三章
第三章
おれは、はなさんとの出会いにテンションを上げつつ、今度の仕事場である高松屋へと足を向けた。
酒問屋である高松屋の前では、忙しく働く人夫達の姿が見てとれる。
六車橋のたもとから、小舟を使って酒の配送をしているようで、慎重に荷車から船へ酒樽を移し替えている。
人夫達は汗びっしょりだ。
おれは大きな深呼吸を一つすると、脳内へ声をかけた。
(おい、牡丹。起きてるか!)
(この、○、△、◇、□)
いきなり波のように脳内に溢れ返る放送禁止用語に、おれは後ろめたさもあり、優しくたしなめる。
(あのなぁ。淑女はそんなはしたない言葉は使っちゃいけないんだぞ)
(だって、せんせが悪いんじゃない。わたしを勝手に追い出して!)
(それは謝る。だが、おれにもぷらいばしーというものがあるんだ)
そう。
この事は言っとかなきゃいけない。
おれと牡丹は思考回路が同調しており、恥ずかしながらおれの日常のエロい妄想なども、牡丹にはダダ漏れになってしまう。
健康な男子からするとそれは非常に辛いものがある。
少しでも、エロ妄想が浮かぶと、たちどころに口撃が始まる。
「この、浮気者」だの、「この助平」だのはいい方で、得意の声色を使って「おれは男色家だ」だの、「一月も風呂に入ってない」を寸分違わぬおれの声で大声で喚くもんだから、遊郭にも行けたためしがない。
睡眠薬でも一升瓶で飲ませてやろうと思ったが、こいつには解毒のスキルがあるので、薬物関連は一向に効きゃしない。
最終的におれがとる手段として、おれが考案したアイデアはというと、ひたすら牡丹に飯を喰わす。その一択になった。
二口女という妖である牡丹も何故か分からないが、人と同じく、多くの睡眠を必要とする。
血糖値なんかは関係ないとは思うが、飯を大量に喰わせた後は特に眠くなるようで、口うるさい時はひたすら米を炊く事にしている。
「牡丹、分かったら仕事するぞ。どうだ、この付近から何か感じるものはあるか?」
今回の依頼がどのような類のものかどうかの確認は大切な事で、依頼人が100%自分の意思で依頼を行っているのか、事の顛末をどのようにもっていきたいのか、支払えるギャラの上限は、などの先に取れる情報は多いにこした事はない。
護妖の最後に妖に取り憑かれ、依頼内容を急遽変更。
妖と一緒に死にたい、などと言い出す依頼人も珍しくない。
牡丹の嗅覚でどのようなタイプの妖か存在を感じとる事が出来れば、早目の対処も可能だけに、神経質にもなる。
「ふむふむ。美味しそうな炊き立ての米の匂い。あとはナスの味噌汁、カボチャの煮物に、焼き魚はめざしね」
ガクッ。
おれは昼飯時に訪れたのを少し後悔した。
だいたい、飯はさっき喰ったろ。
牡丹の食欲を満たす為、日に八度の食事は欠かせない。
牡丹に限らず、妖は己の好物を大量に摂取する事で妖力増大、回復につながる。
そのため非常時に備え、牡丹の機嫌は壊さないようにしておきたいというのが本心だ。
腹八分目がおれの理想だが、なかなかそうは問屋がおろさない。
「ち、が、う! 妖の気配は無いかって言ってんだよ!」
「なな、や、ここのつ。他にも多くの人間が働いているみたい。気になるんなら、百目のおじさんに中を覗いてもらったら?」
百目というのはおれの体内に潜む妖の一体で、視覚による情報収集を得意とする。
「おじさん言うな。仲間に失礼だろうが」
「大丈夫よ。百個も目があって疲れちゃってるから、寝てるわよ」
そんなおれの、いや、おれ達の姿を、青っぱなを垂らした小僧が、不思議そうに見上げている。
いかんいかん。おれも牡丹も思わず、声を出して喋ってた。
はたから見れば、店前でブツブツと独り言ならぬ、二人言を言ってる奴なんてあやしさ満点だ。
おれは慌てて、高松屋の暖簾をくぐった。
「ごめんよ」
「いらっしゃいませ」
間髪いれず、恰幅のいい男が店先で柔らかく正座をして、おれを迎え入れてくれた。
「本日はいかほどご入用で?」
男はおれが酒問屋を訪れたのにも関わらず、酒器を持っていない事に気が付いたようだ。
「いや、おれは酒を買い付けに来たんじゃねぇんだ。
店主の高松喜三郎に繋いでくれ。
月影斬九郎が会いに来たとな」
店主であり、今回の仕事の依頼人。
高松喜三郎が姿を現したのはそれからすぐだ。
上品でいて整えられた座敷は、到底おれには不釣り合いで、ガタイばかりでかく無作法なおれの粗雑さを克明に浮き上がらせてしまった。
だが、おれの前に姿を現した高松喜三郎が腰を下ろすと、途端に座敷は普段の静粛さを取り戻した。
「高松喜三郎と申します。この度は私の分を過ぎたお願いをお聴きくださり、ありがとうございます」
上から申し付ける言い方をする依頼人も多いが、喜三郎は違った。
深く頭を下げるその姿に、驚きを隠せない。
「おい、頭上げてくれ。おれと歳、そんなに違わねぇんだろ」
歳の頃は二十四、五。
童顔ではあるが、身を包む着物の仕立てからも、育ちの良さを感じる。店を任されるだけはあるな。
「今年で二十と五になります。今回の話、実は……」
突如、ハッとした喜三郎。
途中まで言いかけた言葉をのみ込むと、バッと席を一瞬離れ、開いたままの障子、襖をピシャリと閉め、完全な閉室をつくった。
「無作法お許しください。実は私、近々西京屋さんのご息女。さやさんと婚姻し夫婦になる事になっているのですが……」
「えっ、西京屋っていうと……。ここの真ん前じゃねぇか。
ああ、そう言う事か。幼馴染との良い縁組って訳だな」
(素敵!
でもそんな、ろまんちっく。
せんせには当分、縁がない話ね)
おれの言葉に速攻で反応する牡丹。
何を隠そう、最近の牡丹はこの手の恋バナが大の好物で、おれが転移する前にYouTubeで仕入れた恋バナを盛んにねだってくる。
牡丹の言う通り、おれ自身は恋バナとは無縁なので、少々ネタ切れだ。
しかもおれと思考が同調する事から、現世の用語も次々と覚え始めてる。
「で、そのさやさんがどうかしたのかい。
おれに依頼がまわってきたとなれば、妖に付け狙われる類の話かと思うが」
喜三郎はおれの言葉にうつむき、ブンブンと頭を振った。
「じゃあ、狙われてるのはあんたって事かい?」
また、頭を振り否定の表情。
唇を噛み締め、青ざめている。
「なぁ。ちゃんと話してくれなきゃ、依頼は受けられねぇよ。まずはあんたの口から、事の発端をきかせてくれ」
「分かりました。どうぞこの事は、くれぐれも御内密に願います」
そして喜三郎はようやく、重い口を開いた。
「実はここ一月ほど前から、六車橋付近に夜な夜な、怪しい女が出没すると噂されております」
「怪しい女ねぇ……」
一瞬、吉川邸で声を聞いた女の事が思い出される。
姿は確認出来なかったものの、あれから幾度となく脳内で、女の声と鈴の音がエンドレスで再生され、おれを睡眠不足に陥れている。
「で、どんな女なんだ。知り合いなのかい?」
「そ、それが知り合いも何も、その女は私の許嫁である、さやによく似ていると……」
(わ、来た来た。
こりゃ、バレたら大事だわ)
何故か牡丹は、脳内で喜びの声を上げている。
根っからのスキャンダル好きだ。
女性誌でもこの世界に持ち込んだ日にゃ、おれの身体を使って、一日中読んでるに違いない。
「な、何かの間違いじゃねぇか?」
おれは落ち込む喜三郎が哀れで、速攻で言葉を返した。
「私も最初はそう思いました。ですが霧の濃い晩に橋の周辺で女が、男をその……たぶらかすと。
そしてその女の顔付きが、さやによく似ていると、噂が立っているのです」
そりゃ、大変だ。
今から結婚して店を大きくしていこうとしてる時に、とっかえひっかえ男漁りをする嫁じゃ、旦那としては死にたくもなる。
ストレス社会の現世じゃ、珍しくもないが、ここじゃ大きく商売が傾く要因にもなりうる。
大店の新妻。
欲求不満で男漁りのご乱行。
などと、瓦版に書かれでもしたら、喜三郎は首でも吊りかねない。
記事を心待ちにする牡丹の様子が想像出来たが、慌てて打ち消す。
「私も何かの間違いだと思い、夜中にその姿を探して歩き回ったのですが、出逢えずじまい。
かと言って、当人に「お前は夜な夜な、男を漁っているのか」とは聞けず……。
ですが、私はさやの事を信じています。
信じているのです」
なんだか自分に言い聞かせるように呟く喜三郎が哀れに思えてきた。
まぁ、霧が立ち込める夜なんて、思いっきり妖のニオイが漂ってくる。
だが、当人に確認した時点で、この縁談はパー。
一番早い解決方法としては、その女をとっ捕まえて、一体誰なのかはっきりさせることだな。
「あんたとしてはどうしたいんだ。
その怪しい女は許嫁によく似たニセモノだったという事を、ハッキリとさせたいんだろ。
おれはそれを調べてあんたに報告する。って事でいいかい?」
喜三郎は目尻にたまった涙を拭う。
「私は亡くなった先代である父と母。
そして三ヶ月前には、二人の兄達も行方知れずとなり、私が店を継ぎました。
今回の縁談は店をこれから維持していく為に、どうしても必要なことなのです」
喜三郎の気持ちに嘘は無さそうだ。
さて……。
「そうさなぁ。こういった類の依頼を受ける受けないは、おれらに一任されてる。
まぁ、条件次第だな」
「一応、小判二枚で依頼しましたが、もしこの件を速やかに解決してくださりましたら、その倍、お支払い致します」
(めしめし)
(それを言うなら、しめしめな)
倍の報酬。なんて素敵な言葉。
牡丹が喜び、浮かれるのも当然かもしれない。
大して難度の高くない依頼。
命のやり取りなんて望んでないおれにはもってこい。
しかも報酬は倍貰える、おいしい仕事だ。
「分かった。どこまでできるか分からねぇが、依頼、引き受けるぜ」
「あ、ありがとうございます」
「あ、そう言えば、あんた他に兄妹はいるのかい?」
「妹が一人おりますが、病弱で人前には殆ど。それが、何か?」
「いや、何でもねぇ。家族構成が知りたかっただけさ」
おれは一日にして、美少女と知り合い、さらに楽な仕事にもありつけた事から、女難の相からの脱却を強く意識したのだった。