ギルド壊滅一日前
解析を続けることに決めたはいいが、やはり手掛かりがない状況に変化はない。
私は次なる手がかりを求め、ペタの街の外れに住む魔法使いの知人を頼ることにした。
魔法使いというやつは、人物として分類すると主に二種類。
一つは、魔法を手段として、富か、名誉か、社会的地位を求める者。
もう一つは、魔法こそを目的として、富も名誉も社会的地位も犠牲にする者。
魔法の言葉の相談相手としては、後者の魔法使いが適切だろう。
前者の魔法使いであれば、人から教えられた魔法の言葉を自分で解析して、自分の魔法として発表してしまうかもしれない。自分の名声のために、他人の見つけた魔法の言葉を勝手に奪う人間などゴロゴロいる。
小耳に挟んだ話では、魔法の言葉を盗み聞きで手に入れるセコい魔法使いがいるとか。まったく、油断も隙もない。タナリスも人の堕落を嘆いておられよう。
後者の魔法使いならば、比較的、そういうことは少ない。もっとも、社会常識に欠ける者が多いのだが。
魔法使いのカリグファは、後者に属する。
偏屈の引きこもり。だが知識は確かな男だ。
彼の家の呼び鈴を鳴らすと、使い魔の黒猫が、ドアの横の小窓から顔を見せて、一言こういった。
「ご主人様ぁ! やな奴が来たぁ!」
なんだコイツは。開口一番に。
家の奥からカリグファの声がして
「じゃあバーダイクだな。何の用事か聞いてくれ」という。
この主人にしてこの使い魔か。
帰ろうかとも思ったが、まだ用事が済んでいない。
「使い魔の躾がなってないようだな。カリグファ」
「蛇の賢者が何の用だ? どうせまた本を貸せとかいうんだろう。前に貸した本はいつ返してくれるんだ?」
細かいことを覚えてる奴だ。さっさと本題に入ろう。
「相談があるんだ。失礼するぞ」
私は強引にドアを開けて、上がり込んだ。
「なにをする? 入っていいとは言ってないぞ!」
「用があって来たのだ。終わったらすぐに帰る。借りた本は今週中に返す。今ちょっと調べ物をしていて、知恵を借りたい」
ふん、と、カリグファは白けた顔をした。
私がこの偏屈な魔法使いからしばしば本を借りるのは事実だが、この男はこの男で、タナリスの図書館を利用する権利を、私の紹介で手に入れている。
私を邪険に扱うことはできないのだ。
「これから読みたい本があるんだ。手短にしてくれよ」
「ああ。実は、また魔力のある言葉の件でな」
「お前のことだから、そんなことだと思った。準備をするから、少し待て」
カリグファはチョークと筆記板を奥から持ってきた。
私もカリグファも魔法が使える。そういう人間が複数集まって、魔法の言葉を何度も発音すると、意図せざる魔法が発動することがある。
それを防ぐ方法はいくつかあるが、一番お手軽なのは、魔法の言葉を文字にして伝えることだ。
つまり、筆談すればよい。
私たちは、小さなテーブルを挟んで座った。
「それで、魔力のある言葉というのはなんだ?」
カリグファは私に筆記板を手渡して、聞いてきた。
私は筆記板に「ケノーバ・ゲシャン・ヒベ」と書いて返す。
それを、カリグファは険しい顔つきでしばらく眺め、口を開いた。
「うむ。第一印象を言っていいかな?」
「なんだね?」
「バーダイク。お前は相変わらず、字が汚いな」
「余計なお世話だ!」
コイツ、私が気にしていることを!
「いや、魔法がとかいう以前に、ゲの次の言葉はシでいいんだな? 真ん中の一文は、『ゲシャン』なのか『ゲシャソ』なのか」
「おい、待て! 言葉を発音するな!」
すると、カリグファは筆記板に何か書き込んで私に見せた。
『ケノーバ(ケノーベ?)・ゲシャン(ゲシャソ?)・ヒベ』
私が書いた文字にご丁寧に添削が上書きされている。カリグファが書いた文字は、明らかにくっきりとした綺麗なもので、それが当て付けにも見えて、ますます私を苛立たせた。
私は筆記板をひったくり、一度すべての文字を消して、書き直した。
『ケノーバ・ゲシャン・ヒベ』
今度は、時間をかけてしっかりと書く。そして腹立ちまぎれに一言追加する。
『目を見開いてちゃんと読め! この偏屈!』
筆記板を受け取ったカリグファは、一読して機嫌を損ね、そしてガリガリと音を立てて何か追記した上で、それを私に返した。
『偏屈とは何だ! お前の字が汚いのが悪い!』
一度ならず二度までも。
私は筆記板にまた追加する。
『引きこもり! 毎回毎回同じ服!』
ククク、これは効くだろう。
カリグファに、この一文を見せると、案の定、彼は顔を真っ赤にした。そして私の手から筆記板を奪い、また何かを追記して、返してきた。
『同じ服じゃない! 同じデザインの服を着替えてるんだ!』
見え見えの嘘だ。私は含み笑いをして返す。
『嘘つけ。胸元の食べこぼしのシミの場所まで毎回同じだぞ』
カリグファは怒りの表情を浮かべ、ガリガリとまた何か書いて、筆記板を私に突き付ける。
『食べこぼしのシミ(ツミ?)』
誰がここで添削をしろといった! この野郎!
思わず椅子から立ち上がると、カリグファも立って握り拳を作る。コイツ、ぶっ殺してやる。
その時、窓際で昼寝をしていた黒猫が、おずおずと口を開いた。
「あのぉ、さっきから、なんで筆記板で会話してるんですか? 魔法の言葉だけ書けばいいのでは?」
『うるさい!』
私とカリグファは同時に叫んだ。
そして、声がハモってしまったので、そのバカバカしさに、ふと冷静になる。
私たちは何をしてるんだろう?
黒猫は長いアクビをして、寝返りをうち、また昼寝の続きをした。
私とカリグファは椅子に座り直し、筆記板も全部消し、また、あの言葉だけを書き直した。
「この言葉だが、どこで手に入れたんだ?」
カリグファがそう聞いてきたので、私は冒険者どもを威厳をもって制圧した、あの酒場での一件を話してやった。
「ははぁ」と、感情のこもらない、どこか呆れたような声であいづちを打ち、カリグファは確認するように言った。
「つまり、これはその、金髪の冒険者が教えてくれた、と、いうわけだな?」
「そうだ」
「お前が、自分で文献なり、実地調査なりをして、直接手に入れたというわけでは、ない」
「そうだ」
「ふぅん……」
カリグファは、筆記板に書かれた文字を読み、筆記板をひっくり返したり、何かメモを取ったりしながら、ぶつぶつと口の中でつぶやいた。
そして、ふと、何かが閃いたかのように目を見開いた。
「これは……!」
「どうした?」
カリグファは私の質問に答えず、筆記板から顔を上げた。そして上目づかいに私の顔を見て、次いで、私の背後の空間へ視線を向けた。
「なんだ? カリグファ。誰かいるのか?」
私は振り向いたが、そこには誰もいない。部屋にいるのは私とカリグファ、そして生意気な黒猫だけだ。
視線をカリグファに戻すと、彼はブルブルと小刻みに身体を震わせていた。
「どうした?」
ヒッ、という押し殺した悲鳴のような声を上げて、カリグファは両手で顔を覆う。
「駄目だ、我慢できない……!」
指の間から、消え入りそうな声がする。
「なんだ? 何があったんだ?」
「すまない。すまないが、急用を思い出した。すぐに帰ってくれバーダイク」
「カリグファ?」
「出て行ってくれ! すぐに! 今すぐにだ!」
カリグファが急に大声を出したので、私は空気に呑まれて、彼の家を出るしかなかった。
いったいあの態度はどういうことだ?
奴は何に気が付いたのだ?
神をも恐れぬ魔法使いまでもが、恐れおののく秘密があるというのか?