第二百二十九話 ワインの流れる街で検証
ジェラード王国、ペルリンド領、ラボー。
葡萄を中心とした果物の栽培とワインの製造が盛んな街で、他の街の人々や街を渡る行商人からは【ワインの流れる街】なんて呼ばれていたりもするらしい。
いくらここが魔法のあるファンタジー世界だとしても、流石にその言葉通りにワインがどこかから湧き出して川のように流れているというようなことはないのだが、今の季節は秋……いたるところでワインの香りが漂っている街の中を散策していると、ここを訪れた人たちがそんな二つ名をつけた気持ちも分かる気がする。
醸造所ごとに使用する葡萄の品種が異なったり、同じでも加工や出荷の時期が微妙にずれたりするらしく、早いところでは既に瓶詰めも終わり新酒としての出荷作業に入っているが、逆に遅いところでは醸造所の前を通ると熟成しきっていないワイン特有のフルーティーで甘酸っぱいような香りが鼻孔をくすぐった。
ワイン以外にも、リンゴを使ってシードルを造っている醸造所もあるようで、ちょうど収穫されてきたらしい大量のリンゴが工房の中へ運び込まれていたりする様子も見受けられる。
たまに酸味の強い香りが漂ってくることもあるので、ワインやシードルなどのお酒を造っている工房だけでなく、ビネガーやバルサミコ酢など調味料を造っている工房などもあるのだろう。少なくとも街の散策で鼻が飽きを感じることはない。
「なんだか街の中を歩いているだけでお腹がすいてくるねー」
「うむ、そうだな」
自分はそんなワインの香りが流れる街の中を、リヤ殿と並んで散策している。
盗賊ギルドの本拠地があるダルラン領都から、北東に三日。
ここ【ワインの流れる街】ラボーでの目的は、この街を管理している子爵が寝るとき以外は肌身離さず持っているという〈古代の懐中時計〉を盗み、持ち帰ること。
行商人を装ってこの街へとやってきた自分たちは、街に入るときの検問にて、商業ギルドで発行してもらった身分証と、ダルラン領都で仕入れてきた穀物や香辛料が積まれた荷台を見せて、行商の目的で街を訪れたという体で門番を突破した。
リヤ殿には、別に行きで商品を仕入れて積まなくても、ただワインを仕入れに来たと言えば問題ないだろうと言われたが、この街で卸す商品もあった方が行商人らしいし、何より、せっかくならついでに行商人の真似事を実際にしてみるという検証も済ませてしまった方が効率的だろう。
既に街に入る際に荷物の量によって支払いが発生する税を値切ることはできないか交渉する検証も済ませることが出来たし、後でこの街で卸す商品を相場より高く売ることが出来ないかの検証もする予定だ。
まぁ、そんな荷物も馬と一緒にそのまま丸ごと宿に預けてあるので、散策から戻った時には誰かに盗まれているかもしれないが、そうなっても商品を荷台へ無防備に置いたままだと盗まれるという検証結果が分かるだけなので問題ない。
「あ、見えてきたね。あの山の中腹に見える豪邸が今回のターゲット、ラボー子爵の屋敷らしいよ」
「ふむ、立派な建物だが、交通の便は悪そうだな」
この街は北東部が山間の扇状地に面していて、一番高い扇頂付近にある子爵の屋敷から扇状地の麓の方まで、様々な果実の果樹園と、あまり舗装の行き届いていない道が続いている。
【遠視】スキルで様子をうかがうと、道中の果樹園では、今もたくさんの人が収穫を終えた木々に対して剪定作業を行っており、果樹園の外側に張られた木製の壁の向こうでは、森から魔物や害獣が来ないように衛兵が見張っており、果樹園の中にも、番犬と思われる犬があくびをしながら待機している様子が見えた。
一方、今自分たちがいる山の麓、扇状地から外れた平地区画には、ワインの醸造所を含む様々な建物が立ち並ぶ他、道も大通りは石レンガなどで舗装されている。
買い物をするにしても、馬車で他の街に移動するにしても、麓に住んでいた方が遥かに便利だろう。
……だが、今回問題となるのは、屋敷の住みやすさではない。
あの屋敷まで伸びている大きな道は一本だけ。
昼間は道中の果樹園で農家の人たちがたくさん働いている。
夜間もおそらく果樹園の中を複数の番犬が徘徊する。
壁の外側では昼夜問わずに衛兵が巡回していると思われる。
屋敷の周りには他に大きな建物や隠れられそうな場所がない。
「……どうやって侵入する?」
「うーむ……」
自分とリヤ殿は、街の散策を続けながら二人して首を傾げた。
選択肢の候補としては、いくつかある。
夜を待った上で、番犬をどうにか無力化し、正面から侵入する方針。
屋敷への侵入は諦めて、子爵が麓に降りた時に彼の懐からスリ取る方針。
来客を装って、昼間のうちに堂々と屋敷を訪れる方針。
夜に壁の外側から迂回する形で屋敷の傍にいる衛兵の目だけ搔い潜って侵入する方針。
番犬を無力化するには、番犬に近づいて直接意識を失わせるか、どうにかして番犬の餌に睡眠剤などを混ぜ込むかになると思われるが、相手は魔力や足音を消しても嗅覚や聴覚で侵入者を発見するプロなので、自分やリヤ殿の隠密スキルでも気づかれずに眼前まで近づくのは難しいだろう。
犬の餌に睡眠剤を混ぜ込む方法も、彼らの飼い主に怪しい餌を渡したところで犬に与えるとは思えないし、遠くから睡眠剤の入った餌を投げ込んだとしても、ご自慢の嗅覚でその餌の不信感を察知してしまう可能性がある。
子爵が麓に降りてきたところを狙う方針は、番犬を無力化する方針よりは可能性がありそうだが、そもそも子爵という立場の人間が自身で麓に買い物などをしにくるとは思えないし、用事で他の街へ渡るにしても、山の上から馬車に乗ったまま移動するだろう。
バジオーラ領都の侯爵邸で成功しているように、もしかすると昼間に来客を装って訪れる方針が一番成功率が高かったりするのかもしれないが、まず、既にその方針は検証済みであるという点で、いくら可能性が高くとも、優先度は落ちる。
「やはりここで選択する方針は、大きく迂回して壁の外側から侵入するルートだろうか」
「あー、やっぱり?」
暫くの思考の末に出した結論をリヤ殿に話すと、どうやら彼女も同じ結論に至っていたようで、自分の意見に同意する。
この街には外壁と呼べるような石造りの立派な囲いは存在しておらず、丸太を使った木製の壁が扇頂付近にある子爵の屋敷の裏手まで伸びていて、その向こう側は衛兵が巡回できる道をはさんで、木々の生い茂った山になっている。
壁に近い範囲は木々が伐採されて見通しが良くなっているが、奥の方には獣や魔物が潜んでいそうな森林が広がっているようなので、街の外から山へ侵入し、森の中を移動すれば、誰にも気づかれずに屋敷に近い部分の壁には近づけるだろう。
同じくらい成功率が高そうなのは来客を装うパターンだが、その場合は確実に屋敷の住人や衛兵に顔を覚えられるので、指名手配などされてしまえば今後の活動に支障をきたすかもしれない。
それに、ターゲットの〈古代の懐中時計〉は子爵が寝るとき以外は肌身離さず持っているのだとすると、昼間に侵入したところで、屋敷内で子爵を無力化するか、どうにかして屋敷に泊まり込めるよう話を誘導する手間がありそうだしな。
「では、夜まで時間をつぶして、子爵が寝ているであろうタイミングで森から侵入だな」
「魔物とか獣がちょっと怖いけど仕方ないね。じゃあ、とりあえずどこかの店でご飯でも食べよっか」
「うむ、そうだな。先ほどからリヤ殿のお腹もなっているようだし、このままでは屋敷に侵入した際にその音で気づかれてしまう」
「っ! 仕方ないじゃん。あっちこっちからいい匂いがしてくるこの街が悪いんだよ!」
ふむ……グリィ殿もそうだったが、この世界では小柄な人物ほど食欲が旺盛な仕様なのだろうか。
【魔力視】で見たところ、リヤ殿は出会った頃のグリィ殿のように魔力放出が制御できていないという点では同じだが、そもそも貴族などでも無いから元から総魔力量も放出量もあまり大きくないので、それが原因ではなさそうだ。
同じく魔力放出量がそれほど大きくなかったロシー殿やカイ殿も、グリィ殿ほどではないにしろ食欲旺盛だったことを考えると、成長期のような年齢的な問題だろうか。
自分はそんなことを頭の隅で考えながら、リヤ殿に先導されるまま様々な食事処へと連れられる……。
彼女はどうやら、かなり店を吟味するタイプのようで、店の外に置かれた看板に書いてあるメニューの内容と値段を眺めては、次の店へ移動してまた確認する。ということを繰り返していた。
バジオーラ侯爵邸から盗んできた品を売り払ったお金で懐は温かいので、自分の方は金銭的にどの店に入っても問題ないのだが、リヤ殿はそれほど所持金に余裕がないのかもしれない。
「よしっ、ここだ! ここに決めた!」
そうして暫く散策した後、最終的にリヤ殿が選んだのは、一度候補にすると言って通り過ぎた、小さな食事処。
巡った中にもっと安いメニューを扱っている店もあったのだが、何か気にいる要素でもあったのだろうか。
―― チリンチリン ――
店に入るとドアに取り付けられたベルが来客を告げるが、店の従業員からは自分たちに対して特に挨拶もなければ、空いている席への誘導もない。
現実世界の日本では考えられないが、この世界では割と一般的なことだ。
自分たちはそっけない店員の対応など気にせず、空いている適当な席に座った。
「ランチとドリンク二人分ね」
席に着くと、リヤ殿はすかさず片手をあげて店員に注文を投げかける。
そんな漠然とした注文をするのも、この世界の小さな食事処ではよくあること。
なにせ、ランチメニューが一つしかないのだ。テーブルにメニュー表などが置いてあるわけでもないし、漠然とした注文も何も、それが全てで、それがこの店での正式な頼み方なのである。
存在する選択肢は、ドリンクをつけるかつけないかくらいで、この世界に存在する多くの店が、ランチだけでなくディナーでもこのスタイル。
同じ客が何泊も食事をとっていく宿屋や、お腹にたまる食事がメインでは無く、酒とつまみがメインの酒場などは、複数の選択肢が用意されているが、多くの飲食店では、店主の気まぐれでその日のランチやディナーのメニューが決まり、それ以外の注文は受け付けないというのがこの世界の一般的な食事処だった。
まぁ、貴族街などお金を持っている客に向けて店を構える高級レストランとなると、ランチでもディナーでも複数の選択肢が用意されているが、それでもメインやドリンクが選べるだけで、サラダや前菜、スープの種類などは選べないことが殆どだろう。仕入れている食材の種類も幅広くないだろうしな。
小さな定食屋に入ってもランチに複数の選択肢があった日本に住み慣れた自分からすると、最初は何とも不思議な感覚だったが、一年以上も過ごしていれば流石にもう慣れた。
―― ガシャン ――
「ごゆっくり」
そんなことを考えながらリヤ殿と他愛もない雑談をして注文した品を暫く待っていると、食事を持ってきた店員は、無言のまま少々荒っぽくテーブルに料理や食器を並べて、無愛想に一言だけ告げるとサッサと戻っていった。
この店の今日のランチは、鴨のコンフィとラタトゥイユ。
鴨の骨付きモモ肉を低温の油でじっくりと煮込んだものに、鴨の油で炒めたジャガイモが添えられた料理と、パプリカやズッキーニなど複数種類の野菜を、トマトと香草、ワインで煮込んだ料理である。
ドリンクと言って注文した白ワインと、カットしたバゲットもついて銀貨一枚というのは、昼食としては高いが、出てきた料理にしては安い方だろう。
「うまっ! やっぱりここは当たりだね!」
自分は店の雰囲気や店員の無愛想さで少々心配していたのだが、一口食べただけで分かる……リヤ殿の言う通り、出てきた料理に関しては間違いなく当たりだろう。
低温の油でじっくりと揚げられた鴨は、そのパッと見の印象に反して、フォークで簡単にほぐれてしまうほど柔らかく、ワインビネガーが使われているのだろう甘酸っぱいソースともとても相性がいい。
添え物のジャガイモをとっても、パサつきを感じさせない丁度いい火加減で炒められたそれが、鴨油の旨味と香りをしっかり纏っていて、ただの添え物におさまらない楽しませ方をしてくれる。
ラタトゥイユの方も、やはりワインが名産な土地だけある……おそらくこの街で作られた数あるワインの中から、最も料理に適した品種が選ばれ使われているのだろう。
そのまま飲んでも美味しいのだろうが、この料理に使うのが最適解なのではないかと思われるほど、使われているトマトや香草、野菜との調和を見事に生み出していた。
おそらく安さの理由は、野菜が旬の時期よりも少し遅いことによって、熟しすぎているものや、長期保存で少し水分が抜けてしまっているものが存在する、といったところだろう。
だが、料理人の腕が良ければ、それくらいのデメリットは感じさせないくらい美味しい料理ができるのだと言われているような、そんな感覚になる料理だった。
「リヤ殿は店選びのセンスがあるな」
「へへーん、でしょ? ボスからもよく褒められるんだ」
自分やグリィ殿は、ひとまず全ての店をめぐって、その中から最適な店を選び出すという技術は持っているが、店に入る前から嗅覚や直感を頼りに美味しい店を探り当てるような才能はない。
これが盗賊としての活動にどれほど役立つのかは分からないが、少なくともこうして美味しい食事処を見つける時には、大いに役に立ちそうだ。
「まぁ、ここに来るまでに作ってくれたオースの料理もなかなかだったけどね。だから、ここはボクが奢るよ」
「いいのか?」
「うん、歓迎も兼ねてね。先輩だし」
「うむ、そうか。ではお言葉に甘えるとしよう」
まぁ、グリィ殿や他のみんなと旅をしていた時も、街から街へ移動する際のキャンプ、昼食などはいつも自分が担当していたので、料理の専門家と比べると敵わないまでも、それなりに腕を磨けているからな。
一応、お金には余裕があるので自腹でも全然問題ないのだが、人の奢りで食べると料理をさらに美味しく感じると聞いたことがあるし、ここはその噂が本当なのかもついでに検証してみるとしよう。
そうして自分は、リヤ殿の奢りを受け入れて、【ワインの流れる街】ラボーでの美味しい食事を楽しんだ。
▼スキル一覧
【輪廻の勇者】:不明。勇者によって効果は異なる。
【魔王】:人知を超える魔法を操り、魔物を従える。
【超観測】:任意の空間の全ての状況や性質を把握できる。
【言語理解】:様々な言語を読み、書き、話すことが出来る。
▼称号一覧
【魔王】:勇者の枠を超え、魔王としての役割を果たした。
▼アイテム一覧
〈水×999,999+〉〈土×999,999+〉〈石×199,600〉〈木×20〉〈薪×735〉〈布×8〉
〈食料、飲料、調味料、香辛料など×1,954日分〉〈保存食×19,995〉〈飼料×3,700〉
〈獣生肉(下)×1750〉〈獣生肉(中)×496〉〈獣生肉(上)×478〉〈茶蕎麦×200〉
〈獣の骨×700〉〈獣の爪×250〉〈獣の牙×240〉〈羽毛×30〉〈魔石(極小)×68〉
〈革×270〉〈毛皮×90〉〈スライム草×90〉〈抑制の首輪×5〉
〈着替え×989〉〈本×90〉〈遺物×10〉〈宝石・鉱石×1,100〉
〈冒険者道具×1〉〈調理器具×1〉〈錬金器具×1〉〈変装道具×8〉〈盗賊道具×1〉
〈掃除道具×1〉〈茶道具×1〉〈絵画道具×1〉〈手持ち楽器×4〉〈採掘道具×1〉
〈木刀×1〉〈ミスリル合金の軽鎧×1〉〈ミスリル合金の短剣×1〉
〈音信のイヤリング×1〉〈行商用の穀物と香辛料×1〉
〈教国軍の消耗品×199,200〉〈教国軍の装備品×19,990〉〈教国軍の雑貨×99,200〉
〈金貨×512〉〈大銀貨×1,948〉〈銀貨×1,971〉〈大銅貨×3〉〈銅貨×2〉
▼ 商業ギルドからの借金
オース名義:金貨2枚
グリィ名義:金貨2枚