい」
と適当な相槌を打ってきた。少しムッとしながらも、この脳筋に分かるはずもないと思い直す。そもそもこいつの読む本は深夜にナースさんが下のお世話をしに襲ってくる話ぐらいしかない。期待する方が間違いだった。
「凄いんやろうけど、俺からしたら本郷猛の方が神やけどな」
足を組み替えながらそう呟かれた名前に、とびぃ菜の耳がそばだつ。
「え、え、ちょおっと待ちぃ。本郷猛って言うた? あのハーレム作家?」
結城は本郷猛の名前を聞いて目をきらめかせた。
「知ってんのかトビー! 凄いよなぁ、あの人。ナースのハーレムやで? どのナースもちゃうねんで? それぞれ特徴あるナースがヒロインズやねんで? 俺、あんなに本にハマったことないわ」
「う~わ~。マジでか」
本郷がそんなナースハーレム本を出していたことも知らなければ、結城がそんな本を読んでいることも知らなかった。共通の知人にそんな性癖まで共通していることはもっと知らなかった。
「……いや、ものは考えようやわ。まだシロさんと本郷ちゃんで良かったわ。九条院と一緒やったらもう仕事できへんとこやったわ」
あんな異星人なノリの男が周囲に何人もいてもらっては困る。そういう意味ではまだ真っ当なのかもしれない……比較的。
「本人に伝えたら喜ぶ思うわ」
「知り合いなんか! サインほしいなぁ」
「自分で言え」
物欲しげな結城の視線を一蹴した。ナースが並んでいるだろう本を本郷に差し出すのも、サインが書かれたその本を結城に返却するのも嫌だ。デフォルメされた巨乳娘達のイラストが描かれているだろうことは想像に難くない。
「俺とお前の仲やろ、トビー」
「そんな仲断固として拒否するわ」
きっぱりと断った。最初が肝心である。ここでなぁなぁに済ませたら、待っているのは巨乳娘イラストを受け渡しする闇業者の未来しかない。そんな未来なんぞごめんである。
「ちっ。まぁええわ。お前と知り合いなら会える機会もあるやろ」
「ないわ」
突っ込むとびぃ菜の言葉は、結城には届かないようだった。
「とりあえず、その伊達なんちゃら先生にも被害者の情報聞けそうなら聞いといてくれや。情報はいくらあってもええもんやからな」
「情報代出るん?」
念のために聞くと、結城は渋い顔になった。
「情報の質次第やな」
あんまり出なさそうだな、ととびぃ菜が判断するには充分な顔だった。
北村雅輝
BL作家。普段はネイリストだが、BLバレしていない場ではBLを封印している。そのため、性癖をさらけ出していると反動で言動が過激になる。ペンネームはおんにゃの子にしたいナンバーワンの俳優から取っている。セクハラしてくる男性を脳内BL変換しているうちに、性癖が覚醒した。そのため、おんにゃの子になるのは中年以上が多い。非王道ゆえに、熱狂的なファンがいる。本郷も九条院もそれなりにBLには理解があるので(ただし己のケツは死守したいタイプ)、雅輝とも仲良く喋れてる。雅輝もネタはふるけど、本人へBLネタは仕掛けないとか、そういう線はきちんと守っている。トビーは愛玩対象。TLも読めるけど、ヒロインは地味女子が好きなタイプ。読む視点は攻め……じゃなくて、ヒーロー視点。