作家交流会 後
和気藹々と話している間に、会場内は埋まっていった。とびぃ菜達の席は末席で、一番出口の近くにある。
「隔離されとるなぁ」
と笑った九条院に、お前がな、と返したかったのはとびぃ菜の方だった。が、そんな上座も埋まり始めている。ほとんど開始の時間帯だったが、お偉い作家様ほど時間にルーズではあった。とびぃ菜はくるる、と鳴き始める腹を押さえ、ひたすらに食事の時間を待っていた。
「あ、玲子ちゃん来たっすよ!」
やや浮かれた声で本郷が囁いたのはその時だった。清楚な濃紺のワンピースに身を包んだ美女が、長い黒髪をなびかせながら何人かの男性と共に入場してきた。
「うふふ……いらしたなぁ、菅原センセ」
雅輝がげへげへ笑いながら同様にその一行を見つめた。主催者である茶色の眼鏡をかけた菅原天士と、その塾生である竹内玲子であった。どこからどう見ても壮年……というか、老境にさしかかっているような菅原をそういう目で見られる雅輝に、とびぃ菜は戦いた。清楚で美少女とさえ表現できそうな玲子を、本郷がそういう目で見るのは分かりもするのだが。
一行は最末席のとびぃ菜らをちらりと見て嗤った、ように見えた。ここからマウント合戦が始まるのだが、それへの対策は考えてある。すなわち、空腹である。食欲に思考が固定されてしまえば、多少のマウントなど、食事の前には無意味なものになり果てる……はずである。食欲こそ最強。これに勝てる欲求など、睡眠欲以外にはない。そしてそれは満たされているはずなのでとびぃ菜に死角はない、はずである。
「ところで玲子ちゃんのデビュー作、なんかの賞を受賞したらしいっすよ」
一行が最上座に座るのを遠目に見ながら、本郷がそう囁いた。
「そらすごいなぁ……っていうか、よぅ知ってんなぁ」
「コネいう噂っすけどね」
本郷の言葉に、とびぃ菜は眉を顰めた。
「ありきたりなネガティブキャンペーンやな」
「だって天下の菅原天士大先生の愛弟子っすよ? それもデビュー作」
それでも険しい顔を崩さないとびぃ菜に、おっとりと雅輝が割り込んだ。
「そんなら菅原センセがお節介焼いたんかもしれへんよね。選考委員に菅原センセが自分の体使って……ぐふふ……」
後半の言葉に、男性陣ととびぃ菜はそっと目を逸らした。玲子ならばともかく、菅原に体を使って迫られてもごくごく一部の稀な人間にとって以外は拷問にしかならないだろう。
そんな囁き声も、会が始まってしまえば目立ちする。主催者たる菅原のありがたいスピーチを聞き流しながら、前菜とスパークリングワインが用意されるのを凝視する。貝柱と赤カブのマリネ、白いスパークリングワイン。シュワシュワと微細な泡が勢いよく湧き起こっていたのが、スピーチの経過とともにか弱く静まってしまう。スパークリングワインに謝れ。そんな言葉と唾を飲み込みつつ、とびぃ菜はスピーチが終わるのをジリジリと待った。
「では最後にこの度、森鴎外文学賞を受賞した竹内玲子君から、乾杯の音頭をお願いしたいと思う。玲子君、頼むよ」
菅原の合図で、玲子がすっと立ち上がり、横に並んだ。ホテルの係員がマイクの位置を丁寧に直す。
「ご紹介にあずかりました、竹内玲子です。僭越ながら乾杯の音頭を取らせていただきます。この関西作家交流会、並びに菅原先生のますますのご活躍を祈念致しまして、乾杯!」
どもりもとちりもせず、堂々と乾杯の音頭を取る玲子にとびぃ菜はほう、とため息をついた。
「乾杯!」
と返しつつ、隣の雅輝に話しかける。
「よぅあんな、すらすら喋れるなぁ?」
「そら根回し済みで練習してるからちゃう?」
お互いにコツン、と軽くグラスを重ねながら雅輝は苦笑した。
「あたしなら練習してても無理やわ」
「そこがトビーちゃんのええとこやから」
お互いにクイッと喉を潤しつつそう言われ、とびぃ菜は褒められたのか貶されたのか判断に迷い、ん? と首を傾げた。
「ますます玲子ちゃんが遠なるなぁ、本郷君? どうや、そろそろ寝取られの魅力に気づく時が来たか?」
「そもそも彼女ちゃうやろ」
とびぃ菜の突っ込みは男性陣には届かないらしい。本郷は真剣な顔で考え込んでいる。
「……いや、ここはトビーの提案を活かしたい。まだ彼女ちゃうから、ここは権力者から寝取る方向に舵を切りたいと思う」
「そんな提案してへん!」
とびぃ菜の突っ込みは空しく響いた。
「トビーちゃんあんなんほっといたらええねん。ご飯食べよ? せめて会費分は元取らな」
出版社の助成があるとはいえ、会費が無料なわけではない。そこそこの会費は払わされているので、その分飲み食いをして元を取るべきであった。正論である。
「せやな、食べよ」
寝取り寝取られの話を繰り広げる男性陣から目と意識を逸らし、とびぃ菜はナイフを手に取った。
「そろそろ始まったな」
九条院が楽しげに目を細めながら上座を見やった。上座の中央、最も良い席に、その周りの席から挨拶に向かう集団が見受けられた。席次の順位に従って、下座の者が上座の者に挨拶をするという習慣が生まれたのは、ここ数年のことだった。下座の者ほど、より多くの席を回らなければならない。
「アホらしい習慣やわ」
雅輝が吐き捨てた。とびぃ菜達は最も下座にいる。つまり、全ての席を回らなければならない場所にいるのだ。そしてとびぃ菜達が挨拶すべき対象には、菅原の小説家養成塾に通っている塾生の席も含まれる 。
小説家志望の若者に頭を下げさせられる状況に憤り、参加しなくなった官能小説家は多い。
「今のうちに食べとこ」
メインの牛肉を頬張りながらとびぃ菜は言った、というより、宣言した。空腹からの美食による満腹がもたらす幸福感。そこに僅かながらアルコールが加われば怖いものは何もない。どんな嫌味でも笑って受け流せる自信がある。目指せ高級入浴剤セット。
「ハムスターみたいで可愛ええよ、トビーちゃん」
ショートヘアに紫メッシュの危険な美人に頭を撫でられ、とびぃ菜はにやついた。外見じゃなくて中身が危険なんだと知らなければただの美人である。同性ならではの役得といえた。
「せやけどトビーが一番目ぇつけられてるっすよ? 気ぃつけなあかんっすよ。オーラからして危険な二人と、身長だけはある俺とでは、トビーが一番無害で虐めやすそうな外見してるんすから」
「俺は無害やでぇ?」
誰もが九条院の主張を黙殺した。
「目だたんように大人ししてるだけやのになぁ」
とはいえ、この中で一番害がない自負はあった。
「それがあかんのよ。ちょっかいかけてきたら潰すぞって気概が伝わらへんのやから」
「まさちゃんみたいに誰もが武闘派になれると思わんとって」
人間、できることと得意なことは違うのだ。知らんけど。
「ほなデザート来る前に嫌な仕事はやっつけまひょか? 気持ちよぅ甘い物食べたいやろ?」
そう言って九条院が立ち上がった。真っ当なことを言っている時が一番危険な気がするのはとびぃ菜だけだろうか。
「いつでもかかってこいや」
紫のルージュが落ちないように慎重に口元を拭ってから、雅輝も立ち上がった。とびぃ菜は慌てて口の中の物をワインで流し込んだ。
「フォローよろしゅう」
女性にしては高い場所にある雅輝の顔を覗き込んで、へらりと笑う。強い者の影に隠れる気満々であった。
「ええけど暴走したら止めたってな?」
雅輝の言葉に、曖昧な微笑を浮かべる。止められる気はちょっとしない。
集団で菅原達のいる主催者席に向かう。菅原の愛弟子らしく、その隣に玲子が座っていた。近づくとびぃ菜達をちらりと見て、ふっと頬に冷笑が浮かぶのが分かった。顔を歪めた不格好な表情さえものにするとは、さすがは美人作家だった。
「菅原先生、今年も招待してくださり、大変光栄です」
九条院が、澄ましたサラリーマンのようにそつなく挨拶を始めた。まるでまともな人間のように見えるので、背筋がそわそわして落ち着かない。いつ口から宇宙人の触手が出てくるのだろうかと、ホラー映画を見ている気になってしまう。
「……あぁ、君達か。そろそろポルノではなく真っ当な文学に戻ってくる気はないかね。昨今、若者の小説離れが問題となっているが、君達にもそれを憂う気持ちはあるだろう。その危惧を、文学の素晴らしさを少しでも若者に伝えるという、高い志へと昇華させる気持ちは、君達にはないのかね」
いきなり菅原の説教が始まったが、ここ数年ほぼ同じことを言われているので、聞き流すのも容易い。というか、小説嫌いの若者に純文学なんて読ませても無理なんじゃないだろうか、とさえとびぃ菜は思った。そういうのは読書好きな層に需要があると思うのだ。
「そうですね、だから僕も寝取られを--」
真面目な顔で純文学の大家に寝取られの良さを布教し始めた九条院を、とびぃ菜は信じられないものを見る目で見つめた。ただそうやって固まっているとびぃ菜とは別に、それを見越していたらしい雅輝が九条院の横腹を肘鉄でどついた。
「--っぐ」
黙り込んだ九条院を余所に、雅輝がにこやかに相槌を打った。
「全くその通りだと思います。だからこそ若者の文学離れが加速するんでしょうね」
にこにこにこ、と絶やさぬ笑顔と、早口に語られた言葉に菅原は誤魔化されたらしい。
「そうだ。君達も小説家を生業にできる技量はあるのだから、まともな小説を書く気になったら私に相談しに来なさい。少しは便宜を図れるだろう」
満足そうに頷く菅原とは違い、雅輝の言葉を聞き取れた玲子は目をつり上げた。
「少しは恥じたらどうなんですか、信じられない。性的に搾取される性別でありながら、ポルノに手を出すなんて。未来の女子達に言い訳が立つんですか」
潔癖な言い方に、とびぃ菜は少し苦笑した。別に男性向けに書いてはいないのだが、玲子には、女性向けと男性向けの違いが分からないらしい。もしかしたら知らないのかもしれない。
「なんのために書いてるんだか」
そんな玲子を、雅輝は一蹴した。
「なんのために、って、そんなの女性のために決まってるじゃないですか。抑圧された女性の苦しみを描き出すために私は書いてるんです。そしてそれを評価してもらってるんです」
「今苦しい人間相手に『あんたの人生苦しいことばっかりや』って叩きつけて何が楽しいんだか。人生捨てたもんじゃないって思わせてなんぼちゃうの」
雅輝と玲子が睨み合った。
「ま、まぁまぁ……それぞれ必要な人のとこに届けばええやないですか。どっちが偉いわけでもないでしょ?」
思わず仲裁に入れば、玲子がさらにいきり立った。
「私達の作品より、あなた方のポルノの方が価値があるって言いたいんですか!? 信じられない。下半身に訴えるしか能のない小説に価値があるとでも思ってるんですか? 本気で? 未来になにも繋がらない小説の、いったいどこにそんな価値があるって言うんですか」
吐き捨てた玲子に、ぐっと雅輝が身を乗り出して言い争おうとしたのを、とびぃ菜は体をねじ込むようにして止めた。少々酔いの入った身にはきつい。これだから武闘派は。
「全く仰る通りやと思いますぅ。あたしらのはいわば対症療法なんやと思います。しっかりと世論を動かす大作は竹内先生にお任せしたいなって思ってますぅ」
へらへら笑いながら雅輝の袖を引く。視界の隅で、九条院の腕を引いている本郷の姿が映った。全く、これだから武闘派は。
にこやかに笑いつつも不穏に目をぎらつかせる九条院と、あからさまに不機嫌な雅輝のコンビは最強だった。どの席の人間も、この二人に関わっちゃいけないとばかりにそそくさと挨拶を交わすだけで苦行は終了した。途中からとびぃ菜も、雅輝が不機嫌を装い始め、九条院が際どい言葉遊びを始めたのが分かった。この確信犯どもめ、と思いつつも、彼らの機嫌が軟着陸してくれたことに安堵を隠せない。
「猛獣の世話するなんて聞いてないっす」
大男が肩を落としながらそう嘆くのを、とびぃ菜も全く同じ気分で頷いた。去年みたいな泣き寝入りも腹立たしいが、今年の操縦不可な猛獣の付き添いも疲れる。
「ようやくデザート食べれるな」
席に戻ってデザートの皿を目にした九条院がそうにこやかに言うので、
「あんたが言うな」
「お前が言うな」
と、とびぃ菜と本郷は即座に返したのだった。
遠巻きに視線を感じつつ、デザートのプチケーキセットを楽しむとびぃ菜だったが、ふと思いついて雅輝に尋ねた。
「ねぇまさちゃん。まさちゃんはなんのために書いてるん?」
追加したらしい赤ワインを呷った雅輝は、とびぃ菜の言葉を聞いてにやりと笑った。
「なんのためって、楽しいからやね。おっさんをひぃひぃ言わせておんにゃの子にしちゃうのがめっちゃ楽しい」
悪い顔で微笑む雅輝に、とびぃ菜は脱力したように笑った。
「なんやねんそれ。玲子ちゃんが一番嫌いそうなやつやん」
「じゃあトビーちゃんはどんな高尚な理念があって書いてはるのん?」
からかうように問われ、とびぃ菜はう~ん、と考え込んだ。
「う~ん……リアルでは男ってどうしようもないやん。変態とかクズとか多いやん。だから理想の男が書きたかったんかもしれへんなぁ。一途で愛情深くてお金持ちでイケメンにずぶずぶに愛されるんって幸せやろなって。現実にはおらんけど、そんな男」
「おらんな、そんな男」
「おらへんよね、そんな男」
とびぃ菜と雅輝は男性陣をジッと見つめ、それからお互い顔を合わせて頷いた。
「結局、自分の好きなことしか書かれんくない? やからご大層な主義主張よりも、自分の好きな世界をもっと素敵に表現できるようになりたい、とは思うなぁ……もっとおっさんの堕ちたとこを可愛く書きたい……おんにゃの子にされちゃってひんひん言ってる可愛さを的確に伝えられるようになりたい……」
とびぃ菜は目を逸らして頷いた。
「そ、そやね……」
自分が好きな世界をより伝わりやすく書けるようになりたい、という気持ちは同じだ。おんにゃの子とかは分かんないけども。
「やぁ、先ほどはお疲れだったね」
そんなとびぃ菜達の席に、一人の男性が現れた。
「あら、伊達センセ」
ミステリ作家の伊達慎一だった。席次で言えば三番目のテーブルにいた作家だ。関西の大物作家だが、この関西作家交流会では菅原らの純文学グループが大きな勢力になっている。そのため、大物作家でありながら席次はそれほど高くはない。
伊達は会場のスタッフに合図をして、席を準備させてからとびぃ菜と雅輝の間に座った。
「相変わらずだね、菅原天士大先生は」
苦笑いをする伊達に、とびぃ菜と雅輝は戸惑ったように曖昧な相槌を打った。菅原天士大先生、と言いつつ、伊達だって充分に大先生と呼ぶべき作家だ。
「伊達先生、両手に花とは憎いっすね」
そこに助け船を出すように本郷が声をかけてきた。伊達慎一レベルの作家となると、官能小説畑のとびぃ菜らでも読んで育ってきたのだ。むしろ純文学よりも取っつきやすいだけあって、読んでいる人間は多いのではないか。
「すまないね、横取りして」
鷹揚にそう返す伊達に、ぴくりと九条院が反応した。
「--横取り……」
「九条院は黙ってて」
「お前は黙ってろ」
すかさずとびぃ菜と本郷の突っ込みが飛んだ。
「仲がいいことだね。全く、菅原先生はライトノベルを軽視しすぎる傾向がある。……悔しくはないかね?」
穏やかな風貌に僅かな苛立ちを感じ、とびぃ菜は困惑した。伊達の書くミステリはいわゆる本格ミステリと分類されるものだ。その伊達にライトノベルの是非を問われても困るというか、求められている答えが何か分からずに戸惑う。
「伊達先生、その、よく意味が……」
背を丸めるように座った本郷がそう返せば、伊達はゆったりと微笑った。
「君達は出版経験のある、立派な小説家だ。何が読者に受けるか自覚もしていることだろう。そういう君達が全年齢対象の小説をヒットさせれば、菅原先生も驚かれるとは思わないかね?」
全年齢対象、と聞いてとびぃ菜の心がざわめいた。別にTL小説に不満があるわけではない。理想の男性を描いてその恋模様を物語るやり方が嫌になったわけではない。でも、全年齢対象の本を、一冊ぐらい出してみたい気持ちも眠っていた。
「なんなら添削してあげるよ。良かったら持ってきなさい」
そう言って名刺を人数分差し出した伊達は、にこやかな笑顔とともに席を立った。
雅輝から手渡されたとびぃ菜分の名刺には、伊達のメールアドレスと電話番号が載っていた。
九条院幽棲
ネトラレ・ビー・アンビシャス、ボーイズ・ビー・ネトラレ、なアグレッシブ(積極的、攻撃的、侵略的)ネトラレ論者。ネトラレに嵌まる前は彼女がいたのだが、現在はフリー。パッと見イケメンなのに、かもし出す雰囲気があまりに異星人じみているので遠巻きにされるタイプ。初対面の人間にはたいていネトラレを布教している。いつの間にか洗脳されて信者(犠牲者)になる者もいる。トビーらにはお互いの性癖を尊重しているので(変な性癖持ってるけど、まぁ人それぞれやし、ええやつやしな、という自分を棚上げにした感想)、時候の挨拶程度にしか布教しない。
著作はたいがい寝取られ物だが、消極的寝取られから積極的寝取られ、匂わせ寝取らせから寝取らせ覚醒、寝取らせ常習犯など、己の信条を布教する作品になっている(なんかあんだよ寝取られと寝取らせの違いが。知らんけど)。作品自体のクオリティは高いので、稀に信者(犠牲者)が出る。