挿話 ヴォルフの日常
本編と関係ないわけではない、他の人から見たお話です。
僕の名前はヴォルフ・ゲーバー。
グラヴィーナ帝国の第二王子なんて肩書きを持ってるけど、正直、自分が王子だって実感は全く無いね。
吟遊詩人が詠う物語の中で登場する王子は、その殆どが、ジェラード王国の歴代国王がまだ子供だった頃の話で、国王が若いころにどんな武勇伝を残したか、王妃とどんな出会いをして、どんな恋をしたかみたいな、万人が憧れ、ときめくような物語が紡がれる。
だけど、グラヴィーナ帝国はどうだ?
帝国の王子を詠った詩も無いわけでは無いけど、やれ山奥で強大な魔物に一対一の戦いを挑み剣一本で勝利しただの、やれ無差別闘技場で千人を同時に相手取って見事勝利を収めただの……そんな血なまぐさいのばっかりだ。
確かにそれも武勇伝ではあるけど、街に攻めてくる魔物の大軍から民を守るために、少なくなってしまった騎士を連れ、自ら先頭に立って勇敢に戦った、なんて、そんなかっこよく詠われる王国と大違いじゃないか。
まぁ、この国を長く治めていたドワーフ族の連中にとっては、武力を示せるそんな物語こそ誰もが憧れトキメクことができる話なのかもしれないけど、僕はドワーフじゃなくて人間だし、そんな冒険者や傭兵の延長みたいな武勇伝は全然王子らしいと思えない。
だから、僕は王子らしくあろうとすることを止めたんだ。
「よかったんですかい? 坊ちゃんたちを逃がして」
「いいわけないだろ、別の戦争の火種だぞ? 夜が明けたらすぐに部隊を編成して追わせろ」
「ですよね、へい」
僕は、せっかく目の前に現れてくれた戦争を終わらせる首を取り損ねた……。
アクセル・ソメール……第三王子という肩書きでありながら、他のソメール教国の王子と比較しても、もっとも王子らしい振る舞いをする男……。
まぁ王子らしいとは言っても、民衆が喜ぶ物語に出てくるような王子らしい……だけどね。
現実の王子は実際のところ、グラヴィーナ帝国で語り継がれる物語以上に血なまぐさいもの。
多数を救うために、少数を迷いなくバッサリと切り捨てる……悪人になめられないように、悪人に対してその悪人以上の非道な行いをする……ずる賢い貴族に治政の手綱を取られないように、時には善行で動かない連中の前に飴や鞭をぶら下げて駆け引きを行う。
確かにどれも、国や民を守るために行っているし、国民もそれを頭では分かっているんじゃないかな……綺麗でカッコいい王子様がいるのは、物語の中だけ。
だったら、最初から綺麗でカッコいい王子様なんて演じる必要ないんじゃないかな?
……そう思って、僕は王子らしくあろうとすることを止めたんだ。
「殿下、報告部隊が到着しやしたぜ」
「やっと来たか、すぐに最新の戦況を報告させてくれ」
そんな僕に影響してか、僕の従者や騎士団員は、良くも悪くも、らしくない。
言葉遣いもなってないし、姿勢も悪いし、仕事中に酒を飲み始めるし、食べ物は好き嫌いが激しいし、軍事中は多少の不潔は仕方ない、の、多少の部分が他の人よりも寛容……そんなやつらばっかりだ。
確か、ジェラード王国の第三王子も、抱えている騎士団員が似たような雰囲気だった気がするが、あっちにはある、王子に対しての敬意とか、仲間との信頼関係が、こっちにはあまり感じられない。
まぁ、それもそのはず……こっちの構成員は殆どがドワーフで、種族的な習慣の違いから、元々人との付き合い周りが人間よりも大雑把なところがあるし、魔力無しで戦ったら絶対に勝てるであろう人間に従うことにあまり良い感情を抱いていないんだろうね。
そんな中でも僕がこうして自分の騎士団やレンシル領軍を率いて、戦場で指揮官として行動出来ているのは、単純に、それだけ強いからだ。
僕は一人でも強い……それこそ、自分の騎士団が束になってかかってきても返り討ちに出来る自身があるよ。
流石にレンシル領から借りている領軍まで加わって立ち向かわれたら無事では済まないだろうけど、それでも軍の半分くらいには損害を出せるさ。
物語の中の王子のように、民や部下に両手を広げ慕われるような環境でないのであれば……攻めも守りも独りで行えるように、独りで戦場に立たされても生きて帰ってこれるように……そんな誰にも負けない強さを持たなければならないと思ったからね。
僕の二つ名、〈独剣〉っていうのは、単に、この国でひとりしか使いこなせない、たった一つの独特な剣を使いこなす、という意味だけでそう呼ばれているわけじゃ無い。
何人の部下がいる戦場でも、誰かと協力することはなく、独りで誰よりも功績を上げる王子……そんな背景も含まれている二つ名なんだ。
種族が違えば、生活リズムも考え方も違う……だから、無理に合わせず、適度な距離間で協力すればいい。
そう思っていたんだけど……。
「オースの仲間、仲、良さそうだったな……」
「はい?」
「あ……いや、なんでもない、続けて」
僕は今日の戦場でのぶつかり合いの結果報告を聞きながら、逃がしてしまったオースとその仲間たちを思い出す……。
もともと、オースとは本気で戦えないだろうし、たとえ本気で戦っていたとしても勝てるかどうかは怪しいと思っていたんだ……だから、逃がしてしまったこと自体は、全然悔しくなんかない。
……いや、本当はちょっと悔しい。
……うーん、いや、実はめちゃくちゃ悔しい。
まぁでも、オースは武闘大会で、僕が絶対に勝てないだろうテオドール兄さんと戦って勝っているからね。
下痢を促す毒薬を使ってズルをしていたとしても、いくらテオドール兄さんがオースのことを好きすぎて、怪我をさせないようにと本気を出せていなかったとしても、勝ちは勝ちだし、僕がもし同じ状況で戦ったとしても、勝てたかどうか怪しい。
テオドール兄さんなら騎士団と領軍が束になってかかっても全滅させられるだろうし、全力じゃなかったとしても稽古をつけてもらうようなものだろうからね、勝てる未来が想像できないのも仕方ないんじゃないかな?
だから、オースに逃げられたことは、悔しくはあるけど、それはしょうがないことだって割り切れる……追跡用の部隊を編成して追わせる予定だけど、多分、追い返されるか見失って終わるんじゃないかと思ってる。
だけど……いや……だからこそ……。
それだけの強さを持っていながら、他種族、多国籍の仲間に囲まれて、その全員と仲が良さそうにしていたことが、何よりも悔しい……。
ハーフドワーフに、ハーフエルフ……ジェラード王国の貴族に加えて、現在進行形で敵対関係にあるソメール教国の王族……?
グラヴィーナ帝国の人間が、何をどうしたら、そんな奴らと一緒に旅が出来るんだ……?
何をどうしたら、そんな奴らと仲良く過ごせるんだ……?
それって何だか……。
「物語に出てくる王子みたいじゃないか……」
僕が早々に諦めた場所……テオドール兄さんが目指そうとしていてまだ辿り着けていない場所……そんなところに、僕たちの弟は立っている。
昔から泣き虫だった……人のことをすぐに信じて、挙句の果てに誘拐されて捨てられるようなやつが、僕たちが夢見た場所に立っている。
悔しい……。
心の底から、いや、心自体が、悔しい叫んでる……。
でも、その悔しいって気持ちから生まれる感情は、憎しみじゃない。
そこにあるのは、憧れ……。
まだ、僕たち兄弟が小さかったころ……。
テオドール兄さん、僕、オースの三人で、母上が呼んでくれた吟遊詩人が紡ぐ詠の中で聞いた、優しくて強い、だれもが憧れる王子様の物語……。
逃げていくオースの背中が、そんな物語の王子みたいに見えて、剣を振れなかった……。
「殿下……? 殿下……?」
「ん? ああ、なんだ?」
「いや、ソメール教国軍と、お互いに力が均衡してっから、このままじゃいたずらに食料や消耗品を減らすだけっぽいんだよな……んで、ここはひとつ、殿下にも戦場で活躍してもらって、こっちの軍の士気も上げたいなと」
「ふーん、そう……だったらまぁ……」
「……」
「……」
「……殿下?」
相手が人だろうと、魔物だろうと、僕の戦いは変わらない。
騎士団引き連れて盗賊の拠点をつぶすことだってあるんだ、人の命を奪うことに別に抵抗なんてない。
この戦いだって、いつものように僕が突撃して敵の防御に穴をあけて、その後ろをついてきた部下が陣形の崩れた相手を数の暴力で倒していくだけ……。
いつもと同じ……これからも変わらない、僕の日常……。
『ふむ、ヴォル兄……』
『なんだ、やっぱりアクセルの首を渡してくれるのか?』
『いや……そうではない』
オースが去り際に残していった、あの言葉……。
『向こうの軍にも、争いを止めるように交渉する……だから、もし向こうの軍が説得出来たら、ヴォル兄もこっちの軍を引きあげることを検討しておいてほしい』
常識的に考えて、上からの指示も無しに、出向している軍が、始まってしまった争いを勝手に中断させることは出来ない。
だから、普通だったらあの話は、考えるまでも無く、夢のまた夢のお話……。
だけど……。
「いや、僕は出ないよ……あと、全軍に、いつでも撤退できる準備をしておくように伝えておいて」
「は……? 撤退……っすか?」
「まだ決まったわけじゃないけど、念のため、ね」
皆の夢見る王子様なら、そんな非現実的なことだって、出来そうな気がする……。
「あとさ……」
「へい」
「今回の戦いが終わった後の祝賀会は、僕も参加するから、できるだけ美味しい料理を調達するように言っておいてよ」
「! え? いや、なんつーか、気が早いってのもそうだが……いつも参加されない殿下が、どうしてまた急に……」
「うーん……」
「……」
「ちょっと僕も、物語の中の王子様を目指してみたくなってね」
変わらない僕の日常が、少しずつ変わっていく……そんな日常も、悪くないんじゃないかな?