カフェ『ダンベル』
天王寺に戻り、いつものカフェに寄って座り込む。当然、結城の奢りである。
「ほんま嫌。なんであんなん視なあかんねん」
机に寝そべって愚痴りながらとびぃ菜はそう言った。
「お前しかその能力を持ってへんからや」
しれっとそう返す結城を睨みつけ、とびぃ菜は呻いた。
「あの人、もうすぐ次の犯罪犯すから。今回上手くいったから、次も嫌な相手が死ねばラッキーって思ってる。衝動的に動くから絶対近くで見張ってた方がいい」
とびぃ菜が読み取った物語を、結城に告げる。人が死んでラッキーと思っているような人間の物語にこれ以上関わりたくはない。であるからには、アドバイスは必須である。
「道頓堀せんせぇ、また結城ちゃんに無理言われてるんですか?」
カフェの木製の机に上半身を寝かせているとびぃ菜に、カフェの店長が声をかけてきた。道頓堀とはとびぃ菜のペンネームである。正確には、『道頓堀とびぃ菜』だ。本名は使わなくなって久しい。
木製のコースターに豆乳ラテを乗せた店長は、いかつい大胸筋を誇示しながら結城に凄んだ。
「結城ちゃん、せんせぇに無理難題ふっかけてんじゃねぇぞ」
胸元で組んだ腕にはぽっこりと力こぶが浮いている。カフェ『ダンベル』は、マッチョのマッチョによるマッチョのためのカフェであった。
「使えるやつ使て何が悪いんや」
マッチョな店長とは異なる、喧嘩慣れしたような目つきの悪さで結城が店長を下から睨み上げた。店長はさっと目を逸らし、それから話題も逸らした。
「そ、そういえばなんで結城ちゃんってせんせぇのこと『トビー』って呼んでるんです?」
お疲れ店長。心の中でそう励ましながら、とびぃ菜は口を開いた。
「SNSのアカウント名がトビーやねん。そこで殺人犯の名前呟いたら、その時サイバー課やったシロさんに捕まってん」
正確には、シロというアカウント名の結城とやり取りを経た後に、自宅に突撃をかまされたというわけだが。
「コンビニで荷物の宅配頼んできた相手が殺人犯やって呟いたらそら不穏やろうが。捕まったんが警察で良かったことやな、トビー」
皮肉めいた言葉にとびぃ菜は結城を見上げた。見た目だけは洒落た顔に、疲労感が濃い。
「……彼女に振られた腹いせやめといてくれる? いくらハロウィンでもミニスカナースコスプレ頼まれたらどん引くわ。今時のナースさんはズボンじゃボケ」
結城の顔が初めて歪んだ。
「……ただの……白いミニスカワンピや……」
「童顔巨乳彼女に何させてんねん、アホか。日本の女子資源に泣いて詫びろや」
追い打ちをかけるとびぃ菜をしげしげと眺め、店長が口を開いた。
「不思議な力ですねぇ。さすがは女性向け官能小説家であらせられる道頓堀せんせぇ。女性を悶々とさせるプロですなぁ……」
店長の、尊敬に満ちた眼差しが痛い。要は濡れ場のある恋愛小説なのである、とびぃ菜の書いているTL小説というジャンルは。
「ただのエロ本や、女向けの」
結城がそう言いながら立ち上がった。鋭く端正な顔に影が落ちているのが、ナースコスが原因で振られたせいだと思えば可愛く見えなくも……いや、あんまり可愛くはない。
「女性向けはストーリー重視やからな? 深夜の病棟にナースさんが下のお世話しに跨がってくる男性向けと一緒にせんといてよ?」
激務の医療関係者に土下座して詫びろ、という言葉をとびぃ菜は飲んだ。詳しい勤務内容は知らんけど。
「男の浪漫やボケ」
捨て台詞が寒々しい。ほんまに深夜の病棟でミニスカナースの巨乳お姉さんに跨がってほしかったのか。変態め。
「なんであれがモテるんやろなぁ……顔かな、やっぱり……」
去っていく分厚い背中を見送りつつ、筋肉質な店長がそう呟いた。
「顔でモテて中身で即捨てられるパターンやね」
とびぃ菜はばっさり斬った。
「せんせぇのその力、名前と顔が分かれば誰でも分かるんでしょ? 私のは……」
「店長お願い、私の癒やしを奪わんといて。名前知らんかったら勝手に読み取ることもないねんよ。店長の老後まで読み取りたないぃ」
「はぁ……そうですか」
店長はあからさまに肩を落とした。
「あのね、人生が良くなるアドバイスが分かるんなら、そら店長の役に立ちたいよ? でも私が視えるんは、その人が歩む人生やねん。その人の物語が視えんねん。変えられへんねん。そんなんで、店長の暗い老後知ってもたらこの先のんびりここでお茶できへんやん」
「く、暗い老後……!?」
「暗いかどうかも知らへんわ! でももし暗かったら嫌やん。改善方法なんて私知らへんもん」
基本的にとびぃ菜の能力は、その人間がどんな人生を送るか、物語を読むように読み取ることにあるらしい。その物語を変えられるかどうか、とびぃ菜は試したことがない。その人の顔と性格と名前は、そう簡単に変えられるものではないと思うからだ。
「まぁ、そうは言うてもシロさんの物語も変わってはいるけどな……」
結城の物語は流動的だ。警察という、何が起こるか分からない組織に身を置いているからだと、とびぃ菜は思っている。通常の生活をしていては経験できないことをくぐり抜けていけば、人相も変わるし性格も変わる。根本的な名前による流れは変わらなくとも、それらの蓄積で最終的に人生がどう変わるかは、とびぃ菜も読み切れていない。そのことに安心もしている。
「占いとはちゃうってことですねぇ……ところで道頓堀せんせぇ、新作はどんなお話なんです?」
いかついマッチョの店長が、二の腕に力を込めながらとびぃ菜を覗き込んできた。なんとこの店長はとびぃ菜の小説のファンなのである。
「あ~……締め切り……。えぇと、地味な女子がイケメン社長に磨かれて綺麗になって求婚されるやつ」
とびぃ菜の言葉に、店長の目が輝いた。
「パッと見地味な女子……イイ……!」
とびぃ菜は知らなかった。TL小説を読むのは女性だけだと思っていた。ちょっと過激な恋愛小説として大人女子が嗜むものだと思っていたのである。だが世の中にはそういった小説を読む男性が存在したのである。そう……参考書として。
「そういう子はどうやって磨いていくんです?」
ものすごく店長の食いつきがいい。
「あ~、褒めて褒めて褒めて伸ばす、的な?」
「なるほどなるほど……でも、褒めて磨かれて綺麗になった子が巣立っていったらどうするんです!? 捨てられちゃうかもしれませんやん!」
店長が未だ見ぬ地味系彼女を妄想して涙ぐんでいた。
「そら笑顔で見送るしかないですやろ」
幸せにおなり、と言って手を離すのが正しいTLヒーローである。
「そんなん余所の男にくれてやりたないですやんか!」
涙ぐむマッチョに、とびぃ菜は冷静に言った。
「そこで無理に引き留められたら気持ちが冷めるばっかりやわ。綺麗に手ぇ離したら、余所に飛んでって失敗した時に戻って来てくれるかもしれませんやん。知らんけど」
とびぃ菜の言葉に、店長は息を飲み、胸ポケットから取り出したメモ帳にメモを取り始めた。
ええ人やねんけどな……とびぃ菜はそう思いつつ、冷め始めた豆乳ラテを口に含んだのだった。
瀕死で締め切りを乗り切り、バイトを翌日に控えた月曜の昼下がり。とびぃ菜の携帯に着信があった。結城からだった。
「はい?」
とびぃ菜が出ると、結城は端的に告げてきた。
『容疑者を別件で逮捕した。詳細は--』
「ええよ、聞きたないから。捕まったんやったら良かったわ」
『謝礼はまた今度渡す』
「どうせ次の事件の時なんやろ」
呆れたような声を出すと、電話口で結城がハッと笑いを洩らしたような音がした。
『バレたか。ほなまたな』
こちらの返事を待たずに電話は切れた。風景写真の待ち受けが、すぐに消えていく。とびぃ菜は一目だけ視た後藤裕也の物語を思い出していた。
要領が良く、愛嬌も良い男。だが好き嫌いは激しい。ある日帰り道に、暴行を受けた同僚が倒れていた。大っ嫌いな男だった。朝晩冷えることを思い、自販機で冷水を買った後藤は、倒れた男に水をかける。このまま凍死したらええなぁと思いながら。そしてその願いは幸か不幸か実現してしまう。その男が死んだことを知った後藤は、
『なんて運がええんや!』
と喜ぶ。そして次に繋げようとするのだ――。
「くっそくだらん物語やな」
なんて胸くその悪い物語だろうか。そんなやつの物語になんて、関わりたくもない。
とびぃ菜は昼食に食べたカップラーメンの匂いを追い出すように、窓を開けた。西を向いた方の窓はビルの茶色い煉瓦の壁がそびえていて、西日からとびぃ菜の部屋を守ってくれている。ビル沿いの風が、金木犀の匂いを運んできた。
「他人は幸せにしてなんぼやろがボケ」
触れるともなく家族の遺影に触れながら、金木犀の匂いに包まれてとびぃ菜は呟いた。
結城史郎
大阪府警一課の刑事。綺麗な顔をしているが、かもし出す雰囲気が物騒なので、ヤクザ崩れのホストにしか見えない。ニックネームはシロ。ナースさん好き。好きが高じて彼女にナースコスを頼むのだが、好きな女のタイプがコスプレノン気女子で、そんなノン気女子がぎこちなくナースさんぽく振る舞うのが大好物という、拗らせた性癖をしている……ため、しょっちゅうフラれている。




