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  二章

    第二章 


 月霊會での依頼を受け、おれは半金である小判一枚を持ち、六車橋付近の飯屋で丼をかき込んでいた。

 

 人の良いおれは吉川邸での凄惨な報復に心を痛めながらも、目の前の筋丼に腹を満たされると、不謹慎だが自然と顔の筋肉が緩んでしまう。


 我ながら現金だとは思うが、これが人の世の真実だ。なにはなくとも、腹は減る、だ。


 筋丼とは牛、豚、鳥。その他、安価で流通している家畜の内臓肉を、酒、みりん、醤油、生姜などで長時間煮込み、濃く味付けしたものを丼飯にぶっかけたものだ。


 おれ達の世界でいうモツ煮込み丼、ホルモン丼といったところか。

 これで銅銭五枚は安すぎである。


 おれは持ち帰り用として頼んだおにぎり三十個を、衝立に身を隠しながら後頭部に押し込み、腹ごしらえを済ませた。


「さて、行くか!」

 

 店を出て、大きく背筋を伸ばしたおれの背中に、一人の少女が声をかけてきたのはそんな時だった。


「もし。そこのお侍さま……」


 六車橋の手前で消え入りそうな微かな声でおれを呼び止めたのは、紅色の着物が良く似合う一人の町娘だった。


 具合が悪いのか、膝を地に着けている。顔色も青白く、よろしくない。


 歳の頃は十五、六。少女から大人の女に移り変わる年頃だ。

 可愛らしさと妖艶さが入り混じり、この時代においても、女性の成熟度は現世より上だ。いつの世も、男は鈍ちんである。

 

「おい、どうした。大丈夫か?」


 月並みなセリフを言って、相手に近づくのは常套手段。

 おれはしゃがみ込み、腹部を摩っている手に目を止めた。


「腹が、痛えのかい。医者を呼んでこようか?」

 

 覗き込むようにお顔を確認。


 美しく整った目尻、スッと通った鼻梁。椿のような紅い唇。そして時折見え隠れする桃色の舌に色気を感じない男などいるのだろうか?


 おれは現世では二十一歳だったから、この娘との年齢バランスは悪くない。ふと、現世での占い師の言葉がよぎる。


 後年、おれが嫁の窮地を助けた事から結婚に至った、と人前で話すイメージが湧いてきた。

 これ、チャンスかも!


「いいえ、それには及びません。

 この痛みは生来のもの。

 どこの方が存じませんが……そこの縁台まで肩を貸していただけませんか」


「いいとも」


 二つ返事で肩を貸す。


(せんせ。仕事は!)


 突如、脳内に響き渡る牡丹の声。 


 おれと牡丹は人目や関心を引きたく無いときは、直接声を出さずに会話する事も多い。

 牡丹のレーダーには、彼女は敵と映ったようだ。

 

(他の女に優しくするくらいなら、もっとわたしを気遣って!!)


(今時、持病の差込みなんて流行らない)


(おっぱいが大きな女は、信用出来ない)


(きっと病気持ちだ)


(サイフすられるぞ)


(腹へった。飯よこせ!)


 頭の中で牡丹の戯れ事が一秒毎パワーアップしてくるので、一時的に脳からシャットアウトする事にした。


 でも、よく見てるな。


 確かにその娘のバストサイズは現世の同年代とくらべても、遜色はない。


 白い胸元が視界にはいる度、脈がスピードをあげていく気がする。


 娘の肉体から立ち昇る心地よい香りが、おれの鼻腔を更にくすぐる。

 

 こんな世界に来てるんだ。

 若い女の子との出会いのチャンスは、自分から作らないとな。


 おれは娘の身体を支え、側にあった茶店の縁台に、少しの間座らせてもらう事にした。

 

「まいど!」

 とばかりに店の娘が飛んできたので、冷たい茶を一つ頼んだ。


 幸い茶はすぐに届き、表情を曇らせる娘の痛みを落ち着かせる事に成功したようだ。


「痛みが止まって良かった。送って行こうか?」


 目の前に仕事が迫っているが、たまにはいいだろう。

 カワイイ女の子と知り合う機会なんてそうそう無いからな。


 牡丹に知られては困るので、おれは思考と視覚情報に厳重にカギをかけた。

 これで牡丹には、おれが彼女と何を喋ったか分からなくなる筈だ。 

 ただし、この手も短時間しか通じない。

 

 牡丹はミッション・インポッシブルでトムクルーズ演じるところのイーサン・ハントばりに、セキュリティ解除に命を燃やしてくるので、どんなに厳重に心にカギをかけても、短時間しか持たないのだ。

 

「いえ、それには及びません。わたしは、はな、と申します。高松屋の娘です」


「えっ。

 てぇ事は、喜三郎さんの妹君か。

 ちょうどいいや。おれも仕事でこれから喜三郎さんと会うんだ。

 良かったら、一緒に……」


 おれとしては妹君を介抱したイケメンとして喜三郎さんに紹介してほしかったのだが、答えは予想と違った。


「すみません。私はこれから所用があるので、屋敷には斬九郎さんお一人で行かれて下さい。

 それと、私とここで会った事は兄には内密に願います」


「何故だい。

 高松屋は目と鼻の先の距離だ。

 兄貴が病弱の妹の事を今も探してるかもしれねぇ。

 心配するのは当然だろうに。

 隠していて治る病の様にも思えないがな」


 おれの言葉にはなさんは額に汗を浮かべながら答える。


「ええ。

 ですから尚のこと、心労はかけたくないのです。

 ご存知かもしれませんが、いま店を切り盛りしているのは兄、喜三郎です。

 父や、大兄達に代わり、身を粉にして働くさまを毎日、見ております。

 これ以上心配はかけたくないのです」


 はなはそう言うと、おれの手を両手でそっと掴んだ。


「わ、分かったよ。

 でも早目に医者にかかった方がいい。あんたの為だ」


「お気遣い感謝致します。それではまたお会いできる日を楽しみにしております。斬九郎サマ」


 そういうと、はなさんはそそくさと、その場を後にしたのだった。


 現世であればLINE交換をお願いするところだが、ここじゃそうはいかない。


 まぁ店も分かるし、また会えるだろ。 


 知り合えただけでも御の字か。


 だが、さっきまで座り込んで苦しんでいたわりに、やけに素早くその場を離れた事には、違和感を感じた。


 慌てて懐に手を入れるも、サイフをすられたわけじゃ無し。

 

 おれは可憐でカワイイ女の子と知り合え、ひさびさに下の名前を呼んでもらえた事に、ただ喜びを感じていたのだが、興奮のせいか自分がいつ名乗ったのかもよく覚えてない。

 

 でも、まぁ、いっか。


 おれはまた一つ、牡丹に隠し事が出来てしまった事に後ろめたさを感じながらも、未来に一瞬バラ色が差し込んだ気がした。



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