異星人現る
北千里近くにある、北関西大学付属高校にとびぃ菜らはいた。偏差値の高い有名私立高校である。緑の豊かな郊外に、広大な敷地面積を誇る高校らしい。外観を眺めただけでも、広い校庭があるのが分かった。その外観は煉瓦造りに見える塀で囲われていて、校門の黒い鉄扉の向こうに校庭や校舎が垣間見える。
とびぃ菜らはそこから大回りして、裏門に当たる場所から警備員の許可を得て校内に入っていった。保護者用の、IDカードを通すカードリーダーまでそこにはあった。さて、まずは校長室である。
洋風の貴族邸宅みたいな屋敷の一階に、校長室はあった。大きな窓から校庭、校門が広々と見渡せる。
「捜査の協力に感謝します」
結城が再び真面目くさった喋り方で校長に話しかけた。ここ北関西大学付属高校、略して北関大付属の校長は、髭の生えたビール腹の中年男性だった。ず~っと延々笑っている。もはやデフォルトが笑顔ではないかと思われるほど笑顔しか見せない男だった。
「当校でも調査は行っていますが、警察の方が捜査となれば我々も安心できます。どうぞ存分に捜査をお願いします。もちろん、学業を妨害しない程度の配慮はいただきたいものですが」
笑顔を浮かべつつの言葉が歓迎なのか拒絶なのか判然とはしにくかったが、彼の名前と顔からとびぃ菜は、彼がただちゃっかりしているだけという実情を読み取った。犯人が見つかれば学校の安全のためにはラッキー、いなければ学校の名誉が保証されてラッキー、といった感じで。ものすごく楽観的だということがよく分かった。
「まずは教頭に藤原美汐さんのクラスを案内させましょう。彼女は優秀な生徒でした。私も藤原さんのお父さんが自殺ではないと話される気持ちもよく分かります。同時に、彼女を傷つけた人間がいないことも祈っています」
朗らかにそう語り、とびぃ菜らを教頭に引き渡した。笑顔の奥に多少の苦悩はあるらしい。表情に出さないから理解されにくいんだろうな、ととびぃ菜はちょっぴり同情した。
「藤原美汐さんは高校三年の特進クラスにいました。有名国公立大学も狙える優秀な生徒のみで構成された、文系クラスです。数学が少し弱いんですが、それ以外は強くて、周りとも上手くやっているように見えた、と担任の九条が言っていました」
校内を先に立って案内しながら教頭がそう語った。外観は煉瓦造りだったが、校内は木造だった。しかもなんか高そうな造りだ。いわゆる木造校舎と言われて思い浮かべるようなボロさは微塵も感じられない、艶のある木造の廊下を歩いて行く。階段から三階に上がり、階段から二番目のクラスが美汐の在籍していたクラスらしかった。窓の外から授業風景を見る。設備こそ最新っぽい高価さを感じさせたが、授業風景にそれほど目立った違いは感じられなかった。あんなもんじゃないだろうか、授業って。まぁ黒板の代わりにプロジェクターを使っているという違いはあるけれども。
「特に男女比も隔たりはなさそうですね」
結城が気取った小声で教頭に言った。
「そうですね。我が校では女性の社会進出にも積極的に取り組んでいますから」
ふぅん、とやる気なく頷くとびぃ菜らを、教頭が先導した。
「担任の九条君を生徒指導室に待機させています。彼から詳しい話を聞いていただければ。……それと、生徒の顔を確認したいとのことでしたが、四時間目に体育館で体育があります。見学していただければ確認できるかと」
教頭が四時間目の始まる時間を言った。今から一時間ほど後の時間だった。
「分かりました。それではそれまで担任の方から話を聞いていましょう」
結城がそつなく頷き、二人は生徒指導室に案内された。引き戸ではなく内開きのドアを開けて案内された生徒指導室は、小さな会議室ほどの大きさだった。椅子はパイプ椅子ではなく座面にきちんとクッションの入った、木の椅子だった。机も六人ぐらいが囲めそうな、木製の机だった。特に落書きも見当たらない、清潔感のある机だ。
が、そんなことはどうでもいい。そこに座っていた人物に比べれば歯牙に掛けることもない情報である。
「こちらが九条先生です。九条君、こちらが伝えていた警察の方だ。藤原美汐さんの捜査をしておられる」
「九条……院……」
とびぃ菜は幽棲と続けかけた言葉を飲み込んだ。だって学校には内緒に決まっているではないか。男性向け官能小説家が高校教師だなんて、学校が知っていたら絶対辞めさせられるに決まっている。というかむしろ、こんな有害な人物が教師でいいのか。ある程度官能描写に慣れたとびぃ菜でさえ読めない、ハードな代物だったぞあれは!
「ん? 知り合いか?」
結城が首を傾げた。同様に教頭も訝しげにこちらを見ている。当の九条院はニヤニヤと状況を見守っている。たぶん刺激が愉しいとか、そんなどうしようもないことを考えているに違いない。
「あ、まぁ……その、趣味の活動で少し……」
とびぃ菜は必死で誤魔化した。九条院が解雇されたら困るというよりも、コレと同類と思われたくないという切羽詰まった事情の方が大きい。
「そうなんですか。では話が早いですね。じゃあ九条君、頼んだよ」
教頭は肩の荷が下りたような笑顔を浮かべ、九条院ととびぃ菜らに問題を丸投げにして立ち去っていった。さすがあの校長にして教頭だった。
パタン、とドアが閉まってようやく、とびぃ菜は呻いた。
「なんで教師なんてやってんねん、九条院!」
「なんでって好きな本読める職業あんまりないからや」
「図書館司書とかあるやろ他にも!」
「司書の正職員の募集は少ないんや」
だからって教師かよ……ととびぃ菜は脱力した。
「トビー、誰やねんコレ」
放置された結城に促され、とびぃ菜はしょうがなく本当のところをぶっちゃけた。
「あ~、男性向け官能小説家やねん。知ってる? 九条院幽棲」
「いや、知らん」
まぁマニアックやもんな、と頷くとびぃ菜だったが、九条院は違ったらしい。
「なるほど、ここにも寝取られの価値を知らん男がいてるわけやな」
「シロさんは本郷猛のナースハーレムが好きやねん。寝取られとは相容れへんと思うわ」
のろのろと椅子に座りつつ紹介すると、九条院は顎に手を当てた。
「それは大問題やな。どんだけハーレム作ったかて、全人類女性を嫁にするわけにはいかへんやろ? 五、六人がせいぜいや。ところが寝取られやと、全人類女性が全部俺の嫁という感覚を味わえるんや。寝取られた俺の嫁。どうや、素晴らしいと思わへんか」
「何言うてるんやこいつ」
結城は異星人を前にしたような気持ちの悪そうな顔になった。その感覚はよく分かる。
「理解しようと思わへん方がええわ。意味不明やもん」
結城はマジマジととびぃ菜を見つめた。
「……お前……案外まともやったんやな」
「コレと比べられても」
これ以上癖のある人間がそうそういてたまるものか。
本名を名乗ろうとする九条院を渾身の力で止めたとびぃ菜は、そこで力尽きた。
「なんやねんこの事件。こんなにハードやなんて聞いてへん」
「俺もトビーがそんな能力あったなんて聞いてへんわ。本郷にもチクっとこ」
すかさず携帯を取りだしてメールし始める九条院には殺意しか湧かない。
「教師が職務中に携帯いじってええんか。サボるなや」
「今は休憩中や」
さらりと流され、呻くことしかできない。そんな一方で、結城は苛立たしげに机を指で叩いた。
「おいこら。捜査に協力せぇや。藤原美汐いうんはどういう生徒やったんや」
どすのきいた声だったが、九条院は特に怯える様子もなく首を傾げた。
「う~ん、ええ子」
「他に!」
携帯を握ったまま、九条院はさらに首を傾げた。
「それ以外言いようがない。そして自殺するような子には見えへんかった。友達と全く問題がないかって言われたらそら高校生やから色々あったとは思うけど、それで死ぬような悩みを抱えているようには見えへんかった。同じく、いじめられてるようには見えへんかった。……というか、いじめるほど暇な学生がおらん、いうか」
「暇」
「そう。この学校、きっちり宿題出すし、それを意図的に放棄したら落第させるくらいのことはするから生徒も本気やねん。塾代払わんでええっていうのがウリやから、教師も本気で教えるし。授業についてこれへんかったら死活問題やから、そっちに真剣やで。部活動とかはプロが教えてくれるからそっちも問題聞いたことないし、部活動やりたない子はやらんでええシステムやし」
さすが私立、ととびぃ菜は感心した。学校行って塾行って、というのが普通の高校生だと思っていたが、そこを一元化したのなら高校の授業にも真剣に取り組みそうな気がする。知らんけど。
「ほな自殺や他殺の可能性がない、いうことやないか」
「せやねん、やから事故なんちゃうかって皆で言うてる。屋上行ってなんかに気ぃ取られてるうちに落ちてもた、みたいな」
「そんなうっかりな子ぉなん?」
何に気を取られていたらそんな事故が起きるというのか。
「そういう子でもなかったけどな。でも人生なにが起こるか分からへんやないか。そこにどんな地雷が埋まってるか分からへんやろ? そんくらい俺にも心当たりがないねん」
う~ん、と結城と顔を見合わせる。
「……とりあえず、屋上見とこか。そこから体育館に行っても四時間目には間に合うやろ」
「ほな案内するわ」
四時間目開始まで三十分ほどあった。とびぃ菜は頷き、椅子から立ち上がった。