四章
第四章
刻は長月。現世でいえば午後九時くらいだろうか。
おれは高松屋の二階より、対面の西京屋の店先を見下すかたちで監視を続けていた。
おれは喜三郎と会った後、一度自宅のあばらやに戻り、支度を整えた。
陽の沈む前に真向いである呉服屋西京屋の一人娘、坂崎さやの顔の確認をしておきたかったからだ。
これがまぁ、かわいい。
歳の頃は十五、六。元世じゃ、中学生だ。
薄桃色の着物に朱色の帯。
肉付きが良く、ちょっとぽっちゃりめだが、色白でどちらかというとかなりおれ好みだ。
普段は店内での仕事を手伝い、店を活気付ける要因ともなっている。
喜三郎が心底羨ましいとも思ったが、瞬間、そんな喜三郎が落ち込む姿も頭をよぎる。
いかん、いかん。
この彼女が、依頼の発端である事を忘れちゃいけない。
おれは昼間に西京屋で彼女への贈り物と称して、直にさやさんから珊瑚の簪を一つ買い上げた。
クレーマーのように珊瑚の色にケチをつける牡丹の言葉を無視し、さやさんに見立ててもらう。
笑顔でおれに簪を手渡す彼女に、おれの方からも一つプレゼントを渡してきたのだ。
おれは二階より西京屋を一瞥した後、己の左手の掌に目を落とす。
それと同時に、その中心に瞼が一つ浮かび上がる。
瞼はゆっくりとその眼を見開いた。
「百目。
彼女は、さやさんはまだ屋敷の中にいるな?」
掌の中の百目はゆっくりと瞬きし、肯定の意を伝えてくる。
そう。
おれの体内に潜む妖の一つ「百目」。
実体は無く、この世のありとあらゆる場所に存在する。百目と名は付いているものの、その瞳の数はおれにも把握出来ていない。
監視、失せ物探し、尾行に贋作暴きはもちろん、夜道の案内や結界破り等、その仕事は多岐に渡る。
視覚情報に関する能力としては、超一級品だ。
その能力は現代社会における街の至る所に設置された監視カメラと同等で、WiFiの通ってないこの世界でも、百目が認識した映像情報は、即座におれの脳内へダイレクトに飛び込んでくる。
だが、難点もいくつかある。
百ものリアルタイムの映像情報の把握には凄まじい霊力が消費され、とてもじゃないがおれの頭脳の処理速度では到底追いつかないのだ。
その為、試行錯誤の上、現在ではターゲットの認識を写真のような静止画面風のものに変更。
脳回路にもやさしい仕様にして、情報を受け取る方式にしている。
これぞ省エネだ。
あとはおれが使役する事になった事で、おれの霊気痕、つまり霊気の残滓が残る場所でないと、情報の取得に霊気のロスが出てしまう。
その為、索敵範囲の外周をあらかじめ散歩と称して歩き、簡易的な結界を作らなければならない。
今回でいえば、怪しい女が出没する六車橋周辺、半径ニ百メートル程の範囲内を、約百もの瞳が監視している。
飯屋の柱、長屋の瓦、町を行き交う荷車の車輪。結界内なら、ありとあらゆる町の異変を感知し、おれに知らせてくれる。
だが用心深いおれは、監視範囲の縛られるこれとは別に、もう一つとっておきを考えた。
百目の一眼をターゲットの肉体に付着させる事である。
ターゲット自身の衣服や肌に、おれの手を通して直接潜ませる。
今回は西京屋で簪を買った時に、ターゲットであるさやさんの手に触れ、百目を一眼のみ流し込んだ。
百目が目を開けても、よほど霊感のあるものでなければ、気づく事は殆どない。
さながら、現代社会でのGPSを模した能力と言えよう。
さやさんの居場所は、百目がマーキングしており、おれの脳内では100%識別出来る。
試しにおれの意識を、さやさんに潜ませた百目の一眼に繋げてみる。
一眼のみなら動画映像での受信には問題ない。
突如、脳内に動画映像が差し込まれる。
何処かの、板が周囲に張り巡らされた狭い個室。音声は無い。
そう。
百目の大きな弱点の一つに、音声による状況把握が全く出来ない事にある。そういう意味では、現代社会に於ける監視カメラとほぼ同じ能力しかない。
百目はさやさんの左肩口からの映像を送り続けているが、その視線が下方へ向いた瞬間、美しい白い肌の映像が脳内に広がった。
「せんせ、一体、どこ覗いてんのよッ‼︎」
瞬間、脳内に牡丹の怒鳴り声が響き渡った。
「え、どこって?」
「そこ、厠よっ!!」
おれは牡丹の言う意味を理解すると同時に、慌てて脳内スイッチを切った。
「ま、待て。弁解させてくれ。
トイレだなんて知らなかったんだ。
おれは百目の調子を確認する為にだな、言わばこれは仕事で……」
「盗撮犯は皆、そう言って嘘をつく。
女の敵ね。
たーげっとのふともも、見てないとは言わさないわよ!」
今回は運が良かったのか、悪かったのか。
この後おれは何故かひたすら牡丹に謝り続け、西京屋で買った簪をプレゼントする事で、その怒りをおさめてもらった。
幸い、坂崎さやは間違いなく、西京屋に隣接された邸内に留まっており、今も動きはない。
だが、異変はこの後、静かに起こるのだった。