六章
第六章
すかさず抜刀し、紅華へ向けて雷光手裏剣を放つ。
霊力チャージの時間も浅い為、さほど威力はない筈だが、見事、紅華の左耳を吹き飛ばした。
周囲に響き渡る絶叫。
いい気味だ。
金縛りで動けぬはず、とでも思ったのだろうか。
種明かしは後でするとして、今は奴が苦し紛れに放った番傘を注意深く回避する。
掲げていた朱色の番傘が、不思議な事に左右のバランスを保ちつつ、おれに向かってスーッと音もなく水平移動する。
「チッ!」
余裕を持って回避した筈が、おれの右ほほに赤い筋が浮かぶ。
微かに触れただけで肉を裂くほどの殺傷力があの傘にはあるらしい。
「ほう、よく避けた。並の男なら首を両断したのち、頭骨が傘の上で転がる様を見る事が出来るというのに」
そんな大道芸は自分の家でやってくれ、気色悪い。
傘の上で生首を回して喜ぶなんて、狂ってるとしか思えない。
「せんせ、後ろッ!!」
おれが再び雷光手裏剣を放つ為、刀を鞘に収めたその瞬間、牡丹の声が脳内に響き渡る。
(分かってるって!)
超速で抜刀し、弾き返したそれは本来のコースを変更し、主人の手元にゆっくりと戻った。
おれの頬を裂いた紅傘はなんと宙空で弧を描き、再びおれに背後から襲いかかった。
とはいえ、おれには全てお見通しなのだが。
おれは背中の右肩口に潜ませていた、百目一眼に感謝した。
こんな商売やってるせいか、尾行してるつもりが逆に尾行され、自分を含め仲間が惨殺の目に遭うのも不思議じゃない。
おれが未だそんな経験をしないで済んでるのは、背後や帰路の途中に百目を仕掛けて、注意を怠らないからだ。
百目は尾行するにもされるにも欠かせない超優秀な妖で、その能力は戦闘にも存分に活かされる。
「えらく便利な番傘だな。紅華の名はそれが由来かい」
首を両断され天へと吹き上がる血飛沫。
それが傘の表面を叩き、宙を舞う光景を想像し、ゾッとした。
「知っておるなら、話ははやい。ならば、これはどうじゃ?」
再びおれに訪れる嫌な予感。
足元より突如湧き出た黒いシミ。
足底より超速で伝わる黒い破壊衝動の接近に、おれは思わず跳躍した。
それと同時に橋の底板をぶち破り、五本の槍が、おれの立っていた場所に姿を見せた。
それが骨女、紅華の右手五指である事に気付いたのはすぐ後だ。
「せんせ、草履!」
紅華は己の上腕を硬質化、巨大化する事により、黒いシミのように広がった亜空間より攻撃してきたのだった。
おまけにその人差し指の先端には、回避しそこなったおれの草履がブスリと貫かれ、クルクルと回転している。
「あッ、ちくしょう。おれの草履、返しやがれ!」
懸命に叫んだのも虚しく、ピンと指先はねられ、草履は川に投げ込まれた。
「てめえ、何すんだ。拾って来い!!」
紅華は右肩口に発生した黒い霧より、腕をズルリと引き抜いた。
それに伴い五指槍は消失。
自分の意思で亜空間の入口をつくり、武器化した四肢での攻撃と見て間違いない。
妖怪なのか、人間なのかそれすらもハッキリしない。
今までこんなやつらと闘った事はない。
「草履を惜しがっている場合ではないぞ、月影斬九郎」
舌舐めずりする紅華。
紅い襦袢は生き物のようにうねり、言葉に呼応するかの如く、新たに妖気の収束、開放を宣言する。
またもや紅傘を掲げたその下方にたちまち黒い霧が湧き立ち、その中より、顔面を黒頭巾で隠した上半身裸の細マッチョと、一匹の獅子、いや、鬼獅子が姿を現した。
「出でよ。岩鉄、獅子丸!!」
おれは紅華の名乗りを他所に、只々、驚いていた。
「こりゃあ、珍しい。じいちゃんが生きてたら喜ぶな」
守護獣として元世でも知られる狛犬、獅子はいわゆる霊獣の扱いとなり、姿、形を変え、全国の神社などにてその姿を見ることが出来る。
一般的に一本角があるものを狛犬。角がないものを獅子と呼んではいるが、一括りに狛犬と称する場合もある。
晩年、妖怪等の研究に心血を注いでいたうちのじいちゃんは変わり者とそしりを受けながらも、日本全国の妖怪について研究、また妖具の収集に明け暮れた。
おれが獅子丸と呼ばれた奴を鬼獅子と呼んだのには当然、訳がある。
守護獣でありながら、頭骨に鬼のような二本の角を持つ妖。
聖と闇属性の二つの属性を併せ持つ、特殊な逸材なのだ。
「おかしな事を。生きて帰れると思ってあるのか?」
「あたりめーだ。こちとら、お前らみたいな相手なんて飽きるくらいしてるんだよ」
「それを聞いて安心した。岩鉄、獅子丸、遠慮なく暴れるがいい!」
「は?」
言うが早いか細マッチョが両腕を交差し、呼吸法を開始した。
「かああああッ!」
おれは額の百目眼を通し、細マッチョに異常な量の妖気が集中するのを感知した。
四方からゴロゴロとした黄土色の妖気が奴の足元へと集まり、吸収されていく。
それと同時に、色白のあばらの浮き出た貧弱な肉体がたちまち五倍ほどに膨れ上がり、その肌は青銅色に変化。
全身の皮膚はまさしく鉄の強度を持つ巨人が誕生したのだ。
岩鉄と呼ばれた細マッチョは両拳を打ち付けながら、おれに突進してきた。
「殴る気満々かよ。いらん事言わなきゃよかった」
一発でも喰らえば象でもダウンしかねないその拳圧に、おれより先に牡丹が反応する。
普段は束ねてあるおれの長髪は、非常時にその拘束から開放される。
牡丹のコントロールにより、瞬時に頭上の樹々へと絡みつき、おれの身体を超速で綿玉のように引っ張り上げる。
傍目には軽く一飛びで五メートルもジャンプしたように見えた筈だ。
おれは身長185センチ、基本体重は72kg。
見た目は長身細マッチョだが、身体に四体の妖を同居させており、結果その総合体重は200kgを超えている。
そのおれの身体をフワリと瞬時に引き上げ、岩鉄の攻撃を回避させたのだから大したものだ。
長く伸ばしたおれの後髪はいつの頃からか牡丹の管理下にあり、伸縮自在の第三の手となっている。
「グウゥゥ……」
初撃を躱され、くやしそうなうなり声をあげた岩鉄に「鬼さん、こちら」とからかった次の瞬間、新たな妖気の収束を感じた。
轟々と鮮やかなグリーンの妖気が、体長三メートルはあろうかという鬼獅子の口元に集中。
みるみるうちに蓄積されたグリーン色の破壊エネルギーが、口腔に溢れるのをみて、それはカウントダウンと同義と理解した。
「やっべ‼︎」
次の瞬間、爆音と共に放たれたグリーン色のショックウェーブはおれが退避していた樹々を千切れんばかりに揺らす。
「まずい。下半身が言う事きかねェ。落ちる!」
鬼獅子、獅子丸の衝撃波は樹々の葉を一瞬で全て散らしたばかりか、おれの身体機能をマヒさせるのに十分であった。
激しくバウンドしながら地上に叩きつけられたおれを待っていたのは、さらなる追撃だった。
怒声と共におれの腹部へ叩き込まれた巨人岩鉄の強烈な右ストレート。
声を発する間もなく、遥か後方へ吹き飛ばされたおれの身体は、六車橋南口に店を構える材木問屋の横壁をぶち抜き、店の柱を数本へし折って停止。
とたんに闇夜だというのに、室内が騒がしくなる。
まぁそりゃ、そうか。
ゆっくりとご就寝の所に、壁に大きな穴空けて、人の身体が飛び込んできたもんだから当然、家中の人間が大慌てで目を覚ます。
壁をぶち抜いたせいでおれの身体をはじめ、店の中は土塊と埃まみれだ。
今すぐ飛び起きて払いのけたいところだが、倒れたまましばし待つ。
「おい、何だ。押し込みか?」
「人が倒れてるぞ!」
灯りを持った数人の男たちが駆け寄ってくる気配がする。
「おい、あんた。大丈夫か?」
店の主人だろうか。
申し訳ない気持ちでいっぱいのおれだが、「あら、よっと」とばかりに脚を振り上げた反動で飛び起きる。
六車橋に潜ませた百目から、紅華たちの姿が消えたとの確認が出来たからだ。
「せんせ、言わんこっちゃない」
「いやー死ぬかと思った。おれが普通の人間なら死んでたな」
牡丹との会話に、ポカーンとおれを見つめる店の男たち。
「すまねぇ。店を壊すつもりはなかった。この通りだ。堪忍してくれ!」
両手を合わせて拝みたおす。
「ちょっとあんた!!」
我にかえった店の主人が口を開くと同時に、その両眼へ右の掌をかざす。
一瞬で膝が折れ、その身体を受け止める。
「だ、旦那さま!」
駆け寄ってくる下男二人にも手をかざす。
同じように力が抜け、その場に昏倒する。
「悪く思うなよ。おれ、文無しなんだわ」
「すかんぴんがカッコつけないでよ。どーすんの、コレ。店に大穴開けちゃって!!」
おれは右手の掌に潜ませた百目一眼は遠隔視の他に、その瞳を見た人間への催眠効果により、瞬時の深睡眠、記憶操作が可能となる。
右掌を突き出し目が合えば、大概の人間は抵抗なく静に深い眠りに入る。朝までぐっすりだ。
「マジでさっきは危なかったな」
全身のホコリを払いながら呟く。
「せんせ。また鉄っつあんに頼ったでしょ。
鉄っつあん、せんせを甘やかすとロクな事になんないわよ!」
牡丹の剣幕に着流しのスソから黒鉄色の妖、大百足の鉄っつあんが申し訳なさそうに顔を覗かす。
その巨大な甲羅は妖怪随一の硬度を誇り、刀はおろかおそらく銃弾でも容易に弾き返し、傷一つつくことは無い。
戦闘時には十重二十重とおれの身体に螺旋状に巻きつき、外部からの物理的攻撃のダメージをゼロに抑える。
普段は幽体化しおれの身体に潜んでいるが、生命危機を察知し、コンマ数秒で無敵の防弾チョッキならぬ防護アーマーへと早変わりする。
鉄っつあんの能力は防御だけでなく、邸宅への侵入や局地的な地震さえも起こす事が出来る。
その身体の長さは驚異的で、10kmとも100kmとも言われている。
おれも鉄っつあんのお尻は今までに一度くらいしか見た事がない。
そんな大妖怪も牡丹の口撃には頭をうなだれて、しゅんとしている。
「牡丹、そんなに責めるな。悪いのはおれだ」
「だって、せんせ。こんなにやられっぱなしで、悔しくないの?」
「いいんだよ。とりあえずの目的は果たした。おれに触れた時点であいつらの負けだ。みとけ、ギャラをさらに倍にしてやる」
おれは腹をバンと叩き、啖呵をきった。
「あ、今思い出した。よくもさっきはあんなエロシーン、演じさせてくれたわね!!」
「あ、思い出しちゃった。しょうがないだろ。
あの金縛りを破るには死と対極の境地である生の世界へと一瞬でダイブしなきゃならなかったんた。
人間のもつ性への執着、煩悩こそ、恐怖またはそれ以上の力を跳ね除ける唯一の……」
「黙らっしゃい!。どこの世界に相棒の女の子に、喘ぎ声をフルコーラスでなんて注文する奴がいるの?。未経験なのに、必死で頑張ったんだからね!」
「約束は守る。筋丼六十杯、喰わせてや……」
「何、言ってんのよ。百杯よ、百杯!!」
「ひ、ひゃく……」
おれは土壇場での契約改変に頭を痛めた。
この仕事が終わるまでにおれの命と財布の中身は持つだろうか?
「おれ何か最初から、嫌な予感してたんだよね」