挿話 ファビオの日常
本編と関係ないわけではない、他の人から見たお話です。
わたくしは商業都市アルダートンで輸入雑貨店を営んでおりますファビオと申します。
と言っても、本店を構えた活動拠点がここというだけで、実際には行商人時代に育てた弟子が南の領地と東の領地でそれぞれこちらに商品を送りつつ商売をしておりますが……。
わたくしには三人の弟子がおりまして、他領で活動するその二人の弟子はどちらも駆け出しの商人としては十分すぎるほど立派に育ってくれたので、心配いらないどころかわたくしの手を離れた今も仕事をする中で成長しているらしく、気を抜くとファビオ商店の実権を握られるのではないかと、いつも冷や冷やさせられております。
まぁ、そちらもそういった意味では心配ではありますが、わたくしが最も気にかけているのはもう一人の弟子……まだ見習いを卒業させるには不安があって本店で仕事を手伝わせているユーリ君です。
わたくしが師匠にそうしていただいたように、わたくしの弟子も三人とも商才がありそうな孤児を引き取って行商をしながら育てた養子なのですが、その中でもユーリは特に頭が良く、人当たりが良い子供だったので、接客に関しては文句のつけようがない好青年に育ってくれました。
しかし少しばかり綺麗好きと言いますか……あくどい商売が嫌いと言うのは良い事なのですが、それ以外にも失敗といったことが苦手なようで、わたくしから習っていないことはやろうとせず、自信の無い事や不安に思ったことをすぐに相談する癖があるようです。
見習いの内は確かにそういったことは大事ですし、相談せずに勝手に問題を起こされて大きな損害が出るようなことが起こってしまったら大変ではありますが、わたくしはそうならないよう、見習いにはたとえ問題が起きても大事にならず、対処もそれほど大変ではないような仕事にしか振っておりませんので、出来ればもっと自分で最善以上の成果になるよう判断して動き、失敗を恐れずに色々なことに挑戦して欲しいと思ってしまいます。
今回の屋敷の掃除に関してもそうでした……依頼内容としては、暫く使われていなかった屋敷を当日中に寝泊まりが出来るくらいまで掃除すると言うもの……その内容通りその日の内から屋敷が使えるようになることを望んではいましたが、今まで店の二階で生活していたのですから、別に依頼がこなされなくても問題はありませんでした。
「ユーリ君、今回の仕事はどうでしたか?」
わたくしはオースさんやグリィさんが帰った後、すっかり綺麗になった屋敷のダイニングに戻り、少しぬるくなってしまった紅茶を飲みながら、ユーリ君と今日の仕事について尋ねてみました。
「……」
しかしユーリ君は黙って俯いたまま、すぐに口を開こうとはしません……。
わたくしが忙しく仕事をしているタイミングで相談を持ち掛けてきて、しかし戻ってみれば相談されたような非常事態になっていなかったという、おそらく彼に久しく訪れなかった失敗と呼んでもよさそうな事象です……しかし真面目で誠実な彼の事ですから、言い訳を探しているわけではないのでしょう……きっと自分自身の中で反省して、その対策まで絞り出そうと必死に頭を回転させているに違いありません。
ですが、わたくしは別にそこまで真面目に仕事の話題を振ったわけではありません……ただ単に義理の息子との日常会話のつもりでもあり、わたくしが身内以外で最も気になっている人物であるオースさんを見た感想を聞いてみたかったというのもあります。
親子の会話がしたいなら探せばもっと他にもいくらでも話題がありそうなものですが、師匠とわたくしがそうだったように、わたくしと彼も親子と言うよりも師弟の関係が強く、食事の時もこういった仕事の話が多くなってしまいます……わたくし自身がそうやって育ったのでそのあたりの知識は乏しいもので、そこは大目に見ていただきたいところですね。
「別に今回のことに関して怒ったりはしてないですよ、実際にあの時はちょうど人手が欲しかったので、用件が違ったとしてもユーリ君が来てくれて助かりました、屋敷もこの通り想像以上に綺麗になりましたしね」
「……でも、僕は与えられた仕事を何もこなせていませんでした……あの場に残って的確に指示を出していれば、より早くこの結果に至れたかもしれません」
確かに、彼に与えた冒険者と一緒に屋敷を使えるようにするという仕事に偏った見方をすれば、途中で仕事を放り出して上司に泣きついている間に、他の作業者が完璧に仕事をこなしてくれていた、と見えなくもないですが、わたくしはその件に関して、今回は仕方がないかなと思っています。
「仕方が無いでしょう……相手がオースさんでしたからね……」
わたくしが身内以外で一番今後の行く末が気になっている相手……オースという名のFランク冒険者……。
Fランク試験という簡単なものだが、初回受験者には知らされず裏で行われている加点を全て獲得し、史上初の限界点を取って昇格したという、ギルド職員の中で話題の少年でありながら、アルダートンの冒険者ギルドで三位の成績を収める〈爆炎の旋風〉のパーティーリーダーである〈旋風の大斧使い〉フランツを困らせる問題児。
無印冒険者の時にわたくしの依頼を受けて、いったい配達先で何をやったのか暫くそのお客様からクレームやお礼や謎の質問をされることになったトラブルメーカーであり、しかしその中からわたくしが今回の商売で成功するためのヒントを得ることになったという、かなりハチャメチャな風を起こしてくれる人物。
そして今回の依頼でも、知識と経験があれば一般的な冒険者でもギリギリ行えるであろう修繕など含めた屋敷の見事すぎる現状と、生まれてから平民だったならば絶対に実現不可能だと思われる夕食を残してくれた謎の十五歳……悪徳業者でもうまく利用できる自信があるわたくしでも全く扱い切れる気がしないそんなオースさんと仕事を共にして、まだ見習いのユーリ君が今以上の振る舞いが出来たとは思えません。
「ファビオさんはオースさんの事をかなり高く評価しているんですね、確かに夕食を出された時なんかただの平民では無いオーラが感じられた気がしますが……何者なんですか?」
「さぁ、何とも言えませんが、ただの平民ではないのは確かでしょう」
グリィさんはただ美味しいと言って喜んで食べていましたが、先ほどの料理の美味しさは平民の知識と舌で実現できる水準を遥かに凌駕していました……。
使っていた食材やスパイス、調理器具の中には一般家庭が手に入れられない物も含まれていましたし、食器の選び方も盛り付け方も貴族を招待できるレベル……単純に考えれば、少なくとも貴族様の屋敷で料理人見習いとして働いていた経験のある、貴族様お抱えの料理人の息子といったところ……。
しかし、その前の会話で商売の考え方も持ち合わせているように感じましたから、おそらく料理は仕事ではなく趣味……高級なスパイスを使った料理を趣味に出来て、その上で領地や国を豊かにするような商売の考え方も学ぶことが出来るというと、貴族様お抱えの料理人ではなく、貴族様ご自身の子供か……はたまたそれ以上か……。
「なるほど、それなりのお金が自由に使えるご身分……領地を持つ貴族様の三男といったところでしょうか……それは高く評価するしかありませんね、私たちと学べる環境が雲泥の差ですから」
「違いますよユーリ君……確かにオースさんが今持っているその知識や技術は素晴らしいと思いますが、それ以上にわたくしが評価しているのは彼の行動方針です」
「行動方針……?」
「はい、それはユーリ君にも見習ってほしい部分ですね」
前回の荷物配達の時もクレームが少なからず入っているように、オースさんは依頼で何か必ず失敗をしているようです……配達物を間違えたり、配達した量が少なかったり、優先度の高い配達先を後回しにしたり……今回でいうと掃除道具の使い方がでたらめだったり、窓を壊したり屋根を壊したりでしょうか。
その被害を受けた方はもちろん堪ったものでは無いでしょうが、人が成長するためには失敗も必要だと思います……ユーリ君には失敗しても大怪我をしない方法を学んでほしい。
「でも、それこそ、失敗しても後でどうにでもなるという貴族様の考え方では無いでしょうか」
「だとしても、です……どうやらユーリ君は失敗を失敗としか捉えてなさそうですね」
「……?」
「ほっほっほ、やはりそうでしたか……確かに失敗は失敗ですが、初めての失敗をしたということは、それはある意味では成功したとも言えるのです」
「失敗なのに……成功、ですか……」
「はい、失敗する方法を発見したのですから、次に同じ事に挑戦するとき失敗する可能性を大きく下げることが出来ますよね? それに失敗から生まれる成功もあると思います」
「失敗から生まれる成功……あ、オースさんのデザート……」
「はい」
オースさんが今夜デザートとして作ってくれたのは、タルトタタンという、リンゴのタルトを作ろうとしてタルト生地を入れるのを忘れ、後から上に生地を乗せて焼いたらとても美味しかったという、失敗から生まれたレシピだというではありませんか。
おそらく彼は依頼中に失敗して屋敷を壊してしまい申し訳ないという気持ちを込めたのだと思いますが、せっかくなのでユーリ君の教材にさせてもらいます……二度目や三度目の失敗は確かに悪ですが、一度目の失敗はそう悪いものではないのです。
きっと失敗してもめげずにすぐ違う方法をトライするオースさんも、わたくしの今の気持ちに近い何かを持っているのでしょう……ユーリ君にもその気持ちを少しでも持ってもらえたら嬉しいですね……まぁ、そのまま彼を参考にされると些か問題を起こす量の方が多いと聞くので心配ではありますが。
「……わかりました、今度オースさんに会ったら今回の事を謝るついでに少し話をしてみようと思います」
「そうしてみてください……では、今日はもう遅いので寝るとしましょうか」
「はい、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
そうしてわたくし達は購入したばかりの屋敷でさっそく就寝することにしました……ベッドは長く使っていなかったとは思えないほど綺麗で、マットレスも羊毛を新しいものに交換したかのようにふかふかと柔らかかったですが、そんな資金は用意していないし、海の街から輸入した石鹸の香りが漂ってくることから、そうではないと分かります。
ユーリ君の部屋から何やら「冷たっ! 濡れたままじゃないですか!」とか「うわぁ! 痛っ! サスペンションの革紐が切れた!?」とか聞こえてきますが、まぁその失敗を乗り越えてわたくしのベッドの状態が大成功しているのであればいいでしょう。
わたくしはユーリ君に是非人の失敗からも学んで欲しいとやや無責任なことを考えながら、眠り心地の良いそのベッドで静かに寝息を立て始めました……次の日に別件で彼を呼び出すことになるとは思いもしないまま……。
次のお話からは毎日投稿ではなく、週一くらいの投稿になるかと思います。