三十章
三十章
「ヤベっ!!」
おれはとっさに畳の端を叩き、その一枚を垂直に跳ね上がる。
音も無く起き上がった畳で、奴との間に一枚の障壁を残し、そのまま跳躍する。
瞬間、下方の畳一畳の中心が、円形状に霧散。そのまま消失した。
空間を削りとる不可視のエネルギー弾が、紅華の口腔より放たれたのは間違いない。
おれは宙空より下降しながら、奴の頭骨に更なる電撃を加えようと、その一刀を全力で頭頂に叩きつけた。
が、おれの望んだ電撃は発生せず、乾いた音が室内に響き渡る。
「え、マジ?。この場で妖力切れかよ!!」
明滅する右腕をマジマジと見て呆然とするおれを、紅華の巨大な拳が横殴りに襲う。
いや。
悪意があって、雷獣テンに文句を言ってる訳じゃない。
おれが万霊湖で心停止し、再び息を吹き返すまで、体内に潜む妖たちが総動員でおれを復活させるよう、事態に対処してくれていた事は想像に難く無い。
おれと命を共にするとは言え、バカな宿主を持った、なんて思われたかも知れない。
あれ?。
このフレーズ。
自分の事ながら、最近、誰かに言われた気がする。
思い出せん。
とにかく、それでなくても仕事に、戦闘に、と、役に立つスキルを多くもつ雷獣テンのその妖力負担は大きく、牡丹が心臓の欠損を再生した後、現代医学における電気ショック療法まで、おれの身に試してくれたのだ。
本当に頭が下がる。
そして、ここにきての大技の連発。
決しておれの霊力も完全ではなく、むしろ、よくここまで共に戦ってくれたとの気持ちだ。
前にも述べたが、獣型の妖の妖力はその体の大きさで図られることが多い。
雷獣はフル充電されている時は体長1.2mほどの姿で現れるが、今の状態ではジャンガリアンハムスター程度の手のひらサイズ。
可愛さならコンテスト百点満点だが、今はゆっくり休んでもらうしかない。
おれは紅華の横殴りの拳に、広間の壁に激しく叩きつけられた。
瞬間、全身に広がる衝撃で、意識が二秒ほどトンだ。
そうだった。
今のおれは鉄っつあんという鎧の無い、ノーマル状態。
フルアーマーのパワードスーツは喜三郎さんたちを護るため、球状となって出張中だった。
「今度こそ、ヤベェ!!」
ろくに動けないおれの身体を奴の、紅華の右手が掴み、宙空へと引き上げる。
「月影斬九郎。来るか、妾の永遠の花園へ!!」
「き、気色悪い!。誰が、お前なんかと!!」
巨大な骸骨の妖と化した紅華の胴体下半分は、床畳を境に、異界へと繋がっている様だ。
ある意味、空間的には別の世界へのゲートとも言え、その縁からは鈍い虹色の波が、紅華中心となり勢いを増している。
「一体、何をしやがる!!」
「妾を汚した男たちには、罰を与えてやった。
もう、さやの事など、どうでも良い。
この傷を癒し、妾と共にあれ。
永久に!!」
紅華の言葉と共に、おれの足先から頭頂部までゾゾゾと薄寒いものが駆け抜ける。
冗談じゃない!!
可愛くて可憐なはなさんならともかく、邪悪な塊みたいな紅華とは、ごめん被る。
というか、恨みと復讐のため妖と言う別系統へのマイナス進化を遂げた紅華の中から弾かれた微かな善心が、はなさんという人の形をとっていたに過ぎない。
「自分の世界に逃げ込んで、どうする気だ。
お前はもう、とっくの昔に死んでる。
紅玉によって、新たな生を受けたなんて、とんだ勘違いだ!!」
学術的にはインナーワールドと呼ばれ、人が自己を健全に保つため形成される自己擁護、自己肯定の心的領域。
決して外界からの他者の侵入を許さぬ不可侵領域が、今、紅華の足下に実体を伴って存在している。
(コイツ、おれの事を自分の世界に連れて行こうとしてるのか。心の中なら、なんでもアリだ。
美しい肉体を取り戻した自分。
優しい家族に囲まれた自分。
皆、優しく穏やかな生活。
分からねぇ訳じゃねぇが……)
「寂しい……。
幼い頃から蔑まれ、何もいい事なんてなかった。
妾に優しい世界を望んで、求めて何が悪い!!」
「違うだろ!。
あんたは嫉妬してるだけだ。
妹はあんたの事なんてちっとも知らされてないんだぞ。
こんなのは、只のイカレ女の狂った所業だ!!」
「UWAA〜〜」
核心に触れてしまった為か、ブチギレた紅華の周囲の空間が、一瞬揺らぎ、ズルリと音を立てて、全て虹色の波に吸い込まれていく。
これは夢か幻か。
心的領域が現実を捕食し、更に侵食しはじめた最初の例ではなかろうか。
大広間にあった物質は人であろうと、物であろうと、容赦なく吸い込まれていく。
この広間全ての物質が、少しずつ紅華を中心に、強引に引き寄せられているのだ。
やばい。
このままじゃさやさん達まで、奴の世界に連れていかれる。
なんとかしねぇと!!。




